襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

村上春樹が走る理由

 

村上春樹は誰でも知ってる世界的に有名な小説家だけど、優秀なマラソンランナーでもあるという話は知っている人と知らない人がいる。

 

 

しかも、「小説を書いていると運動不足になるから」といってランニングするような甘っちょろさではなく、トライアスロンも走るしウルトラマラソン(100km)も走ったことがあると言うから驚きだ。

 

 

その時の様子は「走ることについて語るときに僕の語ること」と言うエッセイで垣間見ることができる。

 

 

 

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

 

 

 

走ることと文章を書くことは似ている。と思う。わりと強く思う。

 

 

 

 

他に似ていることといえば、泳ぐことや自転車に乗ることも似ているし、山に登ることや写真を撮ることも似ていると思う。

 

それは極めて自己完結的で個人的な作業だ。

基本的に孤独で、誰かに非難されることも賞賛されることもない。

 

ただ、自分のためだけに黙々と続ける。

そういう作業が僕は好きだ。

 

僕もランニングが好きで、今年の2月にハーフマラソンに出場したけれど、走り続けているうちに他のことが気にならなくなっていって、ただ走るという行為に没入していく自分にある時点で気がつく。

 

その時は神経が研ぎ澄まされていて、心臓の音と呼吸のリズムだけが聞こえてくる。

そういう時に僕は一番「生きてる」感じがする。

 

 

ある意味それは哲学的で思索的な作業で、僕にとっては一番有意義で贅沢な時間の使い方だと思っている。

あ、村上春樹が走る理由は知らない。

 

 

 

 

 

 

おしまい

 

好きな人とばかり付き合って大丈夫なのか

 

 

 

好きな人とだけ付き合っていいのか

このことに関して僕の中で最終的な結論は出ていないのだけれど、

とりあえず進捗として考えていることを書いておこうと思う。

 

小学校の時からある「島」意識

小学生のとき、クラスの中でも仲良しグループがいくつもあった。

ガキ大将を中心としたいじめっ子グループとか、アニメや漫画が大好きなオタクグループ、昼休みにすぐ外に飛び出していくスポーツグループ。

 

どうしてクラス全体が仲良くならずにこうしてグループが生まれるのかというと、人に個性があるからだと考える。あるいは話が合う合わないといった趣味趣向の問題かもしれないけど。

 

委員会とか授業の班わけでガキ大将とオタクが同じチームで協力しなくちゃいけなくなったりするとお互い「こいつとかよ」っていう気分になって、こういうのって子供ならではの悩みだよなーってため息ついてたけど社会人になっても大抵飲み会で同じ体験するんだよね笑

 

 

 

気の合う友人

それで、えーっとそうだ、要は全員と仲良くする必要はないわけだ。

なるべく自分に感覚が近くて、趣味とか合う友人を見つけてうまい具合にやっていけば一番快適に学生ライフを送ることができる。

その気分のまま大人になってしまった。

 

僕はいまでも気の合う人にしか気は許さないし、「この人とは感覚が合わないけど有意義だから一緒に遊ぶ」ということは原則としてありえない。だから僕は人付き合いしていく中で「ああーやだなあ」って思うことは基本的にはないし、おかげさまで気の合う仲間たちと快適に過ごしている。

 

そんな中冒頭の命題が出てくる。

これでいいのか?と。

 

売れない劇団員

前にも引き合いに出したことがあるかもしれないけれど、「売れない劇団員」の話がある。売れない劇団員たちが、どうして自分たちが売れないのかについて話し合っている。でもその話し合いは平行線をたどる一方でいつまで経っても打開策は出てこない。当たり前だ。売れない劇団員同士で会話してるんだから、打開策なんて出るはずがないんだ。必要なのは売れる劇団員に相談したり、あるいは劇団に新しい優秀な劇団員を引き込むことだ。

ドイツの物理学者アルベルト・アインシュタインの言葉を引用するなら「我々の直面する問題は、それを作った時と同じ考えのレベルで解決することはできない」である。

 

