襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

図鑑ブーム到来

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図鑑ブーム?

 

 

最近「図鑑」を書店でよく見かけるようになった気がする。

 

 

 

以前は書店の図鑑といえば入学シーズンに

平積みされる植物図鑑や昆虫図鑑くらいしか思い浮かばなかったものだけれど

最近だと「元素図鑑」とか「リアルサイズ古生物図鑑」とか「ビジネスモデル2.0図鑑」とか「経済学大図鑑」なんてのもある。

 

 

図鑑の強み

 

そういう有様を見て「図鑑なんて要所だけをまとめた便利本なんて読んでも何も得られはしない。哲学図鑑を読んでソクラテスがわかるか?ニーチェがわかるか?きちんと原書を読まない事には意味なんてないのだ」などと一蹴するのはあまりにも簡単だが、

 

哲学について何の知識もない人間がいきなり哲学書の原書を読むのは到底不可能であり、入門書とか、知識学問のためのロードマップのような気持ちで図鑑を買い求めるのも良い事だし、そういうことができる流行がある事に僕は喜びを感じている。

 

 

図鑑っていいよね。

積ん読じゃないけど、持っているだけで自分がパワーアップしたような気分になる。

例えば花の図鑑を持っていれば、別に読んでいなかったとしても「こっちはいつでも花の名前を調べることができるんだからな」と強気な気分になることができる。

ちょっと本意とは逸れるけどニュートンも口にした「巨人の肩に乗る」という言葉通り、僕たちは全部を一から考えてみる必要はなくて、先人の発見した叡智・知識を学び蓄える事で本来自分が見るよりずっと高くからの景色(巨人の肩)と出会うことができる。

 

 

最近ではネットが発達したとはいえ、その情報の信憑性については個人に判断が委ねられている。特にwikipediaなんてものは調べれば調べるほどにアテにならず、最近はなるべく見ないように心がけている(総じて文字がつらつらと密集している情報の塊のようなものに人は知性を感じ、信じてしまうものなのかもしれない)

 

図鑑であれば最新のものを購入すれば情報は常に新しく、さらに出どころが明瞭で責任者が名前を出しており責任の所在が明らかである。匿名による意図的な情報の介入や悪意のある情報の編纂がないのだ。

 

さらにその情報が一貫して整理されていて、索引もついていて見やすい。

本は物体であるため重くて持ち歩きには適さないが、一番の優位性は「パラパラ読める」ことだと思う。

 

観光のような図鑑

 

僕はこれを便意的に「観光的」と呼んでいるのだけれど、行き当たりばったりに偶然出会う事に価値を見出すことができるのは図鑑ならではの強みだろう。

一つの花について調べて見たら次のページの花も綺麗で、そうして読み進んでいるうちに数ページ読み込んでしまったーというような経験をしたことのある人は存外多いのではないか。

 

 

つまりは図鑑は「調べるためのツール」として用意するのではなく、「綺麗な写真がついている分厚い読み物」として購入した方がハードルが下がると思う。

 

 

 

....とこのくらいの記事を書いておけば

自分に対して新しい図鑑を買う言い訳ができたような気がする。

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

世界で一番美しい元素図鑑

世界で一番美しい元素図鑑

 

 

 

古生物のサイズが実感できる!  リアルサイズ古生物図鑑 古生代編

古生物のサイズが実感できる! リアルサイズ古生物図鑑 古生代編

 

 

 

 

仕事のようなゲーム、ゲームのような仕事

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23歳、突然ゲームに対する関心が死ぬ

 

任天堂から「ポケットモンスター 赤・緑」が発売された時が4歳の時で、

幼少の頃からテレビゲームばかりして育った。テレビゲームの歴史は

僕の歴史と平行に刻まれてきたのだ。

 

 

そんなゲーム好き体質はどこへやら

 

社会人になり、会社勤めをしてからほとんどゲームをしない人間になってしまった。

魅力的なパッケージは様々なハードからどんどん出ているのに

「やりたい」という意欲が湧いてこない。

 

