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襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

企業側として合説に参加する僕からの「合同説明会での心得4つ」!!

イベント | キャリタス就活2018 | 新卒学生向け就活準備・就職情報サイト

 

合同説明会に企業側として参加することになった。数年前までは自分が就職活動をする側だったのになんだか不思議な感じがする。アルバイトで初めてカフェの店員としてレジに立ったときにも同じような感覚になった。世の中の人って本当はみんなままごとみたいに立場を入れ替えて生きてるだけなんじゃないかって今になっても思う。

 

それで、そのままごとの企業側に立つことになった。毎度のことだ。なんか恒例になってる気がする。前は「自分のトークがイケてるからデザイナー代表に選ばれてるのかもしれない」と浮足立つくらいに幸せな人間だったが、ひょっとしたら「コイツならどうせ暇やろ」くらいの感覚で引っ張り出されてる可能性の多分にあるよねこれ。

まあいいや。いずれにせよ、弊社では慢性的なデザイナー不足が深刻になっている。どうしてデザイナーが不足しているかというと、まず営業が沢山入ってくるのでデザイナーの育成が間に合ってないっていうのと、あとは寿退社でどたばたと人がいなくなってしまい、その欠員を埋められないまま今に至ると。今回の合同説明会で新人を引き当てることが出来れば、僕としても仕事を振り分けることができて大変助かるというわけだ。

 

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この合同説明会に参加します。2月26日(日)にやるから、予定がない人は遊び感覚で来たらいいよ。デザイナーとして参加しているので連絡いただけたらお茶でも奢ります(笑)

あ、ここで断っておくけどこれはステマじゃないからね。第一これであなたがたがこのイベントに参加したって僕には一銭も入らないんだから。とにかく、企業側として参加する僕から、合同説明会に参加するときの心得を紹介しておくね。

 

 

 

 

私服でOKなら私服で来ること

 

公式ホームページにも載っているけどこのイベントは「私服でくる」のがルール。スーツはダメじゃないけどうちは銀行じゃないので「カジュアルで来いって書いてあるのになぜわざわざスーツなんだ...?事前にHPちゃんと読んでないのかな?」と深読みしてしまう。そのくらいスーツが目立つかっていうとそうではないんだけど、とにかく私服OKの合同説明会でスーツが有利に働くことはまずないと思う。

 

履歴書を持っていくこと

 

当たり前じゃんって思う人もいるかもしれないけど、今回の合同説明会は今週の日曜日。ってことはまだ3月じゃないから就活の解禁はされていない。だから基本的には履歴書を持ち込む必要はないんだけど、企業側としてはこの時期に合同説明会にわざわざ足を運ぶ意識の高い学生っていうのはそれだけで価値があるわけ。だから試しに履歴書を持っていくとこっそり受け取ってもらえたりするわけだ。

 

説明会に参加するだけで価値が上がる

 

あまりこういう安っぽい喧伝はしたくないけどわかりやすく言うとこういうことになる。前述のとおり、2月のクソ寒い中、わざわざ豊洲とか有明とかまで足を運ぶっていうだけで十分意識の高さをアピールすることが出来る。企業側の我々としては、2月の合同説明会に参加する学生っていうのはそれだけで価値があるし、率直に欲しいと考える。現に弊社の人事部はかなりやる気だ。

 

事前練習だと思って"遊びに"来たらいい

 

僕の就活時代はいわゆる就職氷河期のちょっとあとだったんだけど、今現在はむしろ「就活生はお客様」だ。だから合同説明会も何とか就活生に楽しんでもらうおうと、ソーシャルパーティーコーナーを用意したり、ステージで演説を聞けたり、あ、そうそう、(日曜日のイベントは林修先生が来るよ!笑)クレープが食べられたりまぜそばがあったり休憩コーナーが充実していたり、面接の仮想練習が体験できたり、とにかく昔では考えられないくらいコンテンツが充実しているんだ。

 

どうせ3月になるまでは本番の就活が始まるわけではないのだから、(とはいえフライングゲットでこっそり履歴書を受け取る企業もあるので)遊び感覚で来たらええ。みんな私服で、いろんなコンテンツがあって、全然思ったのとは違う合同説明会に参加できると思うよ。

