襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

異業種対抗クイズ大会

 

第一回異業種対抗クイズ大会は大きな盛り上がりを見せて閉幕した。

様々な業種の人間が熾烈な争いを繰り広げる様子は生中継で配信されている。

 

「それでは勝者に登壇していただきましょう!勝者の方、前へ!」

とナレーターが男性に声をかけると彼は

「いや、私は商社ではなくメーカーの方なので...。」と固辞した。

 

 

ナレーターは少し戸惑いを見せたが、気を取り直したようで「敗者の方、残念でしたね。」と女性に声をかけると彼女は

「私は歯医者ではなく内科医なのですが...。」と申し訳なさそうに答えた。

 

 

 

 

おしまい

夢を見るように僕は文章を書いた

 

友人が卒論に追われているらしい。

 

 

卒論って書いたことない。

僕は美大生だったので「卒業制作」って言って作品を作ったんだ。

なんでも卒論っていうのは一つの題材について2万字以上の文章を書かなければならないらしい。

 

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そりゃ大変だ。

2万字というとなんだ...。原稿用紙50枚分か。うーん、これは大変そうだ。腱鞘炎だ。

あ、でもどうなんだろう。

現代人だからやっぱりパソコンで書くだろうから、引用したり資料を引っ張って来たりした分も入れていいのだとしたら少しは軽減されるのかしら。ダメかな。

 

 

 

話が逸れるけど急速なパソコンの普及で、レポートをコピペで済ませる学生と、コピペを発見するソフトウェアを使う教授の熾烈ないたちごっこが各地で展開されているらしい。

最近のコピペ発見ソフトは優秀で、細部をいじってごまかしても文脈を汲んでソース元を発見してしまうらしい。そしてそれをさらにかいくぐるために学生が手法を凝らして...とやっているうちに学生は真面目にレポートを書いた方が楽だということに気づくっていうね(笑)

 

 

 

話を元に戻すけど、累計であれこれ書いて原稿用紙50枚ならなんとかなりそうだけど、一つの題材でそれだけの文章っていうのは大変そうだ。

しかも大学生だから内容はお固いものに違いないのだ。

帝国主義における民族文化の発展と衰退」とか「ドイツ観念論純粋理性批判の検証」みたいな小難しいタイトルから始まって、あれこれ書き連ねるのだろう。

わかんないけど多分そう。絶対そう!

絶対そう!

 

 

 

 

 

僕だったらどうかなぁ。

アイマスから見る偶像崇拝の影響力の検証」みたいなタイトルをつけてアイドル50人について原稿用紙1ページにつき1人ずつ紹介していけば50ページになるではないか。(!!)

 

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まあそれは冗談として、原稿用紙といえば僕は大学時代日記を原稿用紙に書いていた歴史がある。もともと中学の終わりに日記帳で日記を書き始めたのがきっかけなんだけど、だんだん文章を書くのが楽しくなってきて、日記帳の1日ページに収まりきらなくなり、多感だったこともあって原稿用紙になった。これでいくらでも書ける。と思って非常に安心したのを覚えている。

 

ところで僕のこれまでの最長の日記は原稿用紙25ページ分。

1日の出来事に対して。1万字である。

 

これは大学1年生の時に好きだった子を含むサークルのメンバーでディズニーランドに行った時の日記で、出発前の意気込みから、舞浜へ向かう途中の電車での会話から、夜解散してから電話して振られるところから、そのあと夜道をあてもなく歩き続けたところまで、非常に綿密に書いてある。怖いくらい。っていうか怖い。

振られて家に帰って来て、夜0時から太陽が登るまで日記を書いていたのを今でも覚えている。

 

 

 

 

 

 

このころはなんだったんだろうなぁ。

なんであんなに文章を書いていたんだろう。

全然、一生懸命書いていたつもりはない。呼吸するようにペンを走らせていた。多分、二度と来ない青春を、二度と来ないと初めから実感していて、理解していて、だからこそ、それを一日残らず「本当にあったこと」だと証明し続ける必要があったように思う。

書かなければ、なかったことになってしまう。

書くことで初めてそれは僕の中で"起こる"。

 

 

