襟を立てた少年

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【深刻度別】僕の落ち込んだ時の対処法一覧

 

 

 

 

 

 

 

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気軽なメッセージでも良いし、質問や記事にしてほしいこともお気軽に投稿していただきたいです。メッセージはすべて匿名で送信されます。

 

 

 

 

 

 

 深刻度別・僕の落ち込んだ時の対処法

 

 

 

今回はお題に回答する形で落ち込んだ時の対処法について述べる。

最初は軽度→重度の順番で執筆しようと思ったんだけど、そうすると読み進んでいくうちにどんどん僕が闇に落ちていく感じの記事になり、後味が悪かろうと思って逆の構成で記事を書くことにした。

 

 

 

  • ★★★★さいあく...取り返しのつかない人間関係の喪失など
  • ★★★☆ひどい.......大きなミス
  • ★★☆☆わるい.......人との衝突など
  • ★☆☆☆やれやれ...理由のない不快感・小さなミス

 

 

 

 

今回は4パターンの状況を想定して、落ち込んだ時にそれぞれどのようにして僕が復活するのかについて記憶を探った。以降4パターンの詳細について考えてみる。

出来るだけ多面的に、様々な対処法について書いてみるので、気に入ったものがあれば実践してほしい。

 

 

 

 

 

 

★★★★さいあく

何を持って"最悪"と呼ぶのかにもよるが、人が亡くなったり大切な人が遠くに行ってしまったり、あるいは以降の人生でも残りそうな傷を負った場合。

 

僕は、こういった場合その場しのぎの"対処法"というのは存在しないと考えている。

むしろそのときの傷を回復させようとして小手先で何か行動を起こしてしまったり、むやみに解決のために余計なことをしてしまったりすると状況が悪化することのほうが多く、手に負えない。

 

そういった場合、とにかく時間が解決してくれるのを待つしかない。

僕は最悪レベルにしんどい時期は医薬外品の精神安定のサプリメントを薬局で購入して常用していたが何の役にも立たなかった。結局時間が傷を癒すのを待つしかない。どんなことでも3年経てば、精神的には立て直せると僕は信じている。

 

直近でどうしても辛い場合はカウンセリングを受けてみるというのも一つ手かもしれない。意外と安く、良心的に体験させてもらえるところが最近は多い。

 

 

 

 

 

 

 

★★★☆ひどい

 

受験に失敗したり失恋したり裏切られたとき。

これも時間が解決するしかない、と言ってしまえばそれまでだが

時間が解決するのを待って体育座りしているわけにもいくまい。

 

 

 

 

特に女性はこうすることが多いと思うけれども、親しい友人に話を聞いてくれるのが一番だと思う。僕がひどく落ち込んだ時は1週間連続で違う人に会ってお喋りをすることで(必ずしも辛いことを打ち明けなくても)けっこう回復したりする。

ただこれを落ち込む度にやっているとただの「ストレス発散に友人を利用してる奴」なので注意が必要。

 

 

 

 

 

あとは全く異なる解決策としてはスポーツにのめり込むとか。

僕が今まで生きてきて得た数少ない真理の内の1つ

「努力は裏切ることがあるが、筋肉は絶対に裏切らない」

 

 

 

 

僕は酷く落ち込んだ時期にロードバイクを始めた。

 

気を紛らわせるために読んでいた漫画「弱虫ペダル」の作中で

「自転車は漕いだ分だけ前に進む 前に進む為の乗り物や」

 

 

 

 

 

 

みたいな言葉があり、「うおおお俺も前に進むぞー!」と謎の熱が入ってしまい、翌月には15万円をはたいてロードバイクを購入。

 

 

 

それからはひたすら自転車にのめり込み、翌年には富士山の麓から五合目まで24kmを自転車で登るクライムイベント「富士ヒルクライム」で銅賞を獲得。今でも趣味として本当に楽しんでいて、次のレースでは銀賞を目指したい。

 

落ち込んだ時期を、ただ「落ち込んでました。あのときのことは思い出したくもない」という過去にしてしまうのはあまりにももったいない。

 

僕はこのときにロードバイクを始めたおかげで、「あのとき落ち込んだおかげで今ロードバイクという趣味がある」と思うことが出来るし、落ち込んで生産性が下がっている時期を無駄にせずに済んだ。落ち込みから逃げるようにただただ自転車に乗っていた時期が振り返れば「努力」という軌跡になっていたのだ。

 

 

 

落ち込んだ時は一人で出来るスポーツを始めるといいかもしれない。

 

身体を動かすのは本当に良い。

追い込めば追い込むほど精神的には楽(笑)

 

 

 

 

ちょっと興味があって、やればやるだけ結果が出るもの...。

 

おすすめは水泳・自転車・マラソン.......ボルダリングなんかも楽しい。

 

 