 

 

 

「これが大人になるということなのか」という謎の感慨を抱いて

僕は余暇を散歩やお絵かきやスポーツに充てるようになった。

 

 

そんな中、先日youtuberがとあるゲームを実況していた。

 

その名は「Poly Bridge」

 

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車が対岸へ渡れるように橋を渡すシュミレーションゲームだ。

 


素人が橋作りに挑戦してみた 【Poly Bridge 実況 #1】

 

 

この橋づくりが結構シビアで、橋を作ること自体は

マウスでクリックしていけば誰にでもできるのだけれど、

橋が崩壊しないように強度を考えて建てなければならない。

 

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実況者が「これはどうすれば倒れずに済むのかな」と言いながら

ゲームを楽しんでいるのを見て僕は「これはもうほとんど仕事だな」

と思い、思ってからハッとした。

 

 

 

僕はきっと、ゲームをするように仕事をしているのだ、と。

 

 

ゲームのような仕事、仕事のようなゲーム

 

 

内線で相手に電話をして約束を取り付ける

協力会社にメールをして交渉する

金額を合わせて見積もりをつくる

提案書をパワポでつくる

会議でブレインストーミングをする

プレゼンテーション上達のために動画をみる

 

 

自分が普段やっている仕事のどの部分を切り取っても

僕はそこにゲーム性を見出す。

それは本来の意味とは違ってもゲーム脳と言えるのかもしれない。

 

 

 

 

僕たちは3歳児ではないので、どんなに新しい物事に直面しても

今まで経験したことを参照して活かすことができる。

 

例えば、プリモシュ・ログリッチというアスリートは

今までスキージャンパーとして活躍していたのにそれを引退して

自転車競技の世界に入り、今はツールドフランスで活躍している。

 

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グリッチ自転車競技の世界に入って、

スキーの経験を全て捨て去ったのだろうか。僕はそうではないと思う。

日々の食生活がパフォーマンスに影響を与えること。プレッシャーのはねのけかた。メンタルのコントロール。筋トレの手順。怪我しないためのルーティン。

スキーから自転車への転向で、今まで知らなかったトレーニングや考え方に

たくさん直面するだろうが、それを逐一「これはスキーでいうとこうだろうな」と過去の経験を参照して咀嚼することができるだろうと思う。

 

 

これは僕たちにしても当てはまることで、

過去の受験や就活の経験、友達と遊んだこと、部活を頑張ったことは

自分の中の経験として蓄積されていて、新しい物事にぶつかった時に「これはあの時のアレの似たようなことだな」と僕たちを助けてくれる。

 

 

 

僕にとってはおそらくゲームがそれになっていて、

準備をしていかないとボスは倒せないことや、

地道なレベルアップをすることでしか前に進めないこと、

チームでは一人だけが強くても生き残れないこと、

そういう一つ一つが日々の仕事に大いに役に立っているのだ。

 

 

そのゲーム脳のせいで、僕は多分

仕事中にゲームをしているような気分になっていて

逆にゲームをしようとすると

仕事をしているような気分になってしまうのだと思う。

 

 

結論

 

結論というほどのことを僕は書いていないのだけれど、

とりあえず仕事ばかりしていると疲弊してしまうので

遊ぶことで脳の違う部分を使うことが重要だ。

 

脳の違う部分を使うことが精神のリフレッシュや

仕事での新たなアイデア創出に繋がって、結果として

仕事のためになったりする。

 

ただ僕の場合、その遊びをゲームとしてしまうと

脳の同じような部分を使ってしまうようなので

ゲームではない別の何かで遊ぶ必要があるみたいだ。

 

パソコン見続けて、帰ってからネットゲームでパソコンを見てたら

目も疲れるしね。

 

 

 

おしまい

 

 

 

田舎オタクと東京オタク

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田舎オタクと都会オタク

 

www.jigowatt121.com

 

 

こちらの記事が面白くてスラスラ読んでしまった。

田舎オタクが都会オタクに嫉妬している構図である。

 