言い直すと、これは結構すごいことなんだけど、書いたことだけが僕にとって起きたこととして認識されたのだ。だから僕は書いたのだ。あれだけ必死になって、あの1日あった出来事、過ぎ去っていって、古いフィルムみたいに劣化していつか必ず忘れてしまう日々を、可能な限り丁寧に書いておいたのだ。それは必要性だった。

 

そういう意味で僕はやはり病的だった。書いたことが起きたこととして認識されるのだとしたら、書かなかった日はなかったことになってしまう。そして振り返って日記を省みるに、それは本当だった。9月1日の日記があって、9月3日の日記があって、その間に何も書かれていなければ、それはなかったのと同じことなのだ。振り返ってみれば。それってすごく当たり前で、しかし看過できない重要なことなのだ。少なくとも僕にとっては。

 

人は眠っている間にその日あった出来事を整理する。その作業が垣間みえてしまうのが夢だとするならば、僕は夢を見る代わりに眠らずに文章を書いたのだと、今振り返ってみてやっと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

髪を切った日の夕方のような足取りで

 

髪を切ってもらうために行きつけの美容院へ。

いつもの美容師さんが「今日はどんな風にしましょ」と言って、

僕はいつものように「格好良くしてください」と応える。

 

 

美容師さんはニッと笑って「はい、スーパー格好良くします!」と請け負う。

段取りの時点でこちらの期待を超えるー。プロとはそうあるべきなのかもしれない。

 

 

 

髪を切ってもらい、洗髪してもらい、肩をほぐしてもらい、頭皮のマッサージをしてもらい、眉毛を整えてもらい、顔を剃ってもらい、サービスで美容液を顔に塗ってもらう。これで4500円くらい。これって高いのだろうか安いのだろうか??

 

 

すごく腕がいい美容師さんなんだよ、

と僕が友人に自慢したら友人が「僕もそこで切ってもらうかな。普段は1000円カットなんだけどね。」と言った。ぜひ行きなよと勧めると「まずそこで切ってもらって、翌月からは1000円カットで同じ髪型にしてもらう。」と言い出すので震撼する。

 

全国の美容師を震え上がらせる言葉だ。

日本中の人がそれをしてしまったらほとんどの美容師は廃業に追い込まれてしまうのではないか...??

 

1000円カットの床屋にしてみれば(僕は床屋という言葉に差別的言語イメージを持っていないので平気で床屋と口にさせてもらおう。そもそも床屋が差別用語なんていうのは一部のインテリが語源を遡ってうそぶいているだけで、当人の床屋は自分のことを床屋というのだ)来たお客の髪を一ヶ月分カットしていけばいいだけの話なのだ。1cm伸びたのなら1cmずつ全部カットすれば元どおりになる。

 

 

となるとそれを防ぐために美容師に求められるのは快適な美容室を心がけたり、お客さんが喜ぶようなトークを磨いたり、肩をほぐすようなプラスのサービスを考えたりするようなおもてなしなんだろうな。

 

1000円カットみたいな合理的経済的なものがどんどん進出していく一方で

僕が通う美容院みたいな上質なサービスを楽しく考えているようなお店も負けないくらい発展していくといいな。

 

 

余談だけど、髪を切った夕方は、なんでも新しいことが出来ちゃうような無敵な気分になれるんだよね。僕だけだろうか。

 

 

 

 

おしまい

ありがとう!!襟を立てた少年4周年記念

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はてなブログから通知がきて、何かと思えば襟を立てた少年が4周年を迎えたというじゃないですか。

おぉ〜!すごーい!やったーー!!

 

 

 

 

4周年ってことはつまりこれからは5年目に突入するってことだ。

いやあ、5年目って重みのある言葉じゃないですか。「俺も5年やってるけどさ..」みたいな前置きで何か言われた日にゃ、やっぱりきくじゃないですか。

 

 

 

僕はただなんとなく、慢性的に惰性的に続けてきただけなのであまり偉いことは言えないのだけれど、それでも4年もコツコツと何かを続けてこれたのは自分でも驚き。もちろんブログを続けていく中で、全然書く気が起きなくて書かない時もあったし、書きながら「これすでにつまらんわ..なんてつまらない文章書いてるんだ俺....。」と思いながら書いた記事もあった。あとは「うわあすげえ記事かけた!やばい!」って盛り上がりながら誰にも評価されなかったり。

 

 

 