 

僕と僕の身の回りが売れない劇団員だと言うつもりは毛頭なく、

レベルの高い低いの問題ではなくて多様性の問題なのだ。

 

ルフィは島を越える

海賊漫画の金字塔・ワンピースの海賊団一味は様々な困難に直面してもそれを切り抜けてきた。それはたくさんの仲間がいたからだ。いくら主人公のルフィが主人公補正が強かったとしても、ルフィが10人いるような海賊団を作ったら同じような困難を乗り越えることは不可能だろう。

多様性が相互補完的に組織を生かしているのだ。

 

 

 

 

相互補完的な組織を運用していくためにルフィはそれぞれの仲間と信頼関係(アライアンス)を結ばなければならない。ビビリのウソップ、お金が大好きなナミ、子供っぽいチョッパー、女に目がないサンジ、堅物のゾロ...(省略)

 

これは冒頭の小学校のグループの例で言えばたくさんの別グループにちょっかいを出しているようなものだ。

 

ガキ大将グループと仲良くしながら、おたくグループとも仲良くして、スポーツグループとも信頼関係を結んで、おまけに女子グループとも分かり合える。そんな委員長なんてあり得るんだろうか??八方美人的な印象を与えて社会的に死んでしまう気がするのは僕だけだろうか。

 

 

僕が抱いている漠然とした不安のまとめ

僕の不安をまとめると、

僕は今、気の合う人とだけ付き合って非常に快適に過ごしているけれども、これは誤解を恐れずに例えるなら「売れない劇団員」の状況に陥りやすい状況を作り出しているのではないかと言う懸念がある。

 

自分は自分と同じような性質を持った人といるのが楽なので、結果的に自分と全く違った人と関わる機会を損失し、全く成長できなくなってしまうのではないかと言う危惧がある。それはルフィが10人いる海賊団のように偏っていて、何か有事があった時に何も対策が取れない可能性が高いことを示唆している。

 

それで、それにたいしてまるで栄養を満遍なくとるみたいに、肉を食べたら野菜を食べるように、自分と全然違う価値観を持った「合わない」人でもちょっと無理しても付き合って人脈を持つべきなのか?と思うこともあるわけだ。

 

その辺の葛藤によって今日の記事は生まれた。

さらに乱暴な聞き方にしてシンプルにまとめるけれど、

 

皆さんの周りの人はあなたに似ていますか?似ていませんか?

完全食COMPが僕に与えた恩恵を4つ紹介する

 

 

僕は普段朝ごはんと夜ご飯をプロテイン的なもので済ませている。

 

シェイカーに粉と牛乳を入れて振って、

 

どろっとしたものを飲んでそれでおしまい。

 

 

 

 

厳密にはプロテインではない。

「完全食COMP」という"コンプリメント"だ。

 

 

 

要は、サプリメントみたいに足りない栄養素を補うのではなく、これさえ摂取すれば人に必要な栄養を全て賄うことができるという夢のような未来食なのだ。

 

(僕の個人的な記事なのでステマではないし、この記事によって僕はCOMPから1円もお金をもらっていないことを先に断っておく)

 

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味は豆乳味で全然まずくない。

 

エンジニアやゲーマーの味方という触れ込みで、確かにこれさえあれば何も調理することなく栄養を確実に取ることができる。

しかも10秒で。

 

 

 

 

 

 

 

朝起きてバタバタと準備をする。

シェイカーを粉をとって台所へ行き、冷蔵庫から取り出した牛乳と粉を注いでシェイクして、一気飲み。あとはシェイカーを洗って、牛乳を冷蔵庫にしまう。

 

これだけだ。

 

 

 

 

この製品の恩恵について簡単に4つ説明する。

 

 

 

 

 

 