 

記事の趣旨としては

「都会オタクは自分の幸せをちゃんと噛みしめるべき」

みたいなことのようだ。

 

 

ちょっと関係ないかもしれないけど

僕はこの記事を読んだ時に「田舎のネズミと都会のネズミ」というイソップ寓話を思い出した。

 

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内容としては田舎ネズミが都会ネズミを食事に招待すると、都会ネズミが「こんなショボい食事を毎日しているなんて可哀想に。都会は最高だよ」と言って今度は都会の食事に招待するんだけど、都会は食事中に人間や猫がネズミを捕まえようとするので田舎ネズミは「こんな危ない場所はまっぴら御免だ」と言って田舎に帰るーというものだ。

 

この物語の教訓としては「幸せは人それぞれなので満足できる形や安心できる場所は異なる」というものだが、どうやらオタクはそれに当てはまらないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は自分がオタクなのか自分でも決めかねているところがあって、その理由は

 

・いわゆるオタクに対する漠然とした嫌悪、俺は違うぞという意識

 

・オタクと自称するとガチオタクに攻撃されるのではないかという恐怖

 

なのだけれど、

まぁ推しの声優の発売日に秋葉原に走ったり握手会の応募ハガキを嬉々として書いたりライブビューイングでサイリウムを振っていればオタクだろうよ、

ということで僕は今日から東京都在住の「都会オタク」です。

 

 

 

僕がなぜイソップ寓話を引き合いに出したのかと言えば

これになぞらえて「田舎オタク」「都会オタク」という表現が気に入ったから。

あなたは「田舎オタク」ですか?「都会オタク」ですか?

 

 

 

この対極構図は「君の名は。」っぽくもあるのかな?

あれの場合は「田舎高校生」「都会高校生」だろうか。

 

 

 

都会オタクは自分のアドバンテージを自覚すべき

 

そだねー。 、と思う。

いや、ちょっと前から思ってたけど都会オタクってすごい捗る。

田舎オタクは「自分がオタクである」という理由だけで転職して東京で生活した方がいいのではないかと本気で思う程度に、東京はオタクに優しすぎる。

 

ゲーマーズとらのあなアニメイトなどが点在していて、発売日にきちんと店頭に商品が並ぶし、何ならフラゲもできる。店頭特典が充実しているし、欲しいものがきちんと手に入る。

 

 

僕は「好きな声優のアルバム今日発売かぁ。ちょっと時間かかるけど行くかぁ」と家を出て歩いて20分で秋葉原に行き、CDを購入して帰ってきた。

帰ってきてから「これ田舎オタクが聞いたら怒り狂うレベルで贅沢だよな」と痛感したのだ。

 

 

僕は「田舎でスローライフしたいなぁ!」という欲望はあまりないけれど、自分が都会に住んでいるアドバンテージにはきちんと感謝して、変なところで田舎オタクを刺激しないように気をつけなきゃな、と気を引き締めるのでした。

 

 

おしまい

 

 

未来がやってきても

 

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最近はIRだのARだの、VRだのiPSだの

ドローンだの自動運転だの

ずいぶんと未来感を醸し出してきているけれど

 

 

2018年になっても電車で酔っ払いは吐くし

来週の天気はわからないし

相変わらず人はいつか死ぬ

 

 

どんどん文明が発達して

おまけにそれが加速しているものだから

僕たちは一体どこへ連れて行かれてしまうのだろうかと

不安になることもあるけれど

 

きっとこの先どれだけ未来になっても

やはり僕たちはケータイをトイレに置き忘れるし

人の陰口に傷つくし

恋をするのだろうと思う。

 

 

そういう「なあんだ」感が僕は結構好きで

結局ベースの人間っていうのは全然進化しないっていうのは

ある意味救いなのかなと思うようにしている

 

 

 

おしまい

仕事において「誰のせい」とかなくね?

 

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仕事で「誰のせい」とかなくね?

