襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

会社帰りに市民プールへ

 

 

定時退社。

こちとら休日返上してしこしこ働いてんだ。たまには定時で帰るぞ。

 

 

 

 

鞄の中にはプール道具一式。

 

帰りのエレベーターで一緒だった会社の人に「今日これからプール行くんです」と言った。言いながら思った。すげえ小学生みたいなセリフだなこれ...。

 

 

僕は泳ぐのがあまり上手ではない。

 

 

どのくらい上手じゃないかというと、クロールで50m泳ぐと全体力を使い果たしてその日の水泳が終了するくらい上手じゃない。上手じゃないっていうか体力ないだけだなこれ。でもハーフマラソンで21km走っていたときもだいたいそんな感じだった。だからまあ、上手じゃないんだと思う。

 

 

水泳はなんと3歳から11歳まで続けていたので、相当すいすい泳げる人間になっていても不思議ではないんだが、浮かないんだよ。とにかく。

 

 

水中で体が浮きません。

やせすぎてるんです。昔から。

 

 

小学校のときからチビで、しかもずっと教室で絵を書いたり本を読んだりしてたもんだから筋肉なんてつくはずもなく。、ようやく高校で真剣に部活に打ち込んだかと思えば陸上部長距離だからね。やせる体質みたいなのが完全に体に備わってしまっている。

陸上部のときの僕の体脂肪率は5%だった。浮かないわけだ。

 

 

浮かないから余計に筋肉を使う。そして筋肉はほとんどないのでどんどん血中の酸素が欠乏して息が切れる。それで僕は50m泳ぐとくたばってしまうわけだ。

だから、基本的には平泳ぎ。

 

 

 

でも泳ぐのは好きだよ。

全身まんべんなく疲れるのってすげえ気持ちいいじゃん。

ゆったり眠くなる感じというか。一番好きなのはプール上がりに調整豆乳のコーヒー味を飲むことね。それを楽しみに泳いでいるといっても過言ではないのだ。えへん。

 

 

 

会社を出て、近くの駐輪場に停めている自転車に乗って3駅先のプールへと急ぐ。もう11月だから18時過ぎでも外は完全に夜だ。市民プールに入って410円のチケットを購入して更衣室へ。服をいそいそと脱ぐ。冬はコートだのマフラーだの色々身に着けているから着替えるのが面倒だが、夏はひとが多すぎるんだよな。

 

もう混雑も混雑。おまけに小学生向けにスイミング教室なんて始めるもんだから使えるスペースがどんどん狭くなって、サマーランドかよっていうようなイモ洗い状態になってしまうんだ。

 

 

 

だから冬はいい。

冬の温水プールなんて実はけっこう至福なんだけど、会社の人を誘っても泳ぐときは結局一人だから(笑) 特に誰を誘うでもなくたまにこうしてプールに赴く。

 

 

着替え終わってシャワーを浴びる。泳ぎながらどんな考え事しようかなーって考える。いつも考えるんだけど無駄なんだよね。泳ぎながら考え事するほど暇じゃないっつーの。そんな余裕どこにあるっていうんだ。こっちは浮くので精一杯だというのに。

 

それでもどんな考え事をするか考えてしまう。

前に作家の村上春樹(作家の、なんてつけることないか)が「走るときはいつもどんなことを考えていますか?」と質問されたことがあったけれど、走ったりでも泳いだりでも、考えているわけがないんだ。そのときはその競技に夢中だ。当り前じゃないか。

 

 

プールサイドに入って帽子をかぶり、ゴーグルをつける。

ほどほどに準備体操をして水の中に身体を入れる。ざぶん。

おお水の感じ。すごい久しぶり。風呂とは全然違うんだよな。水ってやっぱりお湯とはちがう感触だ。温水のほどよい温さがありがたい。

 

それから平泳ぎを始める。すいすい。

手をかくときは指を広げるイメージ。手をかいて、足をかいてびゅーんの時に体が一直線になるように心がける。全然すすまなーい。

 

2往復して100m泳いだことになる。もう、普通に息が乱れている。

まあ、プールくるの3か月ぶりだし!