時間が節約された

これは前述の通り。僕は会社員として働きながら英語を勉強していて、残業した日もどうしても勉強時間を確保したくて、そうなると一番勿体無い時間は食事時間だった。

カップラーメンを食べるにしてもそれをわざわざ購入して、作って、食べて、洗って、捨てるというプロセスが紛らわしく、そんな時間があったら勉強したい。

COMPに切り替えたことによって時間に余裕ができた。本当に助かっている。

 

 

 

 

 

 

食器が減った

ミニマリストを気取るつもりはないけれど、今の僕が持ってる食器は

 

  • シェイカー
  • フォーク
  • マグカップ

以上3点だ。皿は持っていたけど使わないので捨てたし、スプーンで掬うものも特にないので捨てた。フォークも必要ないんだよな...。使わないようであればそのうち捨てると思う。一人暮らしにとって持ち物が少ないことは生活環境のクオリティーに直結してくると思っているので大きなメリットだ。

 

 

 

栄養の心配がなくなった

COMPに切り替える前はサプリメントを飲んでミネラルとビタミン全般を補充してたんだけどその必要がなくなった。ジャンクばっかりで「これ絶対健康に悪いよな」という罪悪感を感じることもなくなったし、何より体がきちんと健康的になっている実感がある。先日COMPを注文するのが遅れて、久しぶりにCOMP抜きの1週間を過ごしたことがあったんだけど3日で口内炎ができた。朝食はコンビニのおにぎりと菓子パンで、夕食は同じくコンビニの菓子パンか、居酒屋の焼き鳥か、あるいはラーメンだった。

 

 

 

 

メニューを考えずに済むようになった

日々いろんなことを考える。仕事のこと、将来のこと、お金の心配はもちろんだけど、もっと日常雑務的なこと。ゴミ袋買わなきゃとか、そろそろ床掃除しないとなとか、洗濯物そろそろ洗わないととか、そういうこと。

その悩み事「今日何食べるのか」という案件を一切考えなくて済むようになったのが助かっている。朝起きてCOMPの袋を一つとって、牛乳に混ぜて飲む。夜も帰りに「あーまた外食になるのか。お金財布にあったっけな。それとも家帰ってカップ麺にするか。コンビニで買おうか」などと考えずに済むようになった。

 

 

 

 

以上4点の恩恵に感謝しながら毎日を健康的に過ごしている。

「無機質で気持ち悪い。食べる喜びとかなくなりそう」と言われるのだけれど週末は家族で食事をとるし、昼食は会社周りにある定食屋で海鮮丼やカキフライ定食といった美味しい定食を食べているので正常な食事も楽しんでいる。朝晩と味気ないものをとっている代わりに昼はちゃんと味のあるものを食べている感じだ。

 

 

 

 

 

 

「そんな食生活気持ち悪い」と真っ向から非難されたこともあるけど、僕はむしろ"映画館もスーパーマーケットもゲームセンターも天気予報もカメラも吸収した"、そのあなたが大事そうに握りしめているスマートフォンの方がよっぽど気持ち悪いと感じる。

 

未来は、ある側面から見れば非常にフラットで、ツルツルしていて捉えどころがなく、非常に合理的で効率が良く、余剰やブランクを許す遊びがない。つまりスマホ的なのだ。完全食COMPが提示する未来性は、非常にスマホ的だと僕は考える。

 

 

 

作家の前田司郎が「ウンコに代わる次世代排泄物ファナモ」で提示した未来では、人類は手術を受けて「排泄」という行為から解放されている。ウンコの代わりに「ファナモ」と呼ばれる無機質で無臭の、プラスチックのような黒い棒を排泄するのだ。

 

 

そんな未来が来るかどうかはさておき、またあなた方が(あるいは我々が)好むと好まざるとに関わらず、そういうフラットな未来がやって来る。フィルムカメラとか鈍行列車と同じように、対話や食事や排泄といった人間らしい部分は「効率化」というコンセプトの元にフラット化され、合理的で無機質なものへと転換されていく。

 

 

それが進化だ。

 

 

 

