襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

その詩の良さを一から説明するのって結構大変

 

それは今日の帰りの電車で起こった。

僕は妹とのショッピングを終えた帰路にいた。

 

僕は眠かった。昨日の昼にお昼寝をしたせいで

昨晩うまく寝付けず、3時間くらいしか寝ていなかったのだ。

 

しかし電車の中はショッピング帰りの客たちでごった返しており、

僕と妹は吊革に捕まって立ちポジションに甘んじた。

 

我が妹は中吊り広告を眺めていた。

それは短歌の公募だった。交通に関する短歌を応募して、入選すれば

現金や図書カードが貰えるらしい。応募してもいいかもな、と僕は思った。

 

 「短歌とか、そういう言葉の感性みたいなのよくわかんないな」と妹は言った。妹は理系で、いや、理系の人は短歌がわからない等という先入観はないが、彼女としては兄は文系で私は理系だからという先入観があるらしかった。

「我が妹よ、短歌に敷居を感じるのはわかる。わかるけど、現代短歌っていうのは俺たちにもわかるようになっていて面白いぞ」と僕は弁明する。

「たとえば?」

「例えば...そうだな。誰でもわかるくらい明快なので俺のお気に入りだと..

 

七月、と天使は言った てのひらをピースサインで 軽く叩いて」

 

 

「えっ」

「えっ」

「どういう意味?」妹は怪訝な顔をする。

「意味っていうと....これは短歌だから..。」と僕はしどろもどろになる。

 

僕は反撃を試みる。これはこういうものだからいいのっ、というお兄ちゃんの特権を行使する手札もあったが、それだと僕がこの詩を表面上しか愛していないことになるし、また僕が短歌をそこまで理解せずに字面だけで評価していることが露呈してしまう。

 

だから僕には説明責任が生じた。

僕のために。

あるいは、詩のためにだ。

 

「てのひら、な。片手をパーにして右手をチョキにして重ねるとさ、数字でいうと7になるだろう。七月っていうのを天使が知らせたんだよ。そういう詩なの」

我ながら完璧な説明だと思った。

「なんで天使」

「えっ」

「7月っていうのはわかったけど、なんで天使が出てきたの」

「ええー...」僕は再び狼狽える。いいじゃん天使で...。

「天使は実在しないじゃん。ああ私そういうところで躓いちゃうんだよな。だから詩とか無理なんだワ」と妹が一人で納得する。

 

詩の愉しみを理解してもらうつもりが大いに失敗した。

その機会損失に僕は反省する。

 

「待ってほしい。もう一つ詩がある」と僕はリベンジする。

「言ってごらん」

「えっとね えっとね

 

倒れないようにケーキを持ち運ぶとき 人間はわずかに天使」

 

「だから、なんで天使」

「いいじゃん!天使なんだよ。」僕は予感していたもののうめき声をあげる。

「ケーキっていうのはささやかな幸せなんだよ。その幸せはさ、壊れやすくて脆いんだよ。そういうのをさ、壊れないように送り届けるのが天使なんだよ。なぜそれがわからない」僕は早口でまくし立てる。

「天使っていうのは幸せを送り届けるものなのか」妹はつぶやく。

「そっかぁ」分かって戴けた手ごたえはあまりない。

 

僕はこのあともうひとつ、

 

玄関の覗き穴から差してくる 光のように生まれたはずだ

 

という詩を是非紹介したかったが、

なぜ玄関なのか、光のように生まれるとはどういうことなのか、

生まれるとは何が生まれるのかという質問が返ってくる未来が垣間見えたため、

しばし沈黙した。そうしているうちに電車は目的地に僕たちを運んだ。

 

短歌に入選でもすれば、何かがわかってもらえるのだろうか?