変な話、過酷であればあるほど、それをやっている間は嫌なことを考えずに済むので、過酷なほうがいいっていう考え方もある。僕はトライアスロンも出たことがあるけど.....良いよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

★★☆☆わるい

自分のコミュニティー内で悪口を言われていることが発覚してしまったり、面と向かって角が立つことを言われたりした場合。

 

僕は好ましくない人と出くわしたときに、

その人はちっとも悪くなくて、その時たまたま事情があってこういうことになってしまったんだと思い込むゲームを始める。

 

andy0330.hatenablog.com

 

 

人間は多面的に人格を持っているので、そのときの気分や状況によってカオス理論的に態度を変えていく。それをお互いにやりながら僕たちは社会を運営しているので、その場その場のやりとりで気を悪くしている暇なんてない。

 

「普段はいい人なんだけどたまたま気分が悪かったんだろうな」

といかに考えるか。相手にどんなストーリーがあったのかを勝手に想像して脚本をつくり、自分で満足する。

 

 

例えば電車の中で、明らかに向こうが悪いのにぶつかってきて舌打ちされたら僕だって頭に来るし、その日の気分が台無しになりかねない(そもそも僕は比較的短気なのだ)ので、

「彼は昨日半年間看病した飼い犬が死んでしまったに違いない。

そうだ。それは人に八つ当たりもしたくなる。

根は優しい男性の心の傷がいつか癒えるように僕もこの車両から祈ろう。」

 

と発想する。

そしてこれを本気で信じて、そういうことにしてしまうのだ。

僕はだいたい★2つくらいの人間関係の衝突に関してはほぼ全部これで切り抜けている。ちなみに同じことをしている人は後にも先にも見たことがない。

 

 

 

 

★☆☆☆やれやれ

3時間作業したデータが消えたり、小学校の頃好きだった子をSNSで調べたらブサイクだったりすると落ち込む。

 

先ほど運動をさんざん推奨したけれど、僕はやっぱりランニングで発散する。息が上がるほど追い込むと、「大したことじゃないんだよな」と思い直すことが出来るからだ。

 

あとは

単純作業はけっこう落ち着く。

 

 

一番のおすすめはテトリスぷよぷよといったいわゆる「落ちゲー」。

 

 

ひたすら淡々と処理していくような作業ゲームは

ちょっとした落ち込みにはもってこいだ。

 

そもそも人間の脳はきわめて飽きっぽいので、同じ理由に対して落ち込み続けるのにも限度がある。だからこその「時間が解決」なのだけれど、ひたすら耐え続けるよりも代理で夢中になれるものを始めてしまうのが効果的だ。

 

プラモデルも楽しい。

 

 

 

 

総括

 

以上、書いてみて総括を述べると、

 

 

 

 

 

基本的に僕たちに落ち込んでいる暇はない。

 

 

 

 

 

落ち込んだ経験が人を飛翔させるのは、落ち込んだあとに這い上がったからであって、落ち込んだから飛翔できたわけではない。僕が思うに、落ち込んでいる時間はかなり非生産的な部分なので、極力それに時間を割きたくないと考えている。

つまり時間の無駄。

 

 

ましてや、他人によって落ち込む・苛立つ・傷つくなんてもってのほかで、

他人ふぜいに落ち込まされるなんて、それで時間を浪費するなんて、プチ自殺みたいなものなので僕はこれにも巻き込まれたくない。

 

だから上記で紹介したように

出来る限り他人によって気分を変えられないように

様々な工夫を凝らしている。

(他人から悪影響を受けない自己人格の形成については今後また述べたい。)

 

 

 

落ち込むのは時間の無駄。

僕ならその時間があれば僕は風を感じたり、花の匂いを嗅いで、

友人と笑い、新しいことを学びたい。

時間とは、そんな風に使われなければならない!

 

 

 

何が言いたいかと言えば、「治し方よりも予防しろ」ということだ。

僕の精神はどちらかと言えば「いかにして持ち直すか」よりも「いかに落ち込まないか」に重点を置いているのかもしれない。

 

落ち込まない基礎体力づくり。

これを意識的に身に着けていってほしい。

 

 

 

 

「時間がもったいない」という感覚を体感するために

たとえばこういうものがある。

 

 

wired.jp

 

 

「人が本来必要な貯蓄を継続することが出来ないのは、自分が老いていつか働けなくなるという確実な未来を想像するのを避けるからだ。」という仮定を裏付けるアメリカのとある実験では、パソコンで加工された「老いた自分の顔」を見せられた人はそれまでより多くの金額を貯金するようになったという実験結果がある。

 

 

 

 

僕もこのサイトではないけれど、

自分の老け顔を生成するアプリを無料インストールして、60年後の自分の顔を見たけれど結構ショッキングでそれこそ落ち込んでしまった。

 

 

 

ただ、「自分は老いていつか死ぬのだ」ということを積極的に意識するには非常に良い荒治療なので気になる人は試してみてほしい。

 

メメント・モリ

人の死亡率は100%で、自分もいつかは死ぬので、それを忘れずに生きていかなければならない。20台後半が100歳まで生きるとして、僕たちにはあと890か月しか残されていない。本当にその残りの寿命を消費してまで落ち込む価値があるものなのかそれは?