僕はその進化的な序章的恩恵を毎日飲み干しながら、より合理的で効率的な波に飲まれていく。あなたがCOMPを飲まなかったとしてもそれは全体の流れとは関係がない。

あなたがCOMPを拒絶しようが非難しようが、COMPが開発されて世間に受け入れられ、爆発的に売れているのは事実であり、その中で背を向ける行為は、

例えるならすごい速さで前へ進む船の甲板で後ろ向きに走るようなものだ。

全体の大きな流れに逆らうことはできない。

 

ちょっと話が大きくなりすぎたけど、「そんなドロドロしたものを飲んで食事がおしまいなんて気持ち悪い」と言われると「いやいやとっくにそんな気持ち悪い未来はきてるじゃないですか」と言い返したくなるのだ。

モニター画面を何時間も眺めながらキーボードをバチャバチャ叩いて給料をもらう。手のひらサイズの金属板の表面をベタベタ触るだけで明日欲しい品物が届く。50年前の人が見たらドン引きの、気味の悪い世の中はとっくに到来してるじゃないか。

 

そうだろう?

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

耐久性のある文化に着目する

 

僕が「ダサいな」と思うセリフが2つある。

 

「人の名前を覚えるのが苦手なんだよね」と「AKBってどれも同じに見える」だ。

 

 

 

前者については、誰しも人の顔と名前を一致させるのは簡単なことではなく、簡単ではないけれども社会でうまくやっていくために頑張ってみんな覚えようとしている現代社会に置いて、

 

なんでお前だけさもそれが自分の際立った個性のような顔してやがんでい、

 

と言ってやりたくなるのだ。

 

 

 

後者についてもほぼ同様で、

AKBは同じ基準で同じような世代の女の子に同じ流行の衣装と化粧をしているので似ているのは当たり前で、

 

だからどれも同じに見えるのも当たり前だし、

別個で識別できなくたって仕方がないんだけど、

さっきから言っているようにそれをあたかも自分が「俺そんなの興味ないもんね」みたいな顔して言ってるのがダサいと思うのだ。

 

 

 

 

個性ぶっているところが没個性と言えるのか。

 

 

 

 

 

僕はしばらくアイドルやアニメ・萌え文化に抵抗があった。

 

オタクっぽくてダサいし、

絶対そんなのにハマったらモテないから近寄らないようにしようと努めていた。

おかげで僕はマクロスプリキュアアイマスアイカツも見たことがなかったし、数年前まで涼宮ハルヒの憂鬱も観たことがなかった。

でもモテなかった。本末転倒。

 

 

 

ところで日本の2015年アニメ産業のコンテンツ市場規模は1兆8000億円だ。

 

 

だからと言うわけではなく当然この数字は後付けなわけだけれども、アニメだろうがスプラトゥーンだろうが、人気があって一定の層が夢中になっている文化には飛び込んでみるのがよかろうと考えるようになった。

 

 

特にアニメとか萌えとかいうジャンルは、既に日本の秋葉原のオタクがブヒブヒ言っているようなものではなく、ドイツで「ドコミ」なんてものが開催されるくらい、忍者、侍並みの知名度をもつ文化として鎮座している。

 

 

 

 

富士山がある県を知らないと恥だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

相撲の起源が言えないと日本人ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、AKBの名前の一人や二人言えないともはや日本人とは言えないのではないだろうか?!?

 

 

 

(わかるよ指原だろって思った人、指原はHKTだし、

山本彩だろって思った人、山本彩NMBだ。)

 

 

僕自身あまりにアイドルに疎いのでこれから勉強しないと、と焦っている。

 

わからないからって、恥ずかしいからって「どれも同じでしょ」「オタクキモい」って敬遠してるのはできないからって鉄棒に寄り付かないベソかき小学生と同じじゃないか。

 

ルスなんて意味わかんないバカみたいって

斜に構えているノルウェイ人は知的だろうか。

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トマティーは不経済だし農家に申し訳ない。即刻やめるべきだ。

と抗議するスペイン人は愛国者か。

 

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ホーリーなんて古すぎるし現代に合わないと

背を向けるインド人は尊敬されるか。

 