あとはなんだ、熱心に読んでいたブログが急に更新されなくなったり、あるいはいつもスターをくれていた常連さんがふといなくなったり。僕に習ってブログを始めてくれた人もだいたいいなくなってしまった。やっぱりブログって続けるのが難しいよ。

 

僕にとってブログは、素振りだ。

 

 

バットを振るイメージ。状況を思い描いて、あるいはその時のコンディションのままに、バッドを振る。体調が悪かったり気が乗らなければ振らないし、あるいは無理して降って、クソみたいなスイングだったりする。それもいい。

あるいは、すごく調子がよくてブンブン振り回すことだってあっただろう。そうやって積み重ねて、今日になりました。

 

 

日常の記録とか、文章の上達とか。読者を増やしてアフェリエイトとか。

そういう意味性とは逸脱した、もっと単純で自己完結的な動作。その気まぐれなスイングの連続が僕の人格を表現し得るのであれば、それが僕にとっての襟を立てた少年なんだろう。

 

 

 

「これは素振りなんだ」と決め込んでから、随分楽になった。

一時期はとにかく良いことを書かなきゃ、有益なことを書かなきゃと肩に力が入っていたけれど、そうなるとどんどん辛くなる一方で。毎日書こうって決めた時も本当に辛かったし、自分自身との約束だとしても強要されるのってしんどいわ。禁煙もそうなんだけど、とにかくマジで継続させると誓ったなら、だらだら続けろ。これが、僕が4年ブログを続けてきてようやくやっと言えるたった1つのアドバイスだ。

 

 

 

 

全然関係ないけどこないだ今年の夏に全力で書いたエッセイがコンテストで落選しました...。めげずにまた書こうと思う。

 

 

いつも読んでくれているみなさん、本当にありがとうございます。

ふらりと寄って読んでくれたかた、きてくれてありがとう。

っていうか、出会ってくれてありがとう。

 

今まで僕と出会ってくれた全ての人に感謝を込めて!

これからもよろしくお願いします。

 

 

andy0330.hatenablog.com

 

 

僕は香水をつける男性です

 

僕は香水をつける男性です。

という話をします

(...男性が香水つけるのってどのくらい市民権あるんですか?)

 

香水をつけることになったきっかけ

 

大学1年生18歳。

その頃知り合った素敵な友人が、いつもアバクロの香水をつけていて、街中で同じ匂いが香るだけで「あれ、あの人がいるのかな?」と振り向いてしまったり、次第に"アバクロ=その人"っていうイメージが強くなっていくのを感じて「そういうのいいなぁ」と漠然と思ったのが始まり。ちょうどアイデンティティーとか「自分らしさ」みたいなところでナイーブになってた時期で、「フェラーリといえば赤!」みたいな属性が自分にも欲しかったんだろうなぁと今振り返って推察する。

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それから色々香水を漁って、買ってみたりしたんだけど全然習慣づかなくて。

だって香水臭いんだもん。

香水特有の臭いって、人がつけてるからたまに香って「イイね」ってなるのであって、自分がつけるとずっと香ってて食欲が湧かない...。ほんと、ワンプッシュしかつけてないのにだよ?

 

 

それから、「そうだ、好きな花を纏おう」と思いついて、世界で一番好きな金木犀の匂いを探した。で、結局京都のお店の練り香水がもっとも再現度が高いことがわかって、京都駅に行ってわざわざ買いに行った。これが19歳の時。

 

それからずっと金木犀の香水をつけている。

今25歳なので6年間ずっとこの香水を使っていることになる。

 

 

舞妓さんの練り香水「うさぎ饅頭」 金木犀

舞妓さんの練り香水「うさぎ饅頭」 金木犀

 

 

 

金木犀のシーズンになると普段あんまり連絡を取らない人から連絡が来たりする。「元気?」とか他愛もない連絡なんだけどそれがたまらなく嬉しい。

 

 

 

うまく締まらないけど、僕が死んだら金木犀の木の下に埋めてください。

 

おしまい

 

 

 

 

読み返す秋

今週のお題「読書の秋」

 

「嫌われる勇気」を読み直して、本日読了しました。

同じ本を読み返すのってすごく豊かな行為だと思う。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

並行していた「サピエンス全史」がベストセラーだけあってやたらと面白いので

今度はこちらに集中して読んで行くことになりそう。

 