僕はいつもそれを自問する。

 

 

 

 

 

最後に

僕が大切にしている海外のことわざを送って今日は終わりにしたい。

 

 

 

 

"悩んで解決する問題ならすでに解決しているし、

悩んで解決しない問題は悩んでも意味がない"

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*今回の記事のようなことを書く僕の考え方の基礎になった

書籍をいくつか貼っておきます。どれも死ぬほどお勧めなので是非読んでほしいし、読んだら匿名コメントでも教えてくれたらとてもうれしい。

 

 

 

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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煩悩リセット稽古帖

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まんがでわかる 7つの習慣

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善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか 救心録 (祥伝社黄金文庫)

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自分のやりたいことがわからないのは、自分との対話不足だ

 

 

 

 

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andy0330.hatenablog.com

 

 

このあたりの続きの話をします。

 

 

自分のことをどれだけ知っていますか

 

流動し続ける見通しの悪い未来に対して出来ることの内の1つに「自分について知ること」というのを挙げた。

 

 

 

 

 

 

今の20代のうち50%以上が100歳を迎える時代だ。

これからの長い旅路で、僕たちは「自分」から逃れることは出来ない。

 

 

 

 

 

あなたは喫茶店で僕に言うだろう。

「まだこれから具体的に自分がどうしたいかとか、わからない。」

 

 

どうして自分のことなのにわからないのかと言うと、

自分との対話が出来ていないからだと僕は考えている。

あるいは自分に詳しくない、とも言えるかもしれない。

 

それは仲の悪い兄弟と似ている。

同じ家で暮らしているのにほとんど口をきかない。

傍にいるし、よく知っているつもりだけど、そういえばアイツはどんなときに喜ぶんだっけ?何が好きなんだっけ?と考えれば肝心なことは知らないことばかりだ。

 

自分との対話を定期的に行わないと、普段ルーティーンで生活する自分と、将来的にこういうことをしたい、というアイデアを出す精神の部分が「仲の悪い兄弟」状態に陥る。その結果「まだこれから具体的に自分がどうしたいかとか、わからない。」という台詞が出るに至る。

 

 

 

「自分に出来ることはなんだろう」「自分は本当は何をやりたかったんだっけ?」という自問自答を主体的に繰り返している人は大抵自分に詳しい。言い換えれば、"自分"と仲が良い。

 

 

 

「自分」はどんなものなのか。

 健康の傾向は?関心の対象は?何を知っていて、何を知らないのか?

これから様々なことを学び取り、生き抜くためのバイタリティは足りているのか?

 

 

 

 

andy0330.hatenablog.com

 

 

以前「自分の身体を知ること」と称してフィジカルに焦点を当てて似たような話をしたことがあるが、今回は自分の意識・考えについて自己認識する話をしたい。

 

 

 

 

僕は日記を書くことを推奨する。

 

 

僕の推奨する日記の目的は"自己との対話"になる。

 

本当は紙のノートに書いてほしいけれど、きっと難しいだろうからスマホのメモとか、あるいは非公開のブログをつくってそこに投稿するのでも構わない。

いやーでも本当は紙に書いてほしいな...。手は第二の脳とも言われていて、手で書いた時とケータイ入力したときだと脳の活性度がまったく違うので。

 

 

 

はじめは何でも構わない。

今日あったことをつらつら書いていくのでもいい。

ただ、Twitterだとどうしても文字数に制限があり、考えが細切れになりがちなので、文字数に制限のない環境で日記を書くことをお勧めしたい。

 

 

この段階ではまだ受動的な行為だ。

天気が良かった→嬉しい

上司に怒られた→悔しい

その日にあったことを書き綴る日記は大抵が受動的な内容だ。

自分の身の回りに起こった出来事に対してのリアクションを言葉にしているから当然そうなる。この段階ではまだ自己との対話は出来ていない。

でも、まずは書くことに慣れること。

 

 

 

日記を書くのに慣れてきたら、少しずつ自分について語ってみる。

 

・自分の好きなこと

・好きになったきっかけ

・強く覚えている過去

・自分が「これなら永遠にやっていられる」と思えること

・自分が楽しいと思う瞬間

・自分が許せないこと

・最近関心が湧いたニュース・テーマ・書籍

 

 

こういったことに対して、出来るだけ緻密に書いてみる。

ヒントは「なぜ?」と繰り返し自問すること。この自問する姿勢こそが主体的な状態である。そのとき自分はどう思ったか?なぜそう思ったか?しつこいインタビュアーのように何度も何度も質問を繰り返して深堀りを図る。これが自己との対話である。

 

 