 

ちょっと頑張ってもう50m泳いでからプールサイドにあがって休憩。

3分休憩してからまたプールに入ると今度は水が冷たくてぶるっとする。

さっきの150mで体がの筋肉が消耗して体温があがっているのだ。

うん、いいことだな。両手で肩を触ってみるとすごい熱を持っているのがわかる。おおー筋肉、がんばっているか。

 

 

それからまた150m泳いで休憩、最後に200m泳いで今日のプールはおしまい。

今日は合計500m泳いだことになる。これが多いのか少ないのか僕にはわからないが、平日の夜に会社帰りにプールにくるなんてよっぽどのもの好きなので、今日の平均で言ったら全然低いほうなんじゃないかって思う。

まあ、久しぶりに来たんだったら僕は500mが限界かな...。

去年、トライアスロンに出場した夏は毎週会社帰りに1km泳いでいた。

ぜーぜー言いながら。いいな。あのくらい回復出来たら楽しいだろうと思う。

今でも十分楽しいけど。

 

 

帰りはまた自転車に乗って家路へ。会社でもプールでもどこへ行くんでも自転車圏内ってほんと贅沢だと思う。帰りは体が運動であったまっていたので全然寒くなかった。

うそ。指はかじかんだわ。

 

 

おしまい

バーベキューにいかれない

 

突然だけど、バーべーキューが苦手である。

苦手というか、足がすくんでいかれない。昔から大人数で何かやるのがだめなんだ。

 

 

僕は物心ついたころから「みんな」が怖い。

 

 

幼稚園のとき、「あさのおうた」という時間があった。

 

 

僕は皆が決まった時間に決まった立ち位置で決まった歌をなぜ歌わなければならないのかちっとも理解できなかった。

 

もしみんなと同じように歌を歌ったら僕は「みんな」にされてしまう。

「みんな」僕は僕でなくなってしまう。

 

「我々は宇宙人だ」は宇宙人という種であって、個ではない。

僕は「みんなと違う」ことでしか自分の存在を認識することができない。

3歳のころから、ずーーーーっと、そうだった。これは僕の人生における大きなテーマの1つだ。

 

 

 

 

結局僕は「あさのおうた」でみんなと一緒に歌うことを拒否し、

代わりに僕はみんなの前でフラダンスを踊った。

 

 

奇をてらったおふざけのように思われるかもしれないけれど、僕はこれを幼稚園にいる間ずっと続けたそうだ。先生も周りの子も段々「あいつは踊るのが役目」みたいな感じになって承認されていたような気がする。

 

 

 

 

 

 

20年後、中小企業に就職した僕

会社の椅子が壊れかけていて、「新しいのに変えてくれ」といってもなかなか申請が通らず、結局僕は自分で椅子を購入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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それがこれだ。もうなんていうのかな。椅子を買ってもらえなかったアンチテーゼとして。「椅子買わないと俺は自分の金で椅子を買うし、俺が金を払う以上椅子に関して文句は言うまいな!」みたいな。

 

 

読者諸君は「こんなこともしてたなコイツ...」って感じだろうけど、うん、バランスボールね。

 

andy0330.hatenablog.com

 

 

 

あれ、言ったっけ。これ。

バランスボールでしばらく仕事を続けてたら会社の社長に話が言ったらしくて(誰かチクったんや!)社長が僕の席までバランスボールを見に来るという事案まで発展。

 

「アンディさんそれ座りやすいですか?」と社長が訊ねて

「はい。めっちゃはかどります」と即答すると

納得したように去っていったよ...。

 

 

で話をもとに戻すと、僕は「みんな」と違うんだって自分に言い聞かせることで自分の存在を認識する。それゆえにちょっとずれた行動をしたり、ひょうきんな言動をして浮いてみたりする。それは割と、意識的にやっている部分が大きい。

 

 

 

 

バーベキューにいかれない。

バーベキューに行ったら僕は「みんな」になってしまう。

例えば20人のバーベキューで、僕がふといなくなっても誰もしばらく気づかないだろう。「みんな」というのは常に「替えがきく」ものなのだ。自己再生する頭のない怪物のようなものだ。

それはバーベキューだけに限らず、大人数のカラオケやボーリング、パック旅行でも同じことが当てはまる。それらは僕にとって非常につらい時間になりうる。

 

 

逆に僕は少人数の遊びを心から歓迎する。

それは友人との登山だったり、ボルダリングだったり、プラネタリウムだったり、2人とか3人とかの飲みだったりする。そこでは僕は「みんな」になりえない。

 

二人での作業であればそれは対面的な関係である。

「僕」がいて「あなた」がいる。決して「みんな」ではない。

 

 

僕は常に「あなた」として扱ってもらえる。その「あなた」が保っていられる人数、それが僕の限界だ。経験でいうと、「あなた」が「みんな」になるのは5人からだ。

 

 

4人までなら何とかなる。それぞれがかけがえのない存在で、例えば一人いないとすぐに気が付く。そういう力関係が及ぶのが4人だと思っている。今のところ。

 

 

 