 

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ではみんな就職活動をたのしんで。

またどこかで書くけれど、僕は就活を楽しみました。なかなか楽しかったよ。

 

 

 

 

 

美大でひたすら練習した「楕円」と「直線」

 

社会人になったときなんてちっとも想像できていなかった美大の頃の話をします。

 

僕はもともとカーデザイナーに憧れて美術大学を目指した。

美大というと大方の人は絵の具や彫刻の世界を想像するんだけど、それは僕達が「ファイン系」と呼んでいる学部の人たちのことだ。美術大学には大きく分けて2つの学部がある(教職等を含めて3つに分ける場合もある)。デザイン系とファイン系だ。

 

デザイン系の中にも様々な学部がある。染色・服飾を扱うテキスタイル(略してテキと呼ばれる。どの美大もテキは9割が女子なのでごく少数の男子は羨ましがられたり憐れまれたりする。)、建築家やインテリアデザイナーを目指す空間デザイン学部(空デと略される。学校に依っては室内建築とか呼び名が変わるがここでは一般的なものを挙げる)、身の回りにある工業製品をデザインするプロダクト学部(ダクトと呼ばれる。ダクトは六割くらいが男で、ロボット好き・メカ好き・車好きが多い)、パッケージデザインや広告デザインを学ぶグラフィックデザイン学部(グラフィックと略す。多摩美術大学のグラフィック学部は毎年人気で鬼門なのでタマビのグラフィックのときはタマグラと呼んだりする)などなど他にもアニメとか写真とかウェブとかあるんだけど、大体このくらい分野がわかれている。ちなみに括弧で書いた略称は美大間では浸透している呼称なのでもし美大出身の人がいたら「あ、ダクトなんだ〜」とか返したら通っぽいよ。だから何だってなると思うけどね(笑)

 

さて、じゃあカーデザイナーになりたい僕はどの学部に入ったか。もちろんダクトだ。

ちなみに僕は結果的に空間デザイナーになるので、おそらく空デに入るのが正解だったんだろう。まあ、空デに入ったらそれはそれで違う将来になっていたと思うけれど。

ダクトと一口に言っても各々やりたいことは別れている。人気はカーデザインだけど、結局たぶんカーデザイナーになった人は同期だといないんじゃないかな。狭き門だからね。カーデザインは…。それから家具デザインが人気だった。あとは電子機器ね。ケータイとか音楽プレーヤーとか、障害者向けの道具とか。あと工芸とか、ジュエリーとか。文房具も人気ジャンルだった。インフラもあって、渋滞が発生しないためのシステムの提案をプロダクトの観点から発表している人とかいたかな。

 

僕は車一直線だったかといえば全然そうではなく、なんというかカーデザインに燃えて大学に入ったものの、蓋を開けてみたらプロダクトの中でもこんなにジャンルがあるのか!とびっくりしてしまって、学生時代は結局いろいろ作っていた。今まで3色ボールペンで絵を書いていたら100色ペンセットを叩きつけられたような感じだった。それで僕は椅子をつくり、カレンダーをつくり、時計をつくり、照明をつくり、体重計をつくり、長靴をつくった。空間演出の作品もつくったし、マスクのパッケージデザインもした。香水のブランディングもした。ワインブランドのロゴデザインもした。振り返ってみれば随分色々つくったものだ。

 

ちなみに卒業のときに周りを見渡して、結局デザイナーになったのは10人くらいだった。生徒は全員で40人いた。これが多いのか少ないのか僕にはわからない。院に進む人もいたし、営業職を選んだ人もいたし、実家をつぐために田舎に帰る人もいた。

 

 

高校生のときはデッサンをひたすらやっていたので一枚の絵を描くのに3時間とか6時間とか書けていたけれど、大学に入ってやったのは一枚10分、長くても1時間程度のスケッチだった。僕は山中俊治Suicaの改札機をデザインしたひと)の著書の影響でひたすら楕円を描く練習をした。山中俊治は今でもまず素振りとかストレッチをするように楕円を大量に描くらしい。これはずっと後になって気づいたんだけどスケッチにおいて楕円がかけないのは致命的だ。楕円は、コップの縁を描くときくらいしか使わないと思うかもしれないけど意外とスケッチの基礎だ。これはスケッチをやってみればわかる。カーデザイナーであればタイヤを描くのは避けられないのでなおさら大切な技術だった。そういうわけで僕のスケッチブックは楕円まみれだった。大学で一番楕円を描いた自信がある。