 

 

仕事中にあれこれ修正が重なって

つい言い返したら「え、私のせいですかね....」みたいに言われて

「そういうことではなくてさ!」ともどかしくなった。

 

 

 

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本当にその人のミスかは誰にも観測できない

 

 

例えばあるペーペーがミスをしたとする。

 

 

そのミスはそのペーペーのせいだろうか?

僕はそうは思わない。

 

 

 

そのペーペーはそもそもきちんと説明を受けたのか?

教育者は誰で、管理者は誰なのか?

 

チームで仕事をしていたなら一緒にいた人間も

そのミスが起きないためにアクションを起こせなかったのか。

 

もっと言ってしまえば、

そのペーペーが驚くほど能力がなくて、向上心もなくて、

十分な教育とトレーニングを与えて、全体でミスがないように

再三確認してもまだペーペーがミスを繰り返していたら

それはもはやそいつを採用した人間にも非があると僕は思う。

 

 

誰のせいとか、僕はないと思うし、

仮にあったとしても興味がない。

 

それで仕事が進むわけでも改善されるわけでもない。

誰かのせいになるということは、誰かのせいではなくなるということだ。

 

 

仕事は相手あってのもので、大抵の仕事は人間と人間が関わり合って生まれるものだ。

そういう中においては何にしてもみんなのせいで、組織の中で働いている以上ミスの反省が全体で行うべきだと僕は思う。

 

 

ただ漫画でも描いてある通り、責任の所在を明らかにしないといけない時はあるだろう。問題の発端は誰なのか、プロセスの中の誰のパートでミスが起きたのか。そういうことをはっきりさせて置かないと記録が残せなかったり示しがつかなかったりすることは確かにある。

 

ただ、今回言っている「誰のせい」というのはそれとは別問題だと思う。

漫画にしてちょっとはもやもやが晴れた気がする。

 

 

 

おしまい

 

同期のありがたさ、を漫画にしてみた

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労働者は漫画を書かなければならない

 

初めて漫画を書いたのでその経緯とかを軽くまとめておく。

先日新宿のブックファーストでふと目に入った本があった。

 

 

労働者のための漫画の描き方教室

労働者のための漫画の描き方教室

 

 

 それが「労働者のための漫画の描き方教室」である。

これがまたとんでもない本で、一見この本は

「会社員でも楽しく四コマ漫画が書けるよ!」という本に見える。

表紙の可愛いキャラクターが「漫画を描いて苦しい自分を変えるんだ」と発言しているけれど見た目に騙されずに字面を追うと結構重いことを言っている。

 

 そして何より分厚い。リンダ・グラットンの「WORK SHIFT」の1.5冊分くらいある。

 実際に購入して読んでみれば中がすごく重くてびっくりした。

 

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内容としては、とか言いつつまで全部読んでいないのだけれど、

ただ漫然と社会の歯車をやっていると自分の存在意義やアイデンティティーを見失って精神が持たない現実社会なので、定期的に我々は自分や自分を取り囲む環境を肯定したり、客観視したり、あるいはクリティカルな目線で観察する必要があると。

そう言った新しい切り口で自分と自分の身の回りを静観するために、漫画を書こう、という内容なのだ。

 

読みながら考えてみると

普段から印象に残る会社でのシーンや、腹が立ったこと、人に伝えたいような状況など色々あったと思う。それを四コマ漫画に残しておけたらいろんな人に読んでもらえるし、その時のことをいつでも思い出すことができる。

 

何より会社の人だけでいいから、描いて伝えるってことをしてみたい。

そう思ってこの本に習って試しに4コマ漫画を描いてみることにした。

 

それでできたのがこの4コマ漫画だ。

 

 

 

【同期のありがたみ】 

 

 

 

 

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下書きに10分、ペン入れに20分かかったので30分でかけた。

読むのには30秒しかかからないだろう。コマ割りとか登場人物の配置の仕方とかも全然わからないから今まで読んだ漫画を脳内で再生しながら考えた。

 