 

 

おしまい

 

 

今回出た詩はこの詩集に載っております。おすすめ~

 

 

 

玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ

玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ

 

 

友達のことをすごいと思ったら 「お前すげえじゃん!」ってちゃんと言うと相手は喜ぶよ!と言う話

 

友達のことをすごいと思ったら

「お前すげえじゃん!」ってちゃんと言うと

相手が喜ぶよって言う話をします。

 

ほとんど、僕の個人的な体験を通して。

 

 

 

 

 

僕の友人さなっぺは大学時代の同級生だが、

大学時代は接点が少なく、あまり話したことのない

「同級生」止まりであった。

でも大学を卒業してから何かと絡むことが増えて、

今は大変仲良くやっている。

 

 

趣味が合う。

 

 

そして何かと競うことになってしまう。

何の巡り合わせなんだろう。

 

自転車競技になればレースで抜かし合いになるし、

写真撮影になればどっちが上手く撮れるかの勝負になる。

アニメのイラストを描いて競うこともあるし、

ポケモンカードですら真剣勝負になり、

そして大抵は僕が負けた。

もちろん二人とも楽しんでやっているので

雰囲気は大変に良好だ。でも。

 

 

 

敵わん。こいつには勝てない。

同い年で、同じ大学を出て、いつも勝負事になるのに、僅差になったりしつつ

こいつには勝てない。いつもそう思っていた。

 

でも多分、僕が一方的にそう思ってただけだったのだ。

 

 

 

客観的に見れば、

あるいは僕たちはイーブンだった。

 

自転車競技は、さなっぺの方が体格もいいし、筋力もあるから

直線や平坦のスプリント勝負なら絶対敵わない。でも坂道なら

僕のほうが体重が軽いから十分に分がある。

実際、打ち負かしたこともあった。

 

 

写真撮影も、動かない静物撮りや風景写真ならさなっぺの方が上手い。

でも、人物撮影だったら、僕は一応仕事としてやっていたこともあったので

おそらく僕の方が上手いだろう。

 

 

だから、本当は、勝ったり負けたりしながら

僕たちはやってきたつもりだ。

 

なのに、どうして僕は今まで全体的に「負け越し」な気分でいたんだろう。

僕が謙虚なのか?そう言うことではない。

 

 

今日知って驚いたこと。

 

僕は2016年に合同作品展を開いたことがある。

「日曜日のパレード」と言うタイトルで、尊敬する先輩方と一緒に作り上げた忘れられない展示会だった。僕はそこで写真展示をした。

さなっぺは僕の作品展にわざわざ足を運んできてくれてとても嬉しかった。

 

何が今日知って驚いたかって、

さなっぺはその時、僕の撮った写真を見て「こいつはすげえや!」と驚いたのだそうだ。あまつさえ、人物の撮影を見て「すごい」と思ってくれたらしい。

僕がそれを直接さなっぺに聞いたのは2年もの月日が経ってからだった。

いや、今になっても聞くことが出来て本当によかった。

 

 

ライバル...と言うと実に青臭いが、

そいつにもし、「すげえじゃん!」と褒めて貰えたらすごく嬉しい。

あるいは、僕自身、そうありたいと思う。

 

自転車もお絵かきも写真撮影も本来、勝負事ではない。

楽しんだもの勝ちといえばその通りかもしれない。

 

でも、同じようなレベルの友人と続けていけば必ず「負けたなぁ」とか

「こいつの方が今のは良かったな」と歯軋りする場面が必ずやってくると思うのだ。

その時に!「お前すげえじゃん!」とか、「今のお前のこう言うとこ、好きだな!俺もそう言う風にやりたい、どうすればいいの!」とか。

もしそう言うのも、確かにスゲー恥ずかしいんだけど、言い合うことができたら。

 

アメリカ人がオーバーな仕草で驚いたり呆れたりするみたいに、

きちんと、馬鹿丁寧に気持ちを「伝えてあげる」ことが出来たなら!