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これは僕がさっき描いた楕円群だけど、こんな具合で楕円を描いた。大切なのは左右対称であること、様々な膨らみの楕円がかけること、線のはじまりと終わりがつながっていることだった。

 

楕円と同じくらいやったのは直線の練習だ。直線を描く大切さは色々なデザイン本で書かれているけれど、心に残っているのは「フリーハンドで直線が書けない人はデザイナーになれないと思ったほうがいい」というのと、「定規は直線をひく道具というより、直線をひけない人間を助けるための道具」というのだ。両方とも水野学だったような気がしないでもないけどはっきり思い出せない。いずれにせよ両方けっこう刺さった。直線が書けないとデザイナーになれないんや、と思って必死に直線をいろんな角度で描く練習をした。そのおかげで僕は今でも楕円と直線の組み合わせを描くことが出来る。これはあらゆるスケッチに応用出来る技術なので数え切れない場面で僕を助けた。


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こういう車のスケッチも描いたりしたけど、見ての通り上手くかけなかったし今でもうまく描く自信はない。僕はカーデザイナーになるために美大に入ったが、美大に入った時点で広がった世界を走り回るのに夢中で、車を描く練習はそんなに熱中しなかった。おかげで4年制のときに思い出したように受けたトヨタは2次試験の実技で落ちた。ちなみに試験内容は「100万円クラスのファミリーカーをデザインせよ」だったと思う。


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就活のときのはなしはまた別の機会にするとして。

今回は美大時代のはなしをかいつまんでしました。

読んでくれてありがとう。

 

 

 

おしまい

 

新卒としてデザイナーに。入社1か月のはなし

 

「デザイナーになった経緯とかかった時間」という記事から読者になってくれた方がいらっしゃったのでこの辺りの話を掘り下げます。

 

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(写真は僕が大学生のときにデザインした照明)

 

andy0330.hatenablog.com

 

 

 

 

それにしても僕がデザイナー関連の記事を書くと、グーグルの広告が記事の文章を拾ってデザイナー養成塾の広告をしきりに出すんだけど「2週間でwebデザイナーに!」とか出てくるんだけどさすがになれるわけないだろ~!デザイナーをなめるな。

 

僕が仕事で部屋の構造を立体的にスケッチしながら喋ってると「うまい!どうしたらそんなに簡単に描けるんですか?!」なんて裏技でも使ってるかのような感動の仕方をされるんだけど、これはたくさん練習したからです...。コツなんてなくて、いや、あるんだろうけど、技術というのは手が覚えるものなので聞き手の小指に鉛筆の黒鉛がこびりついて黒光りして、洗っても取れなくなるくらいデッサンをしてようやく少しだけ人より描けるものなのだ。野球の教科書読んだだけでボールを綺麗に投げられるわけじゃないのと一緒だ。不思議と世の中には「絵がうまい人は元々絵がうまい人種」みたいな考え方をする人がすごく多い。僕は不服だ。

 

むしろ練習してもこのくらいしか描けるようになりませんでした、というレベルなんですけどね。僕の場合。(美術予備校でも下のクラスだった)

 

 

 

僕はデザイナーになるのに7年かかった。

美術予備校2年+大学4年で合計6年。現在入社3年でようやく戦力になり始めた感覚があるので、今ここに来るまでに9年かかった計算になる。

 

入社3年目といったけど、今の会社が初めての会社だ。だから僕はほかの会社のことを全く知らない。よく転職経験のある年上の営業が「うちの会社そうとう変わってるからな」みたいなことを言いながら「ウチの会社に入ってドン引きしたことあるある」みたいな話に花を咲かせていると「マジかよ他の会社どんなんだろ~」とどきどきする。

 