そういうわけで結局何が言いたいのかっていうとバーべーキューに行かれないのだ。

なんでバーベキューにいかれないことをこんなところに書いたのかというと、今ちょうど誘っていただいているところだからだ。

 

 

それで、それをお断りしたのだけれど、「なぜいかれないのか」について、僕が正直に今書いたようなことを延々と説明するのは現実的ではないので、こうして当てつけのような形でここに書いておくのである。

 

 

 

「一度くらい言ってみれば?」

 

たしかに、それもいいかもね。

 

 

 

 

おしまい

 

 

花いちもんめとかいう超絶クソゲー

 

 

土曜日は雨。

残業。

くっそー!入社4年目でもやっぱり秋冬は案件多すぎてキツいぞー。

 

会社PCでyoutubeを開いてイヤホンをつなぎ、「作業用メドレー syrup16g 死にたくなった時に聴く曲」をずっと聞いていた。なんかこういうのって逆に元気出るんだよね。まあ別に死にたいとか思ってないんだけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で!

仕事しながら急にふと思ったんだ。

 

 

 

 

花いちもんめって嫌いだったなぁ.....。って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで嫌いだったんだろうなー。

っていうか、今でも子供って花いちもんめとかやるのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨が全然やまない。

そして寒い。

 

そういえば、あ、全然これ関係ないんだけど、会社の子がこのブログをめっちゃ読んでくれたことがあって飛び上がるくらい嬉しかったんだけど(なんとその夜一人でワインを飲んだ)、急に僕が「花いちもんめってさー」とか語りだしたらひかれちゃうんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあいいか!(膝をぽんと打つ)

今まで700個以上記事を書いてきたのだ。

いろんなことを書くのは当たり前なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花いちもんめ。

 

 

 

 

マジ何なのあれ?!

 

 

 

僕は小さいころからあれが苦手で。

苦手っていうか、友達がやるから僕も混ざってやるんだけど、やってるうちに泣き出したくなっちゃうんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

勝って嬉しい花いちもんめ

 

負けて悔しい花いちもんめ

 

あの子が欲しい

 

あの子じゃわからん

 

この子が欲しい

 

この子じゃわからん

 

丸くなって相談しよう

 

そうしよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでお互い作戦会議タイムだ。

 

 

やっぱり人気なのはクラスでサッカーが得意なあいつだったり、流行りのギャグばかり言って笑いを取るのがうまいあいつだったり。

 

 

 

 

ああーでもひょっとしたら僕が相手チームに選ばれてしまうかも??それだとちょっと困るけど、でも相手から欲しがられてるわけだからちょっとドキドキしてにやついてしまう。

 

 

 

 

 

 

作戦会議がおわって、また手をつないで歌いだす。○○ちゃんが欲しい ○○くんが欲しい。あっ俺じゃないんかい。

 

 

そういえば僕の子供のころのヒエラルキーは下の中から下の上くらいだったわ。

 

食物連鎖ピラミッドでいうと

たぶんフェレットくらい。

 

 

 

 

 

 

 

そして指名された二人がじゃんけんをして(じゃんけんなのかよ と僕は子供心ながら思っていた。)負けたほうは相手チームに入る。(なんでだよ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

これで人気者が取られちゃったりしたら、

次の作戦会議でまた取り戻したりするのだ。

 

 

 

 

 

あれ、これ最後どうなったら勝ちなんだったっけ?と思ってさっきからググってたんだけど、

 

ようやく出てきた「花いちもんめのルール」ページの最後にこう書いてあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最後の一人が負けるまで続けます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

え~~~~~やっべ~~~~~!!

 

 

 

うわー。うわー。すごいなこれ。

 

最後の一人が負けるまで続けるんだ。

超絶クソゲーじゃん!うわー。

 

 

 

 

 

 

 

だめだ、これもう文章じゃない。

うんうん、いったん落ち着こう。

 

 

 

 

 

僕は、もうちょっとしたら26歳になる僕は、家賃5万4000円の自室の壁に背中を預けてそっと瞼を閉じて、その光景を思い描いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校の校庭で花いちもんめをやる子供たち。

片方がすごい列だ。

みんなで手をつないでいる。

 

 

 

 

もう一方は二人だ。

二人で手をつないでいて、今にも泣きだしそうな不安そうな顔をしている。

 

 

 

 

○○くんが欲しい

 

○○くんが欲しい

 

 

 

 

二人組の、名前を呼ばれたほうはほっとしたような表情をする。

 

 

 

 

呼ばれなかった子は、もし本当に相方がじゃんけんに負けたら独りぼっちだ。

っていうかこの時点ですでに不人気もの確定じゃん。おれってそんな存在だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ってさ。てさ。

かわいそうじゃん。ね。

 

「花いちもんめで最後の一人」っていうメガトン級のトラウマ体験が僕にあったかどうかは定かではない。覚えてないんだ。

 

 

覚えてないからないのかもしれない。

まあクソゲーであることに変わりはないけどな。

 

 

 

でもこういう目にあったかどうか僕自身定かじゃないんだけど、似たようなことならあったよ。

 

 

 

 

小学校の授業でドッジボールをやることになったんだけど、そのチーム分けの仕方が壮絶で。出席番号順で半分に分けりゃいいじゃんね。そうだろ?みんなもそう思うだろ?