僕たちはもっと相互的に自分を高めていけるのではないか、と思った。

 

もちろんいつもいつも漫画のようなオーバーアクションをするぜ、と言っているのではない。「この人のこういうところ、いいな」みたいに思ったら、伝えるチャンスだ。

それ、ちょっと恥ずかしいし照れ臭いけど、伝えたら、すげえ嬉しいし。

 

それで自信が生まれて、もっと良いものをアウトプットできるかもしれないじゃん。

そして、そうやって照れ臭く伝えたことは、きっと自分にも返ってくる。

「あいつまっすぐ褒めてくれたな...」と思ったら、返すことを思いつくはずだ。

 

そう言う連鎖に期待しよう。

 

まだまだ、僕たちには言葉にして相手に伝えるべきことが

いっぱいいっぱい、あるはずなんだ!

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

飲み会で先輩に言われたことメモ

 

先日の飲み会で他部署の上司(こう言う関係ってなんて言えばいいの?)から

お説教を受けて、僕は最近お仕事でお説教を受けることが少なかったので

とにかくその言葉一つ一つがありがたく、身体を耳にするようにして

言われたことを聞いていた。

 

しかし飲み会なのでメモ帳を出して逐一メモしながら話を聞くこともできずに、

「なるほど」「そうですね」「確かに自分はそうですね」みたいな相槌をいちいち打ちながら「やばいなー今のところちゃんとメモりたかったなぁ」などと勝手に悔やんでいた。

 

 

こんなことになるなら

飲み会の場などではなくて、普段の会社で言ってくれりゃいいのに、と言う気もしてくるものだが、会社で言われたらそれはそれで本気っぽくなってしまうし、

結局他部署の上の人間が、別部署の格下を嗜めるのは飲み会がベストだと思う。

 

ちょっとこう、酔ったフリじゃないけど、「いいかぁ、仕事っていうのはな」とか「だいたいお前はなぁ」みたいな感じで言われるとすごく素直に聞けるというものだ。

 

 

以下はお説教された内容のメモ。

飲み会終わって酔っ払ったままスマホでメモしたから完成度は低いが、

そのとき聞いた時の話がちゃんと要約されていたのでOK。

 

 

 

自分は人に刺激を与えているか?

 

刺激を与える人=思い出してもらえる人

刺激のない人=下手すればいないのと同じ

 

会議になったとき・プロジェクトが始まったときに

お前は呼ばれる人材なのか?

「そうだ、アイツを呼ぼう」

「この分野ならアイツが詳しいよ。聞いてみよう」

 

“呼ばれる人材”=人財

・ある分野について知り尽くしている。

・何か飛びぬけて秀でている

 

「こいつでいいか」で呼ばれていないか?

 

30になって誰からも呼ばれない人材では生きていけない

呼ばれる30になるために20後半の今から出来ること

=セルフブランディング

自分をどう見せるか

デザイナーは自分を魅せてナンボ

 

人からどう見られているか 思われているか

どう評価されるか 何について評価されたいのか

について気にすること。対策を練ること

 

その指針を決めた上で手を尽くすこと

まずは呼ばれる人財を目指す。

 

 

 

おしまい

怒ったときは「怒った」と伝えることにしました

 

 

感情表現が得意な人、苦手な人がいる。

 

僕は、悪い感情...怒りとか哀しみみたいなもの...っていうのは、

表に出すのは弱い人間のすることだと幼いころからずっと信じてきた。

 

 

俳優の堺雅人が好きだった。

 

 

今みたいにブレイクしちゃうちょっと前の、大河ドラマ新選組!」に出演したときから好きだったのだ。山南さんを演じる堺雅人のあの余裕たっぷりの笑顔!あれこそが大人の余裕だぜと信仰したのだ。

 

 

しかし!