 

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 

 

 

秋は読書の秋なので、普段より読むぞーって思うんだけど、

ノルウェイの森」に出てくる主人公よろしく、色々な本を読むと言うよりは一冊の本をなんども読むタイプの読書家なので、「今年もこの季節が来たか」と思ってまた同じ本を読むのである。

 

だいたい、なんども読むことになる本は決まっているので今回はそれを紹介したいと思う。いずれも今年中に読みたい「読み終えた本」です。

 

 

TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)

TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)

 

 

小説はこの一冊。

最近はますます小説を読まなくなった。

しかし、世の中には小説なんて役に立たないとバカにする人がいるけれど、それは物語を読み解く心の余裕がない人の負け惜しみのように思われる。こういうことを語るたびに僕はエルマーの冒険の日本語版を作った翻訳家の渡辺茂男氏の「実在しない生き物が子供の心に椅子をつくり、それらが去った後に実在する大切な人を座らせることができる」という言葉を思い出すのだ。 

 

 

 

考えの整頓

考えの整頓

 

 

僕がクリティカルデザインに興味を持つことになったきっかけの本。著者佐藤雅彦は「ポリンキー」のCMの作者であり、ピタゴラスイッチの生みの親でもある。「暮らしの手帳」での連載をまとめた本なのでクリティカルという言葉もスペキュラティブという言葉も出てこないのだけれど、人が生活する上で出会う新しい感覚・意識みたいなところにぐーっと入って行く姿勢がすごく面白くて惹きつけられる。

 

 

 

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

 

 間違いなく今年一番衝撃を受けた本。

今は友人に貸しているのでここでは語らないけれど。

まだまだ読みたい本がたくさんあるのだけれど、TOEICの勉強が残っているのでこの辺りでよしておきます.....。

 

ああそうだ、TOEICを受験するのです。今年の下旬あたりに。

目標スコアは600点くらい.....頑張ります。

 

 

おしまい

紹介しきれなかった本は下にぶっこんでおきます。

 

 

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

 

 

 

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)

 

 

 

対面的: 〈見つめ合い〉の人間学 (単行本)

対面的: 〈見つめ合い〉の人間学 (単行本)

 

 

 

会社のことよくわからないまま社会人になった人へ

会社のことよくわからないまま社会人になった人へ

 

 

 

世界を変えた10冊の本 (文春文庫)

世界を変えた10冊の本 (文春文庫)

 

 

 

 

 

 

 

脱スマホしました

 

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経緯

 

 

スマホしよう!

と突発的に思った。

 

昔から言い出したらきかないという性格があって、さらにいえば「思った時には行動している」ところがあって、

 

「バックパックしてみよう!」

と言って翌月アメリカを縦断したり

 

andy0330.hatenablog.com

 

「断捨離をしてミニマリストになろう!」

と思って持ち物を200個捨てたり

 

andy0330.hatenablog.com

 

 

親から「危うい」と評されるくらい思いついてからが早い。

そういう訳で今回「脱スマホ」をすることにした。

 

 

 

 

なぜ脱スマホするのか

 

理由は3つある。いずれもスマホの弊害を原因としている。

 

スマホは便利だし楽しい。

 

便利だし楽しいが、それは与えられたものであって勝ち取ったものではない。

受動的であって能動的でない。適切に使えば生活を豊かにしてくれるが、それを上回って、"ついつい"余計なことをして無駄な時間を過ごしてしまう。

 

ネットサーフィン、まとめサイトの徘徊、youtubeのおもしろ動画、ネットショッピングサイト...。

 

人によるだろうが、これが僕にとっては極めて無意味な時間に思えて、それでもやめられない自分に悶々とする....。時間を余計に消費したくないから。これが1つ目の理由。

 

 

 

それからSNSがやばい。

ひとたびインストールしてしまえば、暇さえあればSNSを覗き込んでいる。

 

Twitterでの面白いネタ、癒される動物の動画、話題のこと、友達の出来事....。

 