自分のことについて深堀りするのに抵抗があれば、何か気になるニュースについて感じたことを書くのでも良い。それに対して自分がどう思ったか→なぜそう思ったのか→そう思ったことにはどんな背景や記憶が結びついているのかー..。

 

 

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コツとしては、すべて書くことだ。

 

すべてと言うのは「えーっと」とか「なんて言えば良いのかわからないけど」といった言葉も含めて、頭から流れ出た言葉をこぼさずに書き留めることだ。大切なのは何よりまず出す練習。文章の組み立てが無茶苦茶になってしまっても良いので、とにかく書いてみる。

 

 

はじめはうんざりするほど言葉が出ないだろう。蛇口を最大まで捻っているのに「ぽたぽた..」くらいしか落ちてこない日々がしばらく続くだろう。

 

 

言語能力は脳の筋肉なので、1日筋トレをしてもマッチョにならないのと同じだ。継続することによって少しずつ蛇口の開口を広げていくしかない。

 

 

日記を習慣化することによって「自分がどうしたいかわからない」状態から抜け出すこと。それが未来に向けて進む為の一歩だと僕は考えている。

それからのこともあれこれ書きたいけれど、今日はこのあたりで筆をおきたい。

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が何をしたいのかわからないなら、「こだわり」を見つける

 

「こだわり」の正体

 

先日、会社で久しぶりにディスプレイのデザインを一からつくる機会があった。

最近図面ばかり書いていたので面食らって、でもまぁとりあえず叩きで一発絵を描いてレンダリングで立ち上げたんだけどあんまり自信がなくて、

ディスプレイデザインをメインにやりまくってる花形の同僚に見てもらうことにした。

 

 

 

花形はやっぱりディスプレイの案件をやりまくってるだけあって

デザインに関するこだわりが凄い。

 

 

 

「もう十分かっこいいじゃん.....」っていうデザインを何度も手直しして、「ここはもっとこうしたほうがいい」とか「これはもっと他の方法があるはず」ということを日夜考えている凄いやつだ。

 

 

そんな「こだわり」を持っている花形の彼がよく口にした言葉がとても印象的だった。それは「許せない」とか「絶対」という言葉だった。

 

 

「ここで青の色が入ってくるのは許せない」とか「絶対さっきのほうが良かった」という使い方をする。つまり、こだわりというのはこういうことなのだ。

 

 

人が気にならないところが気になる。

人が「もういいんじゃない?」というところからもうひと踏ん張りする。

つまりは人より続けられる・人より頑張れるのが「こだわり」なのだと僕は考える。

 

 

この花形の同僚にしても、何もかもに関しても「許せない」「絶対」と言っているわけではない。それではただの頑固者だ。デザインとは違う分野については「そんなもんでいいんじゃない?」と言うのかもしれない。

 

 

 

 

仕事にこだわる こだわって働く

 

これがないとやはり厳しいと思う。

 

給料はそこそこで良い。役職がついて責任が増すくらいなら平社員で結構、

定時で帰ってゲームしたい。あるいは遅くまで働いてそんな自分を認めてほしい。

そういうのって楽しいの.....?と僕はついちょっかいをかけたくなる。

 

 

 

「こだわり」っていうのは「性質(タチ)」だ。

ついつい気になってしまう。もうちょっといじりたくなる...。

 

同僚を追い抜きたいとか、業績でトップでいたいとか、そういうモチベーションに匹敵するのが「こだわり」だと思う。ちょっと違うかもしれないけど「負けても楽しそうにしてる奴には一生勝てない」というやつに似ている。

 

 

 

 

自分が何にこだわっているのかを書き出してみる

 

では自分は何にこだわりがあるのか。

幼少期から今に至るまでの思い出を呼び起こして、自分のこだわりを探してみよう。

エピソードを辿ってみるのがおすすめ。

 

どういうときに「もうちょっとだけやる!」「ここ気になるなぁ」「もっとこうだったらいいのに」という気持ちになったのか。

 

ひたすら文章に書き起こして、並べてみる。

すると関係のなさそうなエピソードが実はひとつのこだわりによって紐づいていることがわかったり、意外な発見があったりする。ぜひ実践してみてほしい。

 

 

そして自分が何にこだわりがあって、どういうことなら「人より頑張れるのか」「100%ではなく120%にできるのか」を発見出来たら新しい道が拓けるかもしれない。今仕事をしているのであれば、その分野でこの先どうすればそのこだわりを活かすことができるのか。もっとこだわり続けられるようなステージがあるのであれば、転職したり、そこに行くためのスキルを磨くのもいいだろう。

 

この先は環境が大きく変化して仕事のあり方ややり方も大きく変わっていく上に、その未来を見通すのが困難なので、まずは見通すことのできる「自分」という唯一無二の"商材"を極限まで把握することがすごく大切だと僕は考えている。


前の記事で書いた流動する不透明な未来に対して今できるアクションのうちの一つ、「自分のことを知る」である。

 

 

この項についてはまだまだやるべきことがあるので今後も紹介していきたいと思う。

 

 

 

 

つづく!