 

本当にここ2,3年で「悪い感情も時には表に出さなければならぬ」と感じることが本当に増えた。

 

すごく端折って簡潔に言うならば、「負の感情を全く出さずに善人を演じているとなめられる」とでも言おうか。「こいつは全然怒らないし、雑に扱ってもいいや」と思われるのである。ないがしろにされる、ほどではないにせよ、「今自分の領域をちょっと侵害されたな」ということがたまに出てきた。

 

駐車場で例えるなら、貸し駐車場で自分の駐車スペースがあったとして、そこでいつも子供たちが花火をしている。その後片付けがきちんとしていなくて、たまにゴミが

自分の駐車スペースが落ちている。それを怒らずに黙々と掃除してしたら、翌日からもどんどんごみを放っておかれるようになって、しまいには子供たちはゴミを散らかしたまま帰るようになりました、みたいな。

 

自分の領域を守るためには戦わなければならぬ。

もちろん堺雅人に憧れて普段からニコニコしていたことで得たものもたくさんあっただろう。それでも新選組隊士・山南敬助でさえ何か許せないことがあったときはキリっと怒りの表情を浮かべたはずだ!

 

 

感情を伝えるー。そう、感情を相手に伝えるのはとても大切なことだ。

 

 

周りを見渡せばそういうことがおざなりになっている。

 

「おれはあのとき本当はこう思ってた」とか「え、嫌だったの?喜んでるんだと思ってた!」というような単純な感情伝達の齟齬が基になって人間関係のこじれに発展したりする。少女漫画であるだろ、そういうの。

少女漫画で起こるあらゆるトラブルは報告・連絡・相談が為されていれば未然に防ぐことが出来る。

 

 

僕はちょっと作戦を変えることにした。

堺雅人もいいけれど。

 

自分の領域を侵害されたと感じたときは、

その感情を相手につたえることにした。その場で。できるだけシンプルに。

 

「おれは今腹が立った」とか「そういうことを言われると悲しい」といった具合に。

もちろん良い感情も伝える。「すごく嬉しかった」ってね。

 

腹が立ったときに余計なことを言うから波紋が広がるんだ。

「お前今なんて言った?その言い方おかしいだろ?こないだお前こう言っただろ?」などと怒り始めた日にはとことん炎上してしまうだろう。怒りの感情は怒りの感情としてまずは伝えてしまう。「あなたがどうあれ、あなたは私を怒らせましたよ~?」ということは何よりまず報告してしまうのである。

 

そう、これはただの報告なんだ。

相手を間違っていると認めさせるとか相手を言い負かしてやるとか屈服させてやろうっていうんじゃなくて、もっと事務的に伝えること。「You got me mad now.」だ。

 

そうすればどんな誤解が起ころうと、「自分はこの人を怒らせてしまったんだな」ということを伝えることが出来る。そうすることで初めて僕は自分の領域を守ることが出来るのだろう。

 

 

 

 

おしまい

ツイートに何の意味があるのか?

 

「ツイートって何の意味があるの?」

 

僕はそのとき、友人さなっぺと一緒にアイドルのライブに参加すべく山手線に乗っていた。僕はスマートフォンを取り出してTwitterに「ライブ楽しみー!」という投稿をした。友人さなっぺはそれを覗き込んで文字通り呟いた。「ツイートって何の意味があるの?」

 

さなっぺの言い分はこんな感じだ。

彼はTwitterを使っている。使っているっていうのは、要はツールとして活用している。それはキュレーションニュースサイトのような使い方だ。自分の好きな女優やアイドルやスポーツチーム、あるいは映画まとめ情報サイトや面白画像まとめアカウントをフォローしておけば、それらの最新情報がタイムラインに流れてくるわけだ。

 

この使い方には僕も大いに賛同する。というか僕自身同じ使い方をしている。

前述のように自分の興味のあるものをまとめてフォローしておけば、Twitterを開くときにグーグル検索のような即効性はないが、ある種ランダム性を持って情報を与えてくれるのである。

 

Twitterを開くとき、大抵は何か知りたい特定の情報があるわけではない。

もっと散漫的に「なんか情報でも得るか」くらいの気分でTwitterを開く。

すると、声優が新しいイベントの告知をしている。友人が電車で乗り過ごしたと愚痴をこぼしている。面白い犬の動画が見れる。気圧配置がわかる。是枝監督の新しい映画情報が出てくる。