 

 

 

 

 

 

 

でもそうじゃなくて。

 

 

まずドッジボールが得意なことで有名なクラス仕切ってる奴2人が(勉強しろ!)教壇に出て、そしてかわりばんこに欲しいやつの名前を呼んでいくのだ。

 

 

 

 

呼ばれた人は読んだ奴のチームに入るわけだ。で、どんどん呼ばれていって、呼ばれた人は自分のチームのほうに集まっていくじゃん。

 

 

もうほとんど花いちもんめ的だよね。

 

 

 

 

 

 

で、やっぱり勝ちたいからさ、リーダーは運動神経良い人を入れてくわけだ。

 

 

 

で、女子なんて「キャー」とかいって避けるばっかりだから後回しじゃん。

 

もうここでも性差別的じゃんとか思うんだけどそれは置いとくとして。

 

で、足早いやつとか腕っぷし強いやつとかどんどん呼ばれていって、

 

 

 

 

ほらほらほら、

 

 

 

 

最後に僕が残った。

 

 

僕は中3までクラスで1番か2番目に小さかったんだよね。

 

ずっと教室で絵を描くか本を読んでるかだったし、運動会も永遠にビリだったし。

 

 

 

で最後にリーダーが最後に残った僕をちらっと見て「もうお前しかいないんだからこっち入れよ」みたいな顔して。

 

 

 

 

 

あっこれ結構きつかったぞ。

 

 

 

今じわじわ思い出してじわじわきついぞ。

おれチョーかわいそうじゃん!

 

 

 

だからこういうのやめにしようぜって。

 

いやもう会社員だから1ミリも関係ないんだけど。ただ、花いちもんめがクソゲーだっていうのはここではっきりさせときたいんだよね。そういう責任があるっていうか。

 

 

 

 

いや、花いちもんめにもあれはあれで面白い要素があって、おれは好きだったぜ!っていう人いるんだろうか。いたら連絡ください。SIMカード破壊するんで。

 

 

 

 

 

 

 

残業はつづく。

youtubeは気づかないうちに「絶望した人向け ミスチルメドレー」になってた。

まあ別になんでもいいんだけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

ブロックのようなことば

 

友人があるとき僕にこう言った。「"おまけに"って素敵な言葉だと思わないか。」

彼は「僕も"おまけに"って使えるようになりたいんだ。」

 

僕はそれがすごく良い姿勢のように思われた。

それで僕も、まずは"おまけに"という言葉を体得してやろうと思った。

 

 

翌週、僕は上司にこういう風に言葉を使った。「今日は残業します。クライアントから緊急で修正依頼がきて、おまけに新しい提案が入っているんです。」

 

このときの"おまけに"の違和感ときたら....!!

しゃべったあとで上司が「なんだその言葉遣いは!けしからん!」と怒り出すんじゃないかと警戒したくらいだった。それは、日本語でありながら英語のような手触りだった。

 

子供のころ英語教室で初めて先生に"How are you??"と口にした時の違和感を思い出した。なんとなく居心地が悪い感じ。それから気恥ずかしさ。

それは僕にとって先生に"ピッピロピー"と言うのと何ら変わりがないのだ。

 

極端に表現するなら、

「おまけに」=「How are you??」=「ピッピロピー」なのだ。

 

僕は、"おまけに"を繰り返し会話に織り交ぜることによって結果的にその言葉を手に入れることができた。手に入れるって言うのは要するに違和感なくいつでもその言葉を取り出すことができるということだ。

 

 

 

 

僕は「ありがとう」「おやすみなさい」そして最近になって「おまけに」という言葉は違和感なくいつでも取り出すことができるが、「ともすれば」とか「いきり立つ」とか「まっぴらごめんだ」はすぐには出てこない。使うことで言語を体得する。

でもこれってよく考えれば英単語の学習とプロセスは全く同じなのだ。

 

 