絵のうまさとか、例えば耳がどこについてるかとか、手の向きはこれでいいのかとか、そういうことはなるべく考えないようにした。これは漫画であって絵画ではない。

伝えたいメインは文章であって絵ではない。

 

とにかく、描くのにはエネルギーが必要で、今の瞬間を逃すと次いつ「描きたい!」と思えるかわからない。だから、とにかく完成させる。このブログで再三言っていることだが、「完璧を目指すよりまず終わらせろ」である。

 

この拙い、拙すぎる四コマ漫画をインスタグラムにあげてみた。一人でも読んでくれていれば僕としては満足だ。すでに描き終えた時点でほとんど満足しているのだけれど。

 

 

本当は漫画をもっと磨いて、このブログでも手法としてどんどん使えていけたらい。なんて思っている。

 

 

おしまい

デザイナーが目をケアする3つのルーチン

 

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デザイナー4年目にしてとうとう目が悪くなってきた。

確かに前から目は悪かったが就職してから輪をかけて悪くなってきた。

裸眼の時に左右の像が合わなくなってきたし、目が乾いてシパシパするようになってきた。26歳でこれって果たして大丈夫なんだろうか...。

 

就職してから4年間ずっとデスクワーク。 

 

 1日8時間以上パソコンの光に晒される訳で

そりゃ目も悪くなる...少なくとも良くはならんよな。

 でもさー経ったの4年だよ?この先何十年も働くとして、これで良いのだろうか。

 

目は身体で唯一むき出しの内臓

 

そう言われると目をむき出しにしてる俺たちってすげー無防備じゃんって

急に不安になってくる。今回はそんな中僕が実践し始めた「目をケアする3つのルーチン」を紹介したいと思う。

 

 

 

 

1.毎日目を洗う

 

先ほど申し上げた通り「目は唯一露出している臓器」だ。

あなたはその臓器を毎日外界に晒し、排気ガスを浴びさせ、ハウスダストに直面し、空気中の埃やチリや花粉や細菌を平気で付着させて生きている。

 

 

え ちょっと待って。

最後にいつ「目を洗い」ました??

最後に水中で目を開けたのはいつですかって訊いてるんですよ!

 

思い出せない?えっーっ汚い!

確かに目には涙を流すことによって眼球の汚れを落とす自己修復機能が備わっているが、排気ガスや花粉みたいなものはそう簡単には落ちない。

 

 

僕は最近アイボンを愛用している。

 

 

【第3類医薬品】アイボンd 500mL

【第3類医薬品】アイボンd 500mL

 

 

これは水中での目パチパチを無痛でやる為の手段である。

この液体を蓋の透明なカップに注いで、それを目に押し当てて上を向く。するとカップの中の水は当然下に落ちてきて、その状態で目を開けば目を丸洗いできると言う算段だ。

 

僕はこれを使って目を液体に浸して、目をキョロキョロいろんな方向に動かし、それからなんども瞬きしてカップを外す。

 

するとなんと汚い。

 

 

どう汚いのかはうまく言えない。

変色している訳ではないし、カップの底に何かが沈んでいる訳でもない。

 

ただ、目から色々出ているのは明らかである。

まず液体の表面がまるで食べ終わった後のラーメンスープみたいに油が薄く広がってテカテカしている。これが厳密に何なのかは謎だが、少なくとも言えることは「こんなものは洗う前はなかった。だから間違いなく目から出てきたものだ」と言うことだ。

それから細かいカスのようなものが液体の中を漂っている。細かいものが結構な数浮いているのだ。普通に気持ち悪いけれどなぜか見るのをやめることができない。

 

これを両目ともやる。

初めて1ヶ月経って流石に目は綺麗になったらしく何でも浮いている訳ではないが、目を洗った時のさっぱり感が目薬なんかとは比べ物にならないのと、よく観察するとやはり何か浮いているので僕はアイボンを手放せなくなってしまった。

 

 

 

  2.週に1度、目の休息日を設ける

 