 

 

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もちろんいろんな考え方があるだろう。

 

 

国際化とナショナリズムが二重構造的に進行うる現代社会に置いて画一的に何かを断言することが今ほど難しい時代はそうあるまい。

 

 

 

 

ただ、文化に着目しなくては。

 

テクノロジーが台頭する今だからこそ、

今生き残っている耐久性のある文化に着目すべきだ。

 

 

 

 

いい加減アニメやアイドルといったオタク文化を認めなければならない。

 

 

なぜならもう侍も忍者もいないからだ。

 

 

芸者はいても市場は動かしてはいないのだ。

 

 

 

 

 

 

メモ程度なのでちょっと雑だけど。

おしまい

 

 

 

それ、会話のキャッチボールじゃなくてピッチングや

 

一方的な会話

 

長い話を聞いた。

 

それは自分の趣味の話からスポーツの話になり、それから自分の体型の話になり、それから健康の話になり、あ、なんの話だっけ?そうそう、スポーツの話じゃんって言ってスポーツの話に戻ったかと思いきや子供の頃の習い事の話になった。

側から見れば、確かに僕と彼は会話しているように見えたかもしれない。

しかしそれは会話ではなかった。

それはキャッチボールではなく、ピッチングであった。

 

ピッチング的会話

 

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僕は正直ピッチングの会話に少し疲れた。

 

ピッチングの会話はお互いが対等な立場にない。

 

一方的に喋り続ける人がいて、もう片方のいわばキャッチャーは「へえ」とか「それはひどいね」とか「嘘でしょー」とか言って相手に相槌をかえす。

 

いわば山なりのボールだ。

 

 

 

ピッチャーはどんどん投げてくる。

 

好きなボールをだ。

 

次はどんなボールを投げようかな。

あ、そういえばこないだこんな面白い話があったぞ。

ああそういえば昨日あったムカついた話もしたいな。

でもここでこんな話もあって.....。

 

僕はそれを必死に取りこぼさなように取るのである。

 

哀れなキャッチャー。

 

即席のバッテリー。

 

僕の膝や腹はグラウンドの土埃で泥だらけになって、

それでも僕は定型的な山なりのボールを投げる......。

 

本来、ピッチング的会話はキャッチャーが楽だ。特に僕みたいな喋るよりは聞く方が楽な人間は相槌を300種類くらい持っているので「へえ」とか「うわー」とか「それ本当?」とか「まさにそうだよね」とか言っていれば時間が経ってくれるのだ。

僕だってピッッチャーになって好き勝手にボールを投げたいぜなんてちっとも思ってないんだ。これは本当。

 

 

キャッチボール的会話

 

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そもそも僕が真の意味でキャッチボールを楽しめる友人がどれだけいるだろう。

 

彼らはすごい。

 

まず僕がボールを投げる。

そうすると彼らはキャッチャーに甘んじるのである。

 

具体的にいえば、

相手が「へえ、自転車ってスポーツ用のはそんなに高いんだ。時速何キロくらい出るの?」と言う。この時、彼はキャッチャーを宣言するのである。「今から僕が生徒をやるからお前は先生をやってくれ」と言うサインを飛ばしてくれるのである。彼は頷いてグローブをまっすぐに構える。

 

 

僕はそれに対してボールを投げる。

 

 

「それは人によるんじゃない?」なんて言うボールを地面に叩きつけるようなことはしないように、また、「俺なんて時速50km出せるよ。下りなら70km以上出せるしね。こないんだなんてヤビツ峠って言う峠が秦野にあるんだけど.....」なんて言う暴走気味のノーコンも投げないように気をつける。

 

やってしまうことも多いけれど、とにかく気をつけることは気をつける。

そう、このノーコンをやられると萎えるんだよな。

 

 

 

しかしボールの投げ方は自由だ。

 

「君でも時速40kmは出るよ」とか

「僕だと時速50kmくらいかな」とか言ったストレートを投げてもいいし、

「プロだと時速80km出るよ」みたいなカーブを投げてもいいかもしれない。

 

僕はだいたい喋り終わったら「まあ自転車は機材スポーツだから値段次第で性能も変わってくるよね。君がやってるサッカーだってスパイクとかピンキリだろ?」と水を向ける。今度は僕がキャッチャーになる番だ。

 

ねっこうやって代わり番こに喋ればいいじゃない?