うちの会社はざっくり言うとデザイン会社で、空間演出とかレイアウトとかインテリアとか、そういうことをやる。僕はデザイナーとして客の要望をかたちにしたり、あるいはかたちをつくってコンペで仕事をとったりする。あんまり詳しくかくとまずいのでぼかして表現しているけどね。

 

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僕は空間デザイナーなので、CADソフトを使う。図面を描いたり、立体物を表現するためのツールなんだけど、これが使えないとお話にならない。が、僕はCADソフトが使えなかった。なんと僕は、もともとグラフィックデザイナーとして入社試験を受けて入ったのだ。それなのに入った時に「君は今日から空間デザイナーだ!」と言われて何か気づいたら空間デザイナーの部署の椅子に座っていた。あ、うちの会社やっぱちょっとヤバいわ(笑)

 

1週間の入社研修が終わって、どんなことをやるのか漠然とわかったような気がしたあたりでデスクに案内された。デスクに用意されたデスクトップPCを自分で繋いで映るようにして電源をつけた。windowsの画面が立ち上がって「ようこそ」という文字が表示された。よろしく、と僕は心でつぶやいた。僕はその日今日まで3年間このPCで仕事をしている。

ここからはOJTだった。少し話がそれるけど、あんまりOJTOJTと言う会社は教育が貧弱だ。実戦に入る前の教育を省くなら実戦のためのマニュアルを用意するべきで、そのマニュアルも用意せずに安易にOJTを連呼するのは僕は嫌いだ。幸い僕の部署はOJT中の教育が手厚かったので、マニュアルはなかったが丁寧に育ててもらったと思う。すごく感謝している。

僕があまりにCADを知らなかったので(だってグラフィックデザイナーとして入社したんだぜ?)上司は「まずCADソフトを起動させてみよう」から始まって「直線を書いてみよう」「丸を書いてみよう」というところから教えてもらった。正直、これで「なんでこんなこともわからないんだ!」みたいな高圧的な使われ方をしたら僕は1か月で会社を辞めていたと思う。

 

名刺の肩書き「アシスタントデザイナー」の名の通り僕は上司先輩の仕事を手伝った。すっごく簡単なところからやらせてもらった。図面をPDFに変換する、とか、図面に文字を付け加えるとか。そういう中でも文字のポイント数が違ったり、使うフォントを間違えたり、いろいろやらかした。たぶん起こり得るミスは全部踏んだ。学生時代のアルバイトの頃から僕はずっとそうだ。全てのミスをまず全部踏んでようやく一歩成長する。カフェの店員のときもまずコップを割り、釣銭を間違え、ケーキの解凍数を数え間違え、出勤時間を間違えた。ただこのときの「僕はあらゆるミスをしうる」という自負は今の僕を支えている。

 

 

 

まとまらないけど、今日はここまで。

読んでくれてありがとう。

 

 

 

andy0330.hatenablog.com

 

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日本酒をコーラで割ったはなし

 

夜、寝酒でもと思って冷蔵庫を開けたら日本酒とコーラしかなかった。

とほほと思いながらコーラをマグカップに注いで飲む。そしてちょこちょこ日本酒を舐める。そして僕は思った。「じゃあ日本酒をコーラで割ればいいんじゃないか」

僕は酒リテラシーが無茶苦茶低い。どのくらい低いのかと言うと、ワインの好きな種類を答えられない。「赤は酸っぱいんでしょ。シャンパンと白ワインってどう違うの。焼酎と日本酒ってどう違うの」というくらい低い。偏差値30くらいだと思う。知らないと恥だということはわかっているのだけれど、今まで大々的に恥をかいたこともなければこれらの知識がなくちゃならなかった場面にも遭遇せずにこの年になってしまった。ただそれだけと言えばそれだけのことだ。

 

さて、日本酒とコーラを混ぜて飲んでいいのかどうか、という問題が僕の目前にあった。日本とアメリカ。和洋折衷といったところか..。味を想像するに、何となく行ける気がする。カクテルの一種みたいな、けっこうライトな味わいになるのではないか。

ただ、なんかやっちゃいけない気がするのは何なんだろうな。親に怒られそうというか。日本酒に悪いような気もするし。食事で例えるならば「カレーライスをぐちゃぐちゃに混ぜる」ような背徳感がある。