僕は最近「おしなべて」という言葉に着目している。

「概して・一様に」という意味だ。今度は「おしなべて」を日常会話に織り交ぜて使ってみようと思っている。

 

 

僕がこういうことを遊びのように繰り返しているのは

言葉を玩具のように考えているからだ。それは僕の中でブロックのように存在している。相手と会話するときに僕はブロックの箱をひっくりかえす。でも全部をひっくり返すわけじゃなくて、「よく使う」の箱をひっくり返すだけだ。上司と話すときは一緒に「礼儀」の箱をひっくり返すし、初対面の人とあうときはすべての箱をひっくり返す。そして会話が始まるとそれらをくっつけたり組み立てたりしながら会話をする。

それが僕がタイトルにつけた「ブロックのような言葉」の意味だ。

 

僕は相手に対して投げるブロックに、意図的に若干の違和感のあるブロックを混ぜることによって言葉に魅力を与えたいと考える。ひょっとしたら常に考えているかもしれない。それは単純に「おまけに」「おしなべて」といったマイナーな単語を入れるだけではなくて、例えば「最初は使いづらいなって思ってたんだけど使っていくうちにやっぱり使いづらかった」というような変則的な言葉の配列を楽しんだりする。

かつて詩人中原中也が文豪太宰治に「青鯖が空に浮かんだような顔しやがって」とふっかけたそうだが、さすがにそこまで意味がわからないことを言う準備は僕にはないけれど。

 

僕はおそらく、長く同じ言葉しか使わずにいて、そうして言語が限定されることで自分の世界が狭められてしまうのが怖いのではないかと思う。常に新しい言語を開拓して、感覚を拡張しないといけないという焦燥感がある。だからといっていつも国語辞典をめくっているわけではないのだけれど。

 

 

いつも以上にとりとめもないけれど、今日はここまで。

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モレスキンを卒業したら、測量野帳をはじめよう

 

モレスキンを振り返って

モレスキンユーザーのみなさん、あるいは今モレスキンを使っているが不満があったりして、また違ったノートブックを探しているみなさんこんにちは。僕は元モレスキンユーザーです。丸6年モレスキンを使い続けて、今年の夏に思い切ってコクヨ測量野帳という名前の手帳に鞍替えいたしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モレスキンは最高の手帳だった。

 

それは今でも僕もそう思う。多くを主張しない黒くて堅牢なカバー、上品なサイズ、便利なゴム紐、書き終えたノートをラベリングして並べる至福、あるいはヘミングウェイのような歴史的人物が愛用したというブランド性.....。今でも強い動機があればモレスキンを買ってしまうのではないかと思うくらい、モレスキンは「所有欲」を満たしてくれる手帳であり続けた。僕は6年間で30冊のモレスキンノートに文字を書き尽くした。

 

ただこれだけモレスキンを使っていく中で不満点もでてきた。

特に一番気に入らなかったのはモレスキンを生産するメイン工場が中国に移転し、手帳の品質が落ちたことだ。ノートの質が落ちたというか、個体差が激しくなった。ひどいものは購入してノートを開くと「めりめりめり....」という糊?のような音が聞こえたりした。また、万年筆は裏移りし、サインペンは滲んだ。

 

 

 

 

 

 

これを良しとしないモレスキンユーザーの中ではヨーロッパ製の優れたモレスキンノートと、中華製の駄目モレスキンノートを見分ける「サーチ」という行為を会得する者が現れた。

本屋などで陳列されているモレスキンを一冊ずつ手にとって背表紙の状態やしおりの状態を確認してそのノートがどこ産なのかを判定するというものだ。

モレスキンを購入すると品質を証明するシールがついてくるのだけれど、これが水色ならヨーロッパ製(あたり個体)赤色なら中華製(だめ個体)というわけだ。

 

 

 

僕はだいたい2か月くらいでモレスキンを使い切ったので、一度だめ個体を購入すると2か月そのノートでやっていかなければならなかった。モレスキンはヨーロッパ製だろうが中華製だろうが2100円とノートとしては高価すぎる価格設定だ。

 

そう、だいたい、2100円なんていうお金を払って、なぜ望まない中華製の、開くだけで糊がバリバリいうようなノートを買わなければならないのだろう?