僕はたまにこう言うことをしたいんだけど...。

 

 

そうだ。

こうやって会話のキャッチボールは続くんじゃないか。

それとも僕の考えすぎなのだろうか。

 

 

 

マクドナルドにいる高校生はすごい。

 

ピッチングなのに両方ピッチャーだったりする。

キャッチャーがいないんだ。もう。

 

もう自分が話したい欲望だけが先行して、それが相互に発信しているものだから、これはもうピッチングでもキャッチボールでもなく会話のドッチボールだな。

 

 

まあこの文章の最終的なオチを用意するとするならば、

このブログを書くと言う行為がそもそも純粋なピッチングに他ならず、決してキャッチボールになり得ないと言う根本的なジレンマだろうか。

 

 

今日はちょっと行間をとって書いてみた。

読みやすいかしら?

 

 

 

おしまい

 

 

 

なぜ引越しをすると消耗するのか

引越しという消耗戦

 

引越しが終わった夜、僕は10時間眠り続けた。この長い睡眠のせいで僕は友人とのツーリングの約束をすっぽかさなければならなかった。ものすごい疲労感だった。寝返りのために体を動かすことすらできないような....。心身ともに疲れると言った感じだ。

 

 

どうして引越しってこんなに消耗するんだろう。

 

もちろん荷物を家から出して、新しい家に入れるっていうハードな肉体労働があるわけだから、疲れるに決まっているんだけどそれは心身ともに消耗する理由にはならない。

そういうわけで、どうして引越しをするとメンタルが疲れるのかについてちょっと考えたので聞いて欲しいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家を失うから

前住んでいたのは古いシェアハウスで、僕が初めて一人暮らしを始めた家だ。10ヶ月しか住んでいないけれど愛着がある。目を瞑ると蜘蛛の巣だらけの風呂場や、トイレットペーパーの芯が散乱したトイレを思い浮かべることができる。

 

「家を失う」という感覚がすごく強い。住み慣れたところを出て行くとはっきり認識していることそのものが僕の精神に負担を与えているような気がする。家っていうのは猫と同じように拠り所だからやっぱり心にとって重要な場所なのだろう。

 

 

僕が「家を失う」というと即座に思いつくのが「火事で家が全焼する」という光景だが、

すぐに思い当たるのが3人のアニメキャラクターだ。

 

 

 

家が全焼したアニメキャラとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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エルリック兄弟

こいつら放火だけどね。「俺らには帰る場所はない」みたいなセリフを吐いたり懐中時計に「Don't forget」って書いたりキザなことするよなあ。と思いつつ、当時子供心に「帰る場所がないとなると家焼くんや」とその革新的すぎる考え方におどろかされたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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羽川翼

羽川も自分の家が全焼してるけど、これは彼女が焼いたのかっていうと実に微妙なところだけど多分違うと思う。焼かれたんだと思う。エルリック兄弟もそうだけど家を失ってから家を手に入れるまでのプロセス=物語って破壊と再生っていうテーマを孕んでいるよなあと思った。火が関連してるから余計にそうなのかもしれないけど、何か新しいことを生み出すには現在のものを壊さないといけないわけで、心の拠り所となる家がなくなるっていうのはすごく象徴的なシーンなのだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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永沢くん

 

やっぱりアニメで家が火事といえば永沢くんだと思う。

近所のもらい火で火事になったというのだから彼は本当についてない。

 

 

 

 

 

 

閑話休題

 

 

 

 

 

 

僕はバックパックでアメリカを縦断したことがあるのだけれど、その時は毎日その日の宿はほとんどその日に取っていたので、口では「放浪の旅なんてそんなもんだぜ。」とか格好つけていたけれどやっぱりずいぶん疲れたしやつれた気がする。周りにアジア人がそもそもいないようなドミトリーで荷物を盗まれないように抱きしめながら眠ったボストンの夜を僕は今でも忘れることはない。いい思い出だ。

 

とにかく、家がない、家を失うというのは疲れる!