電車に乗る。

乗った瞬間にスマホを取り出してLINEに何か来ていないか確認。

その後でTwitterをチェック。読んでいないパートを全部読み終わって、興味深いものにはふぁぼをして、面白いものにはリツイートをする。

それからFacebookを開く。友人がバーベキューをしたり、海外旅行の写真をあげているのをひたすらイイねしていく。次はinstagramだ。イイ感じの写真にまたイイねをしていく単純作業。それでも時間があれば読書でもしようかと思うんだけど、そういえばスマホゲーム今日はやってなかったなって思い出してスマホゲームを始める。

電車は進んでいるけれど僕自身は一切前進していない気分だ。SNSでいろんな人と繋がっているような気がするけれど、実際親睦が深まっているかといえば全然そんなことないっておもう。

 

 

常にSNSが気になっている自分がいる。

SNSばかり見ているし、 SNSを見ていない時はSNSが気になっている。

 

 

今「サイピエンス全史」を読んでいるのだけれど、猿人類は「うわさ」を武器にして繁栄して来た経緯があるらしい。「あっちのほうに獲物がたくさんいるぞ」とか「向こうからライオンがくるぞ!」とか伝え合って危機を乗り越えたりより暮らしやすい土地に移動したりして来た。さらに群れが大規模になってくると「あいつはすぐに食料を横取りする。」といった高度なコミュニケーションを取るようになる。

 

そういった250万年前から続く"習性"のようなものが僕たちの間に残っていて–––その習性がSNSの特性に合致していることによって–––SNSに夢中になってしまう。つまりこれはあれだ、性(さが)なんだな。

 

とはいえSNSは獲物がどこにいるのかを教えてくれないし、ライオンがいる場所も教えてくれない。「5000兆円欲しい」「童貞を殺すセーター」とか、SNSに蔓延するバグに意味はない。情報の屑かごだ。このあたりが2つ目。

 

 

それから、スマホは古くなる。

次々に新しいOSが発表されて、その度に取り残されないようにスマホを更新する。

古くなったスマホは新しいOSをインストールできない。そうするとじわじわと色々なアプリが更新できなくなっていき、やがて使えなくなってしまう。

iPhone5iPhone6より劣っている。iPhone7を買った!と思ったらiPhone8が出てしまう。おそらく今iPhone5で自由にいろんなアプリを使おうとしても全くままならないだろう。

 

つまり比べられる。これが3つ目の理由だ。

優劣の際限ない競争に否応無く放り込まれることになる。「自分は人のスマホなんて気にならないから大丈夫です」とはなかなかいかない。OS更新がそれを許さないだろう。

 

スマホ

 

以上のような理由を筆頭にして僕は脱スマホを決意し、

翌週ワイモバイルショップへ赴き、ガラホへと機種変したのだった。

SoftBankのDIGNOという機種だ。

 

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ガラホって知ってる?ガラケースマホでガラホ。

簡単にいうと「ラインができるガラケー」だ。機種変したケータイを箱から取り出してみる。折りたたまれた長方形の物体。すごく懐かしい感触だ。

SIMカードをさして起動する。やけに縦長の画面。物理キーボード。

電池がすげえ持つ。1週間充電せずに使い続けることができる。まあスマホみたいにひっきりなしに見てないからね。もともとガラケーってそのくらい持つものだった気がする。

 

 

 

 

携帯電話。

電話を携帯している久しぶりの感覚。

それから電車に乗って、スマホの時みたいにガラホを開く。

ラインは来ていない。メールも来ていない。他にやることがない....。

 

 

 

まあ、ガラホとはいえ検索はできる。ググれる。

だからどうしてもTwitterをしたくて仕方がなくなったら(そんな時は永遠にこなかった)まずブラウザを起動して、検索窓に"Twitter"と打ち込んで(物理キーで)Twitterにアクセスし、ログインしてタイムラインにアクセスする。

物理キーボードの十字キーをカチカチカチと押してタイムラインを押していく。めんどくせぇ....。

 

 

 

 

 

僕はスマホから脱却して携帯電話を手に入れた。時間を取らない、SNSに巻き込まれない、他人と比べられないストイックな連絡手段として。

 

 

 

おしまい....なんだけど、この後、やはり検索はしたいとか、地図検索はさすがにしたいとか、現代社会を過ごすにおいて不便なところもどんどん出て来て、僕はガラホからまた次のステップへと移行することになる。のだけれど、それはまた今度のお話。

 

 

 

 

おしまい