 

それは雑多な情報だ。無目的的にテレビ番組を見ているのと似ている。

違いがあるとすれば、情報の発信源を予め自分用にカスタマイズしているところ、くらいだろうか。

 

そういう使い方でさなっぺも僕もTwitterにはずいぶんお世話になっているけれど。

 

 

さなっぺは見る専門なのだ。

これまでのTwitterの説明だとたしかにTwitterを見るメリットは説明できてもツイートするメリットは表象しない。だからさなっぺはツイートというものをしない。物言わぬアカウントというわけだ。

 

彼に言わせれば「何を呟けばいいのかわからない」のだそうだ。

その感覚はなんとなくわかる。僕だって何を呟けばいいのかわからないのに呟いているのだ。「今日天気よくて気持ちいいな~、とか呟けばいいやんけ」と言ってみると「え、、、何のために?」と言われてしまった。まぁ確かにね。

 

 

 

 

新しいコミュニケーション、情報のるつぼ

 

 

今までの時代のコミュニケーションは、

例えば私がいて、あなたがいて、私が言葉を発してあなたが受け取る。という言葉のコミュニケーションがあった。このとき言葉の内容を知っているのは二人だけだ。隣町のオッサンには聞こえていないし、地球の裏側のブラジル人にも届かない。

 

これがTwitterになって、たった一人自分の部屋に閉じこもっている状態でも「あの映画面白かったな」と呟くだけで「面白かったですよね!」という言葉が見ず知らずの人から返ってきたりする。このあたりにまずツイートの面白さがある。それは観光に似ていて、偶然のアクシデントに心のどこかで期待しているような態度だ。

あるいは、Twitterというのは無数の個人の言葉が捉えられないスピードで飛び回っているような場だ。それを外側から監視するだけでなく、自分も言葉を発することでその「祭り」に参画する。これもTwitterの醍醐味だと僕は思う。

 

この「祭り」に参画するには「ハッシュタグ」とかいうツールを使うらしいが、それはまだきちんと使いこなせていないのでもうちょっと詳しくなってから紹介したい。

 

 

おしまい

短歌の作り方 「アダルトビデオ」をテーマに短歌を作りました

今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

 

雨の日だと遊びに行けず持て余す人も多いのではないかと思う。

 

 

そんな人におすすめなのが短歌。

道具がなくてもすぐ始められるし、とても文化的な趣味だ。

 

 

飲み会などで「休みの日に何をしているんですか?」という定番の質問をされたら

「雨の日だと短歌を詠んでますね」と答えれば好感度アップ間違いなし。文化人アピールが出来る。

 

最近は現代短歌なんて言って、新しい短歌や詩集が発売されていて、

勇気を出して買って見るとなかなか面白い。

 

僕もそれに習ってたまに短歌を詠んだりする。

 

 

 

 

 

 

 

今回はこんな短歌を詠んだ。

 

パソコンに 知らないAV 残ってる

インフル初日に 買ったやつだ

 

 

これは「アダルトビデオ」をテーマに詠んだ詩なのだけれど、

こう言うのをパッとみせられると適当にさらっと詠んだのだと勘違いされることが多い。でもそうではなくて、料理を食べるのは簡単だけど作るのは大変なのと同じくして、詩を作るのも手間がかかるのである。

 

今回は僕がこの詩「知らないAV」を作り上げるまでのプロセスを根絶丁寧に紹介したいと思う。

 

 

まず、自分の身に本当に起きた事件

 

「身に覚えのない自分の趣味とはかけ離れたコアなAVがパソコンに入っていて、購入履歴を調べるとインフルエンザのときに朦朧としながら買ったやつだった」

 

これを題材にして短歌を作る。

短歌は57577のリズムに言葉を載せなければならない。

本物の詩人であれば息をするように57577になるんだろうが、

我々のような一般人は頑張って言葉を加工して行かなければならない。

 