僕は、何より、モレスキンという誇り高いノートメーカーが工場を中国に移転させたことがショックなのだった。そもそも、ヘミングウェイが使っていたノートはあくまでモレスキンの前身のノートであって、現代で僕たちが使っているモレスキンとは関係がない。

 

値段が高く、個体差が激しく、品質とブランドが落ちたノートブック。

僕は6年間の間モレスキンを使い続け、そしてその旅路に終止符をうった。

 

 

 

 

 

 

 

それから僕はモレスキンの代わりとなるノートブックを探す彷徨がはじまった。無印良品の無地手帳、あるいはダイソーが販売する偽モレスキン「ダイスキン」、セリアが販売する偽モレスキン「セリスキン」などなど.....。

しかしそのどれもが所詮はモレスキンの残像を追いかけているだけで、モレスキンの代わりはつとまらなかった。

100円のノートであるということを踏まえれば、よくできた手帳だったけれど、なんというか、このノートたちには「物語」がなかった。持っていてわくわく心躍らなければ僕は文章を書くことができたなかったのだ。

 

 

 

そんななか、僕は測量野帳に出会った。

 

測量野帳

僕がモレスキンを卒業したあと、新しいノートブックに求めた条件は以下の通りだ。

モレスキンより安いこと

・ものとして素敵であること

・シンプルであること

・万年筆で書けること

・比較的どこでも手に入ること

 

 

ある日、僕はロフトで緑色のノートに出会った。表紙には防水用のコートが施されており、種類に応じて「SKETCH BOOK」「LEVEL BOOK」とタイトルが振ってある。

中をぱらぱらめくってみると紙質が良い。見てみればコクヨで日本製である。

 

 

測量野帳スタイルブック (エイムック 3514)

測量野帳スタイルブック (エイムック 3514)

 

 

それが測量野帳である。

なんとガイドブックまで発売されている。

値段をみると200円。モレスキンを1冊のお金で10冊買える値段だ。

まあ200円なら試してみるか、と思って1冊購入してみた。

そこから僕のヤチョラー(測量野帳ユーザー)の道がはじまったのだった。

 

 

 

モレスキンユーザーは総じてヤチョラーの素質を持っている

測量野帳はその姿はモレスキンとは似てもにつかないのに、驚くほどモレスキンの強みを同じように持っている素晴らしい手帳だ。僕はいま、モレスキン測量野帳に比べて勝っている点は「モレスキンであること」のみだと思っている。随分挑発的な言い方になってしまうけれど本音だ。モレスキンを持つこと。それ自体がステータスだ。ふと机に置いているだけで「おっモレスキンだ」と思ってもらえる。持っているだけで大人っぽい。できる人らしく見せることができる。アメリが使った手帳であり、ダビンチコードで登場したノートもモレスキンだった。

冬の公園で、あるいは一人で乗った空いた地下鉄で、モレスキンを開いてペンを走らせてみよ。まるで外国の映画の登場人物になったような気持ちになることができる。

 

でも、それは映画の小道具というだけで、実用的なノートかというのはまた別の問題だ。測量野帳はまず60年歴史があり、その名の通り測量のために開発されたために堅牢で防水性のあるカバーでできており、日本製で紙はめくりやすく書きやすく、なめらかで万年筆でも裏移りしない。そしてシンプルで大人っぽく、軽くて持ち運びやすい。

1冊が200円と安価なのはページ数が少ないからだ。

ページ数が少ないと何が起きるか。ポケットにさっと入るのだ。

そして出先でもすぐに取り出してメモを取ることができる。測量のフィールドワークのために開発された手帳だ。雨の中、あるいは土をかぶったりしながら、しっかりと情報を書き留めることができる。手に取っただけでそれがわかってしまう手帳は、やはり素晴らしい手帳なのだろう。

 

おしなべてモレスキンユーザーはヤチョラーの素質を秘めていると僕は考える。

モレスキンユーザーはお気に入りの文房具にお金をおしまない。納得した道具を納得して、大事に使いたい人だ。ディズニーやきらきらしたグラフィックが印刷された手帳には見向きもせず、シンプルでデザイン性のすぐれた道具を愛している。そしてシンプルが好きでありながら、スタンプでデコレーションしたり、ページに映画の半券や写真を貼ったりして自分好みに拡張するのが大好きだ。だからモレスキンユーザーはトラベラーズノートとも相性が良いはずなのだが僕はどうしても使いこなすことができなかった。

 

 

 

 

モレスキンは高い。いくら何でも高いと僕は思う。

「そう?こんな素晴らしい手帳ならこの金額は妥当だ」という人を僕はあまり見ない。スケジュール長のような、一度購入したら1年間使えるものであれば僕だってモレスキンを選択肢に加えるだろうが、普段TODOを書いたり、日記だったり雑記だったりを書いたり、果ては落書き長に使ったり...。そういう作業に2100円のモレスキンノートは本当に最適解だろうか。モレスキンユーザーも本当は気づているはずだ。そのノートが、2100円分の能力をもってはいないことを。