AIやロボットに仕事を奪われる不安

 

たった1つのニュースが僕たちのトラウマになっている

 

最近2つのエントリーを執筆した。

いずれも、今の20代が抱える不安について提起したつもりだ。

 

 

andy0330.hatenablog.com

 

andy0330.hatenablog.com

 

上記2つの中で僕が一番言いたかったのは、

今の20代からしたこれからの時代に対して

 

"人生の土台である社会環境があまりにも急速に変化しているので、不安定な土台の上に長期的なライフプランを計画することが非常に難しい時代になっている。"

 

というものだ。

 

「先が不透明で、今のまま定年までやっていけるような時代じゃない気がする。」

僕たちはなぜこう考えているのだろう?

 

実は僕たちは過去のたった1つのニュースをトラウマ並によく覚えていて

それが漠然とした不安として結びついているのではないかと僕は考えている。

 

そのニュースがこれだ

 

gendai.ismedia.jp

 

 

AIとロボットに仕事を奪われる時代

 

聞いたことのある人も多いんじゃないかと思うのだけれど、

 

オックスフォード大学はこの先10年〜20年で、

今ある職業の47%が消失すると発表した。

 

かつての第二次産業革命によって工場から大量の失業者が出たように、

全く同じことが繰り返されるのではないか。

"それ"が始まった時に僕たちはどうすればいいのか。

 

 

ある日いつものようにオフィスに出社すると、自分の席にペッパー君が居る。

そしてあなたの上司がこういうのだ。「もう君は今日から来なくていいよ」

これは冗談でもなんでもない。十分に起こりうる未来だ。

 

 

 

ただ一方で、こういった「テクノロジーが雇用を奪う」話ではマイナス面ばかりが取り上げられるが、深刻に捉えすぎて落ち込んでしまうのは間違っている。

 

 

 

そもそも職業の消失なんてことはテクノロジーの発展に日常的に起きていた。

全然普通のことだし、驚くべきことではない。

職業というのは常に生まれて消えてを繰り返しているものに過ぎないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

今見ると冗談のような仕事もあるけれど、今存在する仕事にしたって「昔は病気の診断も医者っていう職業がやってたんだよ」「昔は人が車を運転してたんだよ。危ないよね。」と言われる時代が必ずやってくる。

 

雇用は消失し、そして創造される 

 

 

職業が消失することばかりがクローズアップされるが、

新しい仕事が生まれることも忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

いま僕たちに出来ること

 

僕たちはこれからより多くの変化に晒され、かつてない不確実性に直面することになる。今から未来に対してヤマを張って「じゃあドローン関係の仕事に就く!」「ペッパー君のエンジニアになる!」と飛びつくのは得策ではない。

 

僕たちはまるで試合中にルールが刻一刻と変わっていくゲームに参加しているようなものだ。これだけ流動的な社会の中で僕たちはおそらく若い時に得た知識のみで引退まで働き切ることは出来ない。

 

環境が変わっていく中で新しい知識を取り入れたり学び直したり、違うジャンルに思い切って舵を切ったりする必要が出てくる可能性が高い。

 

将来的にそういうことが出来るための「体力づくり」が必要になってくると僕は考えている。もちろんその「体力」は人それぞれなのでここで断言はしないけれど、誰にでも当てはまるであろうことは以下の通りだ。

 

  • 貯蓄
  • 外部の人間関係を形成する
  • 健康を保つ
  • 活力を保つ
  • 自分のことを知る

 

こんなところだろうか。

ジャングルのサルが木から木へと飛び移っていくように

様々な分野・企業・職業・立場を渡り歩きながら知識とスキルを得て、学びながら成長しながら社会と環境に適したキャリアを形成するためにはそのための「体力」がなければならない。その「体力」とは上で挙げた通り貯蓄であり、人間関係であり、何より健康だと僕は考える。

 

 

前述の通り、未来を見通すことはこれまで以上に困難なので、具体的に何かを準備することは難しい。ただ、備えることは出来る。来るべき未来のために、きちんと動けるように柔軟体操をして筋肉をつけておくこと。

 

もちろん他にもやるべきことはたくさんあるだろうが、誰しもやるべきことのベースとしてこれらのことは最低限必要だと考えている。

 

リストの最後にある「自分のことを知る」についてはまた今度掘り下げて行けたらと思う。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

「真田丸」と考える"僕たちは何のために生まれてきたのか"

 

 

 

大河ドラマ 

 

僕の実家では昔から家族みんなでNHK大河ドラマを観るのが習慣になっている。

 

 「利家とまつ」も観ていたし「新選組!」も観た。

今やっている「西郷どん」も面白いよね。

鹿児島のロケで丁寧に撮ったんだな、と感心しながら毎週観ている。

 