完全週休2日制にこだわり、休日出勤の気配がすればあらゆる手を使って阻止しようとするくせに、僕は目を週7、365日酷使してきたような気がする。

だいたい、目を休めるって言う発想がなかったんだ。

 

確かに眠っている時は目を休めているかもしれない。

でもそれって、「使ってない」だけで「ケアしている」ことにはならない。

 

例えるなら自転車を思い浮かべてほしい。

自転車をこまめに駐輪して「ほら休めさせたよ。自転車もこれで長持ちだね」と言うのは道理がおかしい。自転車をケアすると言うのは、車体を拭いたり、チェーンに油をさしたりタイヤに空気を入れることをいうのであって、停車させることはケアとは呼べない。

 

汚れたままのチェーン、空気の抜けきったタイヤで走る自転車を想像してほしい。僕たちは目に対してそういう仕打ちをしていないだろうか?

 

 

僕は普段コンタクトレンズをしているのだけれど、

週に1度を目の休息日と称してメガネで過ごすように心がけている。

 

この日は目の休日なので、出来るだけ遠くの景色を見たり(笑)、あるいは少なくともスマホゲームや読書に夢中になりすぎないようにする。

 

 

 

そうそう、コンタクトレンズって目に悪いそうだね。

コンタクトレンズって要は目に蓋をしてしまっている状態なんだ。

目も呼吸しているらしくて(初めて知った時はドン引きした)酸素を取り入れることで鮮度を保っているのだそうだ。だからコンタクトをつけ続けると目は窒息して細胞レベルで死んでゆく。

 

コンタクトレンズも進化しているので、最近だときちんと酸素を通してくれるコンタクトレンズが普及しているみたい。日本眼科学会によれば「昔はエベレスト山頂、今は富士山山頂」なのだそうだ。要は空気の量の話だろう。

それにしても富士山山頂も相当に空気は薄いから、やはりコンタクトレンズを外して生活する日を設けるのは目にとって大切なんだと思う。

(http://www.nichigan.or.jp/public/disease/hoka_contact2.jsp )

 

 

 

そして目が疲れたと感じたら「めぐリズム」である。

これはアイマスクの風体をしているが、ホッカイロのような機能を有していて、アイマスクのように目を覆うとじんわりじんわりと目を蒸気で温めてくれる。

これがすっごくキモチイイ。

これが本当に目のケアになっているかは疑問だけど、とりあえずキモチイイのはイイことだ。

 

 

 

3.PCレンズをする

 

デスクワークの人間は絶対にPCレンズをするべきだ。

僕はコンタクトをつけているのにわざわざPCレンズをつけている。

正直もうPCレンズなしでパソコン作業するのは考えられない。

 

そのくらいPCレンズによる目の負担軽減は圧倒的だ。

PCレンズはモニターから発生する目に有害なブルーライトを大幅にカットしてくれる効果がある。ブルーライトをカットしているので風景は黄色っぽく見える。

だからこれをつけた状態でデザインの色を確認したりすると全然色が合わなくてびっくりすることがある。そういう時はこまめにメガネを外さなければならない。

 

それにしてもPCレンズは本当に手放させなくなった。

今やPCレンズが僕の「仕事モード」のスイッチになっている。このメガネをかけると「仕事するぞー!」と力がみなぎってくるわけである。

 

今3つの目をケアするルーチンをあげたけれど、このうち1個だけ選べと言われたら僕は間違いなくPCレンズを選ぶだろう。

 

 

 

 

以上3つが、僕が実践している目をケアするルーチンだ。

そのどれもが「別にやらなくても死なない」ことだし「すぐに深刻なことが起こるわけではない」のだけれど、確かにこのルーチンをこなすことで日々の目の負担が大幅に軽減されていると感じるようになった。

 

 

このご時世「目に負担なんてかけずに毎日過ごしてるよ」なんて人はほとんどいないだろう。生活スタイルに応じて是非このルーチンを取り入れて見てほしい。

 

 

 

おしまい