 

ただ現に僕はコーラを飲みながら日本酒を舐めているわけで、これは遠巻きに日本酒とコーラの相性の良さを認めてしまっていることに他ならない。それで、二つの飲み物を交互に飲むのも効率が悪いので混ぜました。10:1から8:2くらいで。混ぜたっていうか割った。

 

結果から言うとあんまり美味しくなかった。

まず、炭酸飲料から香る匂いが日本酒っていうのが絶妙に意味わかんないし、飲むと日本酒のせいでコーラの炭酸が弱まり、味も日本酒がコーラと完全に喧嘩していて、出来損ないの博士が2秒でつくった謎の薬品を飲まされているような気持ちになった。

こんな気持ちは高校生の頃「出自が同じだから」という理由だけで爽健美茶とコーラを混ぜて飲んだ時以来だった。

 

ちなみに日本酒をコーラで割ったこの飲み物、

ブラックレインと言う正式名称があるそうな。

 

ちゃんと名前があるのね。調べてみるものだ。

それにしても個人的に適当に割ったものでも名前がついているというのが意外だった。でもブラックレイン、個人的には失敗作なんだけどね。

 

 

おしまいー

 

読売新聞社「気流」の最終選考に残った!

 

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読売新聞の読者投書欄「気流」に自分のエッセイを載せるというのが僕の今年の目標だ。(目標は全部で64個ある)一年間じっくり投稿を続けて頑張るぞと思っていた矢先読売新聞社から電話があった。こないだ寄稿したエッセイが載るかもしれないという。

 

ええーっ。想像していたより早すぎる展開に頭が追い付かない。でも目標が64個もあったら1か月に5個ずつ達成しても間に合わないから間違ってはいないのか。それにしても寄稿2回目にして載るとというのは、我ながら快挙だ。たぶん僕は若いから、マイノリティーだから新聞に文章に載りやすいのかもというのはあるけど、それを差し引いても個人的に快挙だ。喜んでいいと思うぞ自分!

 

読売新聞社の方が電話越しに色々話した。僕の文章を載せるにあたっての注意点とか。例えば、これは新聞だけじゃなくて電子媒体にも転用する可能性がありますが大丈夫ですか、とか、このエッセイは使いまわしではありませんか、とか、筆者の言葉は最大限尊重するけれど、文字数の都合上言葉を削ったり言い回しを変更するかもしれないが構わないか、など。最後の最後に「レイアウトの関係で載らないかもしれないが、載らなかったらそれはそれで察しろよ」みたいなことを釘刺された。なんだ、載らないのかもしれないのか。たぶんあれだな、災害とか緊急ニュースみたいなものが舞い込んできたら読者投稿欄なんて吹き飛んじゃうんだろうな。今週日曜日よ。平和であれ。

 

 

そうして注意事項を聞きながらなんだかどきどきしてきた。北朝鮮が弾道ミサイルを飛ばしたり、官僚が天下りしたり、首相が大統領を訪問したりといったことを伝える紙媒体に、自分の文章が載るのだ。全国紙だ!

 

当然、新聞の読者寄稿欄なんて、あんまり自慢して騒いでいるとむしろ恥ずかしいくらいの出来事なのかもしれないけれど、なんて言えばいいかなぁ。「人類にとっては小さな一歩だが私にとっては大きな一歩」くらいの気分だな。あはは。

 

とにかくうれしいな。新聞に寄稿するときは新聞社に添削される前提があるからか書くときに結構緊張感があるのが良かった。僕は普段こうして無責任な場所で無責任な文章を書いてやってきたので(ダメだろ!)緊張感のある場というのは貴重なのだと感じた。全国紙にエッセイが載っちゃうなんてすごいぜ!と自分で高揚していたのだけれど、ではなぜこのブログは丸々3年間アクセス数が変わらないのか.....。

不思議だねぇ。

 

 

 

おしまい

 

今この瞬間なんでもいいから一つでも名文を暗唱することが出来ないそこのあなた!