 

ちなみに測量野帳はアマゾンで10冊購入すると1000円ちょっとで購入することができる。これを知ってしまうと、もうモレスキンに戻る理由がないのである。

 

 

コクヨ 測量野帳 スケッチ 白上質紙 40枚 セ-Y3

コクヨ 測量野帳 スケッチ 白上質紙 40枚 セ-Y3

 

 

 

 

 

僕の測量野帳のつかいかた

 

僕は主に文章を書くので「LEVEL BOOK」を使用している。

 

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表紙にマスキングテープを貼っているのはちょうどこのノートを使い切ったからだ。

モレスキンのときからの習慣で使い終わったノートに「名前をつけ」、使用した期間を記すのだ。使い終わったノートに名前をつけるのは僕にとって非常に心躍る作業だ。

2017年10月6日から10月26日の日々は「BEACON」と名付けられた。信号灯やかがり火という意味がある。ただの明かりではなくて、「ここにいるよ」と自分の存在、位置を相手に知ってほしいときのめじるし。そんな意味がこめられている。

はじめてのモレスキン、2010年5月の記念すべき1冊目のタイトルは「TRAIN ARRIVED」で、一番最後に使った手帳のタイトルは「襟を立てた少年」だった。

 

僕が今使っているノートにはまだタイトルはない。

それは最後の一ページを使い切って、それまで書いてきたページを見返しているときにふと浮かんでくるものだ。僕は瞬間がすごく好きなのだ。気分はまるで吟遊詩人のようなのだ。

 

 

 

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書く内容は様々だ。

だいたい、これまで長いこと色々な手帳を使ってきたけれど、「このノートにはこれしか書かない」みたいなことを決めて長続きしたことなんて一度だってないのだ。

小遣いの使い道を検討するページの次には日記があって、その次にTODOリストがあって、次のページには愚痴が書いてある。そんなのでいいのだ。自分専用の自分のためのノートが、どうしてそんなに整然としている必要があるのだろうか。まるで先生に提出するドリルみたいに、完璧になっていることにどれだけの意味があるのだろう。

僕は、手帳の中で無限に偶発的に広がるカオスを、快適に思い、そして楽しんでいる。

 

 

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測量野帳を手にしてから、あらゆる観光地にあるスタンプが目に付くようになった。

モレスキンには何となく押したくなかったスタンプが、今は押したくて仕方がない。

黒部立山の登山中に、防寒具のポケットから測量野帳を取り出し、ページを開いてスタンプにインクをどたどたとつける。そして狙いを定め、一思いにドン!とスタンプを押し付ける。するとどうだ。何も文章を添えなくても、そのスタンプがすべてを物語っている。まるでパスポートの入国許可証のように、その地に足を踏み入れたことを証明してきらきら輝いて見える。そして旅の仔細をもし書き忘れたとしても、そのスタンプを見るだけでいろいろなことが思い出されるのだ。

スタンプのほかにもチラシや乗車券などを貼っても良いと思う。

どれだけ張り付けてかさばろうが、1か月たったら次の手帳になっているのだ。

そう考えると「かさばらないようにしなきゃ」とか「整然ときれいに使いたいからくだらないことは書かないようにしよう」といった思いはどこかに飛んでいってしまう。

むしろ、そのノートにどんなことができるのか、いろいろ試したくなってくるのだ。

 

 

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山に連れて行ったりするとカバーの端がちょっぴり擦れてくるけれどそれもまた味があっていい!むしろ手帳の傷や汚れがそのときの状況を思い起こさせてくれるというか。フィールドノートというだけあって、きれいに使われているよりも、曲がっていたり湿気でゆがんでいたり、擦れていたほうが本物っぽくてかっこいい感じがする。

 

 

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僕の前後1か月くらいのことが好き放題書かれている測量野帳

そこには展望やTODOや冗談や愚痴や小遣いの計算や欲しいものなどが散発的に書き留められている。そして僕はモレスキンを手に旅をした作家、ブルースチャットウィンの名言をいつも思い出すのだ。

 

 

「パスポートをなくすことは大した問題ではない。しかし手帳をなくしたのであればそれは大問題だ。」

 

 

 

コクヨ 測量野帳 レベル 白上質紙 40枚 セ-Y1

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 一冊だけ試してみては?