 

f:id:andy0330:20180613002946j:plain

 

まず伝えたい言葉を5か7に加工しながら

言葉の順番を検討する。

 

f:id:andy0330:20180613003050j:plain

 

粘りながら言葉を選定するが7文字の言葉が多すぎて

短歌に載せられそうもない。

 

f:id:andy0330:20180613003152j:plain

 

一度文字数を無視して短歌の形を意識しつつ言葉を並べる。

その後で5文字にしなければならない言葉を他の語彙に変換する。

例えば「アダルトビデオ」は7文字だが「AV」は4文字だ。

「インフルエンザ」は7文字で「インフル」だと4文字で済む。

語彙の削減である。その引き算が短歌の醍醐味であり、楽しみだ。

 

f:id:andy0330:20180613003358j:plain

 

オチがまとまった。

接続詞が余ってしまった場合は

余った文字を次の行に回すと綺麗に収まったりする。

 

インフル初日に→8文字

買ったやつだ→6文字

 

インフル初日→7文字

に買ったやつだ→7文字

 

「しょにち」は4文字扱いしてもいいし、3文字扱いしてもいい。

同様に「買った」も3文字扱いでも2文字扱いでも出来る。ただし短歌として詠んだ時の音の流れは意識するように配慮する。

 

 

f:id:andy0330:20180613004030j:plain

 

完成したのがこちらの詩だ。

発想から完成まで10分くらい。

 

最初から見てもらうとわかると思うけど

たくさんの「本当はもっと言いたかった」を犠牲にしていることがわかる。

 

その言いたかったことを、言わないことによって、匂わせる。

背後にある言葉の気配を見つけさせる。

そう言う作業が詩人と読者との静かなやり取りで、僕は読者の時はそう言う部分を楽しんでいる。

 

 

 

 

 

みんなも短歌を作ってみよう!

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

スマホがバキバキになりました

 

諸君、タイトルの通りだ。

 

僕のスマホはそりゃもう見事にバキバキになったんだ。

 

 

 

新宿の西口、信号待ちで「さっきのライン返事しなきゃな」って思ってスマホを取り出したらするっと!逃げ出すようにするっとスマホが手からこぼれ落ちて無情にそれは東京のアスファルトに叩きつけられたんだ。

 

もしここが鹿児島の砂浜だったら、もしここが函館の雪原だったら、もしここが鳥取砂丘だったら....そんなたくさんの"If"がこの一瞬で頭をよぎった。

 

でも"もし"はない。

 

スマホは角から地面に叩きつけられ、そしてバウンドしてまた別の角を打ち付け、勢い余ってさらにもうワンバウンドして3つ目の角に傷をつけた。

 

(今3バウンドしたな..)とドキドキしながらスマホを拾い上げる。

 

周囲からは「あーあの人スマホ落としてお気の毒に」という控えめな視線をムンムンと感じる。僕はそれをはねのけるようにできるだけクールに装った。でもだいたいスマホ落とした人って平静装ってクールに拾うよね。

 

落としてる時点で超ダサいのに。

 

信号が青になる。

とりあえずスマホを片手に横断歩道を歩き始める。

 

バキバキである。

ひびが左上から右下までスパーンと入っていて、いや、それだけではなくてもう、あらゆる角度からバキバキだ。3バウンドしたのがよくわかる割れ方だった。

 

 

保護シートを貼っていたので割れた画面が溢れてくるようなことはなかったが、シートがなかったらもう破片がポロポロ崩れてくるような案件だなこれは。

 

 

電源をつけて軽く操作してみる。操作には特に問題はない。画面がやたらと見づらいだけで。先ほどしようと思っていたラインを打ち込む。それから今の画面をスクリーンショットして友人に送り「たった今スマホの画面割れちゃった!見て、こんなにバキバキ!」と打っておいた。

 

 

もちろん冗談だ。

スクリーンショットでは割れた画面は見れない。

 

 

 

おしまい