 

「最近の人はそらんじることが出来ない」というようなことを作家の斎藤孝が言った。自分のことをずばり言われたようでどきりとする。そらんじるというのはつまり、物語の名文やことわざ、詩などを何も見ずに口にすることが出来るかということだ。

「例えばあなたは今、何でもいいから名文をそらんじてください、と言われて咄嗟に出来るだろうか」と斎藤孝は続ける。ううん...と考え込んでしまう。

 

最近、その影響を受けたからというわけではないが、百人一首を暗記している。暗記していると言っても3個覚えて2個忘れるような鈍足だが、歌のひとつひとつに沢山の意味が込められているので読んでいてとても楽しい。毎晩シャワーを浴びる前に適当にテキストを開いて1つを覚える。

 

「あまつかぜ 雲の通い路 吹き閉じよ をとめの姿 しばしとどめむ」

 

これを意味と一緒にむにゃむにゃ暗唱しながら着替えを持ってバスルームに行き、シャワーを浴びる。だいたい頭を洗い流すと一緒に歌も流れ落ちてる。

「あきつかぜ?あれ?しばしとどめよ?あれ?」と全裸でうろたえる自分。確かに、そらんじることが出来ない世代なのかもしれぬ。

 

なぜ斎藤孝が「そらんじることが出来ない」と憂いたのかといえば、「引用こそが知性だ」「引用できない人は教養がない」という強い意見を持っているからだ。たとえばキリスト教圏で聖書の一節もそらんじれないとなれば馬鹿だと思われる。逆に、咄嗟のときにソクラテスの名文とかをそらんじることが出来れば尊敬されたりすると。本当か嘘かはわからないけど、確かに大河ドラマや時代劇で武士が論語を引用して殿を説き伏せたりするところを見ると「知性的でかっこいい」と思うし、そういう風に必要な場面でそらんじることが出来る人は教養がある人だと思える。

 

映画『フューリー』のクライマックス、戦車に乗る5人の米兵が300人のドイツ兵を迎え撃つことになり、全員が死を覚悟したときのシーンが印象的だ。

メンバー内唯一のクリスチャンのボイル(砲手)がいつものように聖書の一節を取り上げる。

わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」

http://www.yoshiomaki.com/post-25671/

 

ボイルはクリスチャンなので事あるごとに聖書の引用をしては仲間にウザがられたりからかわれたりしていたのだけれど、このシーンは間違いなく負けて死ぬことが分かっている戦いの前なので誰もが真剣にその一節に耳を傾けた。

そして、今まで聖書の言葉に一度も反応してこなかったボスのウォーダディ軍曹(ブラピ)が「イザヤ節6章...。」とページの箇所を呟くのだ。ここが無茶苦茶かっこいい。振りかざすでもひけらかすでもなく、ただ静かに自分の中に詩を持つ人。教養がにじむ瞬間。そらんじることの強さを感じた瞬間だった。

 

 

別に毎回わざわざ名文をそらんじる必要はない(斎藤孝もあんまりやるとウザがられますよと警告している)のだけれど、自分のお気に入りの詩や名文をいくつか覚えておいて損はないと思う。思えば江戸時代の寺子屋では「ノシタマワク」の文を延々と暗唱させられたり、会津の学校では今でも「ならぬものはならぬものです」の長い戒律をそらんじる習慣があるそうな。身の回りでも百人一首は暗記させられましたという人が多く、そういう学習を九九でしかやってこなかった自分は一抹の焦りを感じるのである!

 

最後に僕のお気に入りの言葉が2つあるのでそれを紹介して記事を終えようと思う。

 

 

 

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エルマーのぼうけんの名翻訳者として知られる渡辺茂男がとある講演でフィクション・物語の重要性について説いた忘れられない一節。

 

「実在しない生き物が子供の心に椅子をつくり、それらが去った後に実在する大切な人を座らせることが出来る。」

 

 

それから、これは知ってる人いるかもしれないけど、ヘルマン・ホイヴェルス「人生の秋に」に収録されている詩。

 

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。

 

ヘルマン・ホイヴェルスはドイツ人の神父なんだけど上智大学の学長も務めたことがある。ちなみにこの詩はホイヴェルスが帰国したあとで友人からもらった詩だから、「ホイヴェルス曰く」みたいな使い方をするとすごく恥をかくので注意。