 

 

 

 

 

 

知らない家に入るから

人によって差異はあるだろうが、知らない人の家は居心地が悪い。よそのテリトリーで体を休めないといけないわけだから動物として当たり前だと思う。ましてやシェアハウスとなれば友達の家ですらない。赤の他人が赤の他人同士で住んでいる巣窟に飛び込むわけだからやっぱり心のどこかで不安はあるのだろうと思う。

 

andy0330.hatenablog.com

 

その辺りについては前回の記事を読んでもらえるとわかると思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シェアハウスでの進捗があればまた記事にしたいと思います。

読んでくれてありがとう。おしまい

シェアハウスを出てシェアハウスに入りました

 

 

ついに引っ越しが終わった。

昨日、土曜日の10時から15時まで、5時間の引っ越しだった。

古い家と新しい家が7kmしか離れていなかったのでこの時間で終えることができたのと、あと荷物が多くはなかったから一人で終えることができた。前の家はご存知の通りシェアハウスで、イギリス人・イタリア人・韓国人と一緒に住んでいると良く言っていたものだが、気づけば韓国人がいなくなり、イタリア人も国に帰り、僕とイギリス人だけになっていた。

 

出ていった理由

このシェアハウスを出ていく理由は外にも内にも色々あるのだけれど、やはり自室の床が傾いているのが自分の精神に悪影響を与えているような気がしてならず、しかもその傾き方というのが、単純に斜めになっているのではなくて複雑な三次曲面を描きながらボウルのように中心が落ち込むような傾き方をしているのである。

 

入る理由

 

次もシェアハウスだ。今回のシェアハウスは共同のリビングとキッチンが充実していて清潔だ。数年前にリノベーションしたとかで台所も充実している。とにかくシェアハウスにこだわるのは家賃が安いのと、家電をわざわざ買いたくないから。僕は電子レンジも冷蔵庫もテレビもエアコンも買いたくないのだ。初期投資が高くなるから。

 

前のところはマックス4人入れるところに2人住んでいたのだが、今回のところは20人入れるところに16人住んでいるので規模が違う。引っ越しして1日たったが会話したのは8人なので半数知らない人と一緒に住んでいることになる。

 

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若い人たちのシェアハウス共同生活!

っていうとみんな「テラスハウスみたいだね!」っていうんだけど僕のイメージはテラスハウスじゃなくて「パレード」なんだよね。吉田修一原作の映画で2010年の作品なんだけど役者見てこれ!

 

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藤原竜也香里奈貫地谷しほり林遣都小出恵介ってどんな布陣だよ!完璧すぎだろ!これは多分最近の映画で置き換えると「何者」になるのかな?

 

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「何者」は見てないけど「パレード」は最高だったよ。

予告編のキャッチコピーが「共感するあなたに闇が訪れる」だからね。

ほんといい映画だわ....。小出恵介かぁ...逸材を失ったよな映画界は..。

 


2010年2月公開『パレード』予告編

 

 

 

閑話休題

 

とにかくシェアハウスで、別に交流したい!みたいな強い願望があって入ったわけではないんだけど、否応なくいろんな人種と関わることになるわけで、僕みたいに会社員やってて、しかもデザイナーだから毎日会社にいるだけで新しい人と会話するわけでもなく...っていう生活を繰り返している人間にとっては新しい人と会話すること自体が珍しく、刺激になるというか心の換気になるというかプラスの効果を生むだろうという気がする。

 

このシェアハウスから犯罪者が出ないことを祈って

新しい生活を楽しもう!

 

 

おしまい