 

 

大河ドラマは歴史上の偉人ひとりを主人公に据えて、

その時代の大河を主人公と一緒に体験する物語だ。

 

 

織田信長は最初は尾張のうつけものと評判だったが、次々の戦で敵を打ち破り、あと一歩で天下というところで家臣に裏切られて死んでしまう。

豊臣秀吉は貧乏な百姓から草履番になり、人柄を武器にどんどん昇進して天下統一を果たす。

徳川家康は物心ついたときには既に人質だったが、激動の戦国時代を計略と忍耐で生き抜きながら最後には幕府を開く。

 

 

ほんとうに物語のような人生だと思う。

まあ物語のような人生だから大河ドラマになるのだけれど。

 

真田幸村の人生

 

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そんな中、2016年に「真田丸」が放送された。

 

 

撮影が始まった2015年は真田幸村死没からちょうど400年後だったということを後から知った。僕は堺雅人が大好きなので毎週わくわくしながら観ていたのが記憶に新しい。

 

 

 

しかし真田幸村の人生は実のところ良くわかっていないらしい。

 

関ケ原の合戦以前、何をしていたのか史料に目立った働きが残っていないのだ。

 

 

 

真田幸村が活躍するのは関ケ原の合戦だから彼が33歳のとき。

大人になる元服が15歳~17歳で、

寿命は人生五十年と言われた時代だから遅咲きだと思う。

 

 

 

堺雅人がインタビューで語っていたとおり、

晩年になって大阪の陣で徳川家康を追い詰め、「日の本一のつわもの」とまで言われるようになる真田幸村は、その前に目立たず秀吉に仕えて仕事をこなすサラリーマンのような時期がけっこう長い。

(以前"コネ入社の楽しいサラリーマン生活"と評されていてさすがに笑ってしまった)

 

 

真田丸」でもそれがうまいこと表現されていて、

自分の国を愛し、上司に一生懸命仕えて働くのだけれど、「自分は何のために生まれてきたのか」という問いに答えられず、「がんばってはいるけどこれでいいのか」とぼんやりと悩むシーンが印象に残った。

作中では真田幸村だけでなく、その兄・真田信之(大泉洋)も同じように悩んでいた。

 

 

宿命(さだめ)

 

 

そんな中、真田幸村が自分が「何のために生まれてきたのか」をようやく見つけて覚悟を決める回があるのだけれど、そのときの回想で出てきた草笛光子さん扮する祖母の言葉がとても印象的だった。

 

 

 

『人は誰も宿命を持って生まれてくる。遅いも早いもない。己が宿命に気付くか、気付かぬか。見ておるぞ婆は。怠るな。』

 

 

 

 

 

この台詞にハッとさせられた人も多いのではないか。

真田幸村の宿命は豊臣家を守るために命を懸けて戦うことであり、真田信之の宿命は真田家を守り存続させることにあったのだった。

 

 

 

僕たちに「宿命」はあるのか

 

 

そしてその問いは視聴者である我々にも響く。

 

人が誰しも宿命を持って生まれてくるとして、

 

その宿命とは一体何なのか。

 

 

 

それは先にわかるものなのか、

あるいは死を目前にして「自分の宿命はこれだったのだな」と納得するものなのか。

 

 

はっきりと存在するものなのか、

あるいは自分で作り出していくしかないものなのか。

ひとつなのか、複数なのか。

 

 

 

漠然とした将来への不安を持つ僕たち20代は、

ひょっとしたらこの宿命を探して生きているのかもしれないとすら思う。

 

 

 

 

 

その昔、商人として生まれたら商人として生き、商人として死ぬかなかった。

それはウサギが犬になれず、馬が羊になれないのと同じくらい厳然とした社会のルールだったはずだ。

 

つまり、職業・生き方の観点から見れば「誰しも宿命を持って生まれてくる」ものだったと言える。商人には商人の宿命、武士には武士の宿命だ。

 

 

 

 

現代においては僕たちは将来を比較的自由に選択することが出来るし、教育の段階においてそうすることを奨励されてきた。そういった自由すぎる状況、多すぎるあらゆる選択肢を前にして、僕たちには宿命が見えない。

 

あるものなら教えてほしいとすら思っている。

 

 

 

 

また、自分のいる道を宿命だと決め込んで突き進むのにも勇気がいる。

あとになってから"違った"と思ってしまったら目も当てられないではないか。

 

 

 

またあらゆる分野においてイノベーションが起きて、刻一刻と状況が変化する現代において「私はこれで生きていく」と声高に宣言するのはとても難しい。

 

 

パソコンのスペシャリストになると言っても、20年後にはパソコンなんて存在しないかもしれない。最高のタクシードライバーになると言っても近い将来タクシーはすべて自動運転に切り替わる可能性が高いので職業そのものがなくなる危険性がある。

 

 