ちなみにこの詩をどこか映画で聞いたことがある人は松坂桃李主演の映画「ツナグ」を見た人だと思う。樹木希林がこの詩を丁寧にそらんじるところがすごく良かったな。

 

 

おしまい

 

 

 

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ツナグ

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ツナグ (新潮文庫)

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求人側から見て自分にどんな価値があるのか

 

今週のお題「新しく始めたいこと」

 

ポートフォリオをつくらなくちゃ。というおはなし。

 

冷や汗の金曜日

花の金曜日はチューハイ片手にネットーサフィンだ。その日僕は「生絞り オレンジ」を飲みながら転職サイト(?)のようなものを徘徊して遊んでいた。システムとしてはまず自分のプロフィールを作成して、それに応じて求人情報を検索するというもの。

別に真剣に転職を考えていたわけではなくて、求人側のベンチャー企業が色々やっていて面白そうだったの。障碍者向けのインフラ事業とか、紙不要の電子決算システムとか。アプリ開発とかそういうのが多い印象だった。デザイナー求人で絞ってみると募集している職種はwebデザイナーやエンジニアが大半。僕は空間デザイナーなので、寸法を出したりレイアウトを考えるのが生業で、HTMLとかC言語とか言われてもさっぱりわからない。つまり結局のところこういったところに求人を出しているベンチャーと僕はあんまり関係がないってこと。まあ遊びで徘徊してるだけだからいいのだ。

 

それで何をしていたかって言うと、プロフィールを作っていた。求人側に見つけてもらうためには素敵なプロフィールを作らなければならない。これは履歴書のもっと実践的なもので「結局お前なんの役に立つの?」というようなものだった。

職歴、資格、言語などの項目があってそれを埋めるたびに「プロフィール完成度」のパーセンテージがあがっていき、求人側の検索で上位に出やすくなるという具合だった。ちなみに僕のプロフィール完成度は25%でした...。とにかくこのプロフィール構築がちっとも進まなくて僕は冷や汗をかいた。「自分はいったい何者なのか」

 

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デザイナーの信用

 

僕はデザイナーだ。デザイナーは消防士とかパイロットとか税理士とは違う。何が違うかと言うとデザイナーには資格がいらないということだ。つまりデザイナーだと誰に認められなくてもデザイナーを名乗ることはできる。裏を返せば、「僕はデザイナーだ」という人間がいても、どこの馬の骨だか知れないということだ。

ではデザイナーをデザイナーたらしめるもの、信用に足るものは何かといえば「ポートフォリオ」と「受賞歴」だ。ポートフォリオとは作品集のことで、今まで自分が製作した作品や、関わった案件の写真と説明を載せることで自分の能力を相手に伝えることが出来る。受賞歴はそのままで、一般公募なりデザイン賞なりで結果を出せばそれは履歴書に載せることが出来るので、受賞歴がそのまま自分の能力の証明になるのだ。

そう考えるとデザインの世界は過酷というか、実力社会だ。結果を出さなければ転職もままならない。僕だって自分が会社を経営する人間で、デザイナーを雇おうと思ったらポートフォリオを持っていて受賞歴がある人間が欲しいに決まっている。その点星野源ってすごいよな。CD出してるし本出してるし演技できるし。ポートフォリオ充実してそう

 

結局プロフィールはちっとも埋まらなかったが、埋められなかったという良い経験ができた。これを埋められるように頑張ろうと舵を切るほど単純な人間ではないが、自分が自立したデザイナーとして好きなところで働きたいと思ったら、雇う側が「彼が欲しい」と思わせるキラリと光る何かが必要なのだろうと思った。プロフィールを埋めながら思ったのは「こういうところには書けないけど、人間性とか、そういうところでも評価してよ」ということだったがこれは敗者の理屈だ。センター試験で凄惨な結果を残した受験生が「おれ人間性は高いのに」って言ってるのと何ら変わりはない。

「こういう環境で働きたいな」と思ったら、そういう環境が欲していそうな人材になるように努力する必要がある。当たり前のことかもしれないけれど僕は昨日ようやく頭で、というか体感的に理解したんだ。

 

まずは、ポートフォリオをつくらなければ。

 

おしまい