つまり総じて言ってしまえば、人生の土台である社会環境があまりにも急速に変化しているので、不安定な土台の上に長期的なライフプランを計画することが非常に難しい時代になっている。ということだ。

 

 

詳しくはまた別の回で述べるけれど、今でも十分早いテクノロジーの発展は今後さらに加速していくので、ますます長期的な計画が難しく/言い換えるなら役に立たなくなっていく。

 

また逆に言うならば、どんな時代になろうが絶対に必要となるもの「貯蓄」「人間関係」「健康」「活力」といったものの価値は比例して重要になっていくと考えることが出来る。

 

 

最後に蛇足で宿命に関してまとめるなら、個人的には

人生は自分の宿命を探す旅なのだ、くらいに捉えておけば良いと考えている。

 

 

 

 

 

つづく

20代が持つ将来に対する漠然とした不安の正体

 

将来への漠然とした不安

 

 

 

 

 

このごろ僕の身の回りで

将来に対しての漠然とした不安、名前のない焦燥感を持つ人が増えたと感じる。

 

 

 

友人と「将来どうする?」という話題になると、「今は困ってないけど、この先どうすればいいのかわからない。いつか転職とか考えてるけど、具体的な目標もないし。」というようなことを言って、最後は「まあ今はそんな感じ」と言って会話が終わる。

 

 

 

レールの先

 

 

 

 

僕の世代は今26歳で、大学卒業後すぐに就職、就職した会社で数年働いたくらいの時期。そうすると仕事もだいたいわかってきて気持ちにも余裕が出来てくる。

 

 

そして思うのだ。「それでなんなんだっけ?」と。

 

 

 

 

↑のとおり、僕たちは小学校中学校大学、そして就職まで真っすぐなレールを当たり前に進んできた。良い成績をとって、就活を頑張って...だって周りもみんなそうしてるからね。

 

 

かたや学校でみんなよく言われたと思うけど、「好きなことをなりなさい」と。

自分の興味のある分野を早いうちに見つけて、その進路に進むべきだと。

 

 

 

そうして僕たちは興味のある分野に進んで、会社に入った。

そして会社に入ってほっとしたはずだ。「良かった、就職することができた」と。

 

第一志望の大企業に入れなかった人もいると思うけれど、少なくとも少しは納得する形で会社に入れた。うまくやっていけるかちょっと不安もあるけど、頑張ろうと思いながら友人と卒業旅行のプランを練り始めたはずだ。

 

 

しかし当たり前のことだけれど、就職はゴールではない。むしろ長い長いキャリアのスタートに過ぎない。

 

就職とは、いわばレールの先端。おわりだ。

義務教育からずっと続いてきたレールの先端は切りっぱなしで、その先には広大な大地が広がっている。

 

 

今いる会社というレールは確かにあるだろう。

だがそのレールはどこまで続いているだろう。

 

この時代、絶対に安心な企業というものは存在しない。

また、そのレールが引退まできちんと続いていたとして、この先40年同じ会社で同じような仕事をし続ける気力は本当にあるだろうか。

 

もし途中でやりたいことが変わったら?

 

今の会社の方針が変わって、居心地の悪い場所になったら?

 

そうしたときに転職するだけのスキルは持ち合わせているだろうか?

 

考えるほどに確かなことがない。

 

 

 

3.4年働いた、つまり僕の世代にそれに気づいて呟くのだ。

「それで僕たちはこれからどうすればいいのだろう?」と。

 

 

 

 

 

漠然とした不安の正体 

 

 

僕は今年、こういうことについてあれこれ書いていけたらいいなと思う。

僕と同世代と、それからこれから就職する若者に向けて。

 

 

 

正直、僕自身もはっきりと「これからどうすべきか」が決められていない一人だ。

 

 

 

 

言い換えれば、僕も困っている。

だから、一緒にあれこれアイデアを出して、これからのことを一緒に考えていけたらいいと思う。

 

 

僕が冒頭に触れた「漠然とした不安」というのは、説明するならば

 

「老後まで生活できるだけの収入を確保できるのか」

 

「自分にとっての幸せ・ゴールとは何なのか」

 

「自分は本当は何をやりたかったのか。」

 

「自分は何のために生まれてきたのか。」

 

「今働いている会社が定年まであるとは限らない。あるいは、定年まであるとして、ここで老け込むまで働くのは何か違う気がする。もっといろいろなことをすべきだと思うけど、具体的に何をすればいいのかわからない。」

 

 

こんなところだろう。

 

 

 

僕はこれらの不安を拭い去るような解を持っているわけではない。

そもそも、こんな問題に解なんてあるわけがないのだ。

 

 

ただ、こういう風に考えてみたらいいんじゃないかな、とアドバイスすることはできる。それを通じて、できる限りの20代を勇気づけたり、背中を押したりすることが出来ればと思っている。

 

 

頑張って書いてみるので、気が向いたときにでも読んでくれたらうれしい。

 

 

 

 

 

 

つづく

kindleと紙の本の使い分け方

 

kindleが手放せない。

とりあえずkindleがあればなんとかなる。

 

それはもう僕にとっては正直端末である必要がない。

kindle端末も持っているし、タブレットにもスマホにもkindleは入っている。

だから僕にとってkindleっていうのはプラットフォームである。プラットフォームでしかない。くしゃみをすればいつでも駆けつけてくれるハクション大魔王とか、いつでも来てくれる筋斗雲とか。そんな存在。

 

 

 

 

自分は本が好きだってあんまり思わないんだ。例えば本屋の新しい小説が平積みにされてても全然わくわくしないし、「読んでごらんよ」とおすすめの小説を貸されてもそんなに心躍らない。

 

ただそれでも「読むべき本が世の中には多すぎる」という意識がすごく強い。

自分はあまりにも無知で未熟なので、ほんとうは小学校の教科書から順番に読み直したいくらいだけど、それだと時間がいくらあっても足りないので実行はしていない。でも高校の日本史の教科書は一度すべて読み直した。

それが直接役に立ったわけではないけれど、一番基礎の部分を復習したという自信にはなった気がする。

 

 

 

そういうわけで僕は「読まなくちゃ」という衝動に従って本を読んでいる。

だから基本的に僕にとって読書は娯楽ではなくて学習なのだ。

 

毎日複数の本を並列して読んでいると頭の中がまざってぐちゃぐちゃになってくる。

そして僕はそれを楽しんでいる節がある。

 

信号待ちのときにぼーっとしているとふと「あの本のあそこの部分って、違う本のあの個所と関連性があるのでは」とひらめいたりする。

 

そういったときに、日ごろから読書をキンドルでしているとすぐに検索して本を読んで該当箇所を検証することが出来る。まあそういうことをしないにしても、並行して複数冊の本を読んでいる人はキンドルを使ったほうがいい。重いから。

 

 

自分のバイブル、というほどではなくても、いつも手元に置いておきたい本も山ほどある。具体的には「アドラー哲学」「7つの習慣」「勉強の哲学」「森の生活」「WORK SHIFT」など。あと辞書も手放せなくて、学生時代はいつも鞄に2冊以上の辞書を鞄に入れていたのでずいぶん肩を痛めたけれど、今は電子辞書があるのでそういうことにはなっていない。

 

 

 

キンドルに移行して、読書のステージが紙から画面に完全に移ったかというとそうではない。僕はキンドルと紙の読書を使い分けている。わりと目的的に。

 

 

 

深く読むべき本やさらっと読んでおけばOKな本など、本にもいろいろな種類がある。大抵の本は一度読んでおけばいいのだが、たまに「これはじっくり読まないと理解できない」「これはすごく自分にとって大切なので丁寧に読まなくては」という本に出会う。

 

 

僕は購入できるものであればほぼすべての本をキンドルで購入するので(そうでもしなければすぐに本だなが一杯になってしまう)、そういった「深読みすべき本」との出会いもキンドル上で発生する。

 

僕はそういうとき、紙の本をAmazonで改めて購入するのである。

そして紙の本が届く前にキンドルで本を読み切ってしまう。

 

そして改めて紙の本で2週目に入るのである。

 

 

なぜそんなことをするのか。

もったいない。確かにもったいない。

2冊目の本は特典がついているわけでもなければ、表紙が違うわけでもない。完全に同一の内容である。

 

紙の本を買いなおす理由を一言で言うと「書き込みたいから」である。

僕は本当に吸収しなければならないと感じた本と出合うと、まずはその紙の本を入手し、そして色ボールペンとラインマーカーを傍において、片っ端から書き込みながら読書をする。

 

それは完全に勉強の姿である。

重要なところ、頭に入れておきたいところにはラインマーカーを施して、自分が思ったことやヒントになるようなことはガンガンボールペンで書き込んでいく。

 

最初はなんか悪いことをしているようでなかなかできなかったけれど最近は容赦がない。「おもしろい」とだけ書き加えたりする。

嘘みたいなことだけれど、そうしたときはものすごく頭に入る。記憶に残る。

 

おそらく、書き込むという能動的な作業が読書に介入することによって僕はその本に「参加する」ことができるのではないかとおもう。

それは学校の授業で、延々と先生がしゃべっている授業よりも、生徒が当てられるかもしれない授業に参加したほうが勉強になるのと同じで、「じぶんだったらどうだろう」という当事者意識が読書時の効果を飛躍的に上昇させるのだと考える。

 

 

 

そういう風にして僕はキンドルと紙の本を行ったり来たりしながら読書を続けている。ざっくり言えば読むべき本をキンドルでどんどん読んでいき、「これは」というものに出会ったときにそれを紙の本で買いなおして書き込み、自分の糧にする。そういったところだろうか。

 

 

Kindle Paperwhite Wi-Fi、ブラック

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おしまい