 

 

測量野帳スタイルブック (エイムック 3514)

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モレスキン 「伝説のノート」活用術?記録・発想・個性を刺激する75の使い方

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ライフハック大全―――人生と仕事を変える小さな習慣250

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おしまい

コップを満たすように会話する

 

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僕はいつも人と話すときに、コップを意識している。

透明で背が高くて、ガラス製の、朝の牛乳がよく似合いそうな透明なコップ。イメージとしては、二人で会話しているときにお互いに空のコップを持っておしゃべりしているような、そんな景色。

 

 

 

 

相手のコップは空っぽで、中に水は入っていない。

僕はそれを満たすように会話するように心がけている。というはなし。

 

 

 

 

 

 

人は聞いてもらいたいのだ。

自分の話を聞いてもらいたくて仕方がない。少なくとも僕はそう思う。

 

村上春樹が「1973年のピンボール」で触れたように、世の中には話したい人ばかりがあふれていて、聞きたい人が不足しているのだろう。

 

 

 

 

 

 

昔こんなことがあった。

同級生に悩み事があって、「私はこうしたいんだけど、親はこうしなさいって言ってて....どうしたらいいと思う?」というような相談を受けた。

 

僕はそれに対して自分なりに一生懸命考えてから、その人のことを考えて自分の意見を述べて、そして「だから君のしたいようにやったほうが後悔しないよ!」と結んだ。

すると同級生は「そうだよねー。でもなー親の言うこともわかるのよねー。」とごにょごにょ管を巻いていて、「なんだい、こっちは相談をきいたから意見を述べたのに!」と不満が残ったのであった。

 

僕は今振り返ってみて、僕は相手の相談をきいたというよりは、「自分の考えを雄弁に語って、満足したかった」だけだったのだなと思う。つまり、コップを満たしたのは僕のほうだったのだ!

僕が話したいことを話したいだけ述べて、相手が「あなたの言うとおりだ!あなたはすごい!相談してよかった!」と称賛してくれる。そういうシナリオを想像していたからこそ、相手が管を巻いたときに不満が残ったのではないか。

 

あの時、同級生は確かに「どう思う?」と言ったが、彼女は僕の意見を聞きたかったのではなく、もっとあれこれ悩み事を話したかったのだ。例えば、僕が「そうだね。君の言うこともわかるけど、かといって親の言うことを無視するのも難しいよね。」と水を向けてあげれば、僕は同級生のコップを満たすことができたのかもしれないのだ。

 

 

まあ、逆の話で、

僕はイライラしてたり怒っている相手と会話するときは

同じようにコップを意識する。

 

そのコップにはなみなみと水がはいっている。

それは彼のストレスだ。

彼はそれを空にしたくてたまらない。

 

そんな状況を想像して会話を心がける。

怒りが自分に向けられていようと、全然関係ないほうを向いていようと、僕はそのコップをじっと観察しながら、中のコップを減らすために会話を振ってみたり、あいづちを変えてみたりする。コップはどうやったら減るのかといえば、話すこと、そして共感してもらうことで減らすことができる。

 

 

と、こういうことを書くと「なぜこっちが相手のコップに気を使って会話せにゃならんのだ」という意見でもでそうだけれど、それは相手とより良い信頼関係を結ぶためである。

 

 

完全に話がそれるけれど、最近僕が考察している言葉があって

「金はこの世で二番目に重要。一番大事なのは信用」というものだ。

まあ一番大事なんだから気を付けないとね...っていう具合なんだけど。現にクレジットカードはお金があっても信用がなかったらつくれないからね!笑

 

みなさんも相手と会話するときにぜひ、コップを満たすために相手の話していることば、その言葉を出させている気持ちに耳を傾けてみては。

 

おしまい

 

 

 

 

 

鬼の居ぬ間に電卓

 

鬼の居ぬ間に電卓。*1

公認会計士とダンス。見違えるパズル。*2

ふたを開ければ猿。ミドルエイジのかかと落とし。*3

 

二日酔いの冷蔵庫がケーキを腐らせて仲直り。*4

替え玉三尺を探せばトランペットの風が吹く。*5

昨日シネマで観たカツラを探せば国語辞典みたいに曲がり角曲がる。*6

 

聖書参照、マフラー必須、分電盤が溝に落ちて導く間に、アキレス腱はドリンクバーで一休み。源泉徴収は風月。盆栽がレベル3。*7

床を殴ればいつも電車。大きな赤子。

悲鳴が散らばる交差点にたたずむ孤独はゆっくりと雨を飲み込んで謝るつもり。貯金崩して不倫。*8

下駄河童キツツキ狙って、まず上から一張羅、真ん中が参考書、飛んで最後がほとんど機械でできたペンギン。そしてそのひ孫も。

 

舌噛んでまた明日。早口言葉は昨日の嘘。5月6日にけん玉。鉛色のペン立て。イワシが最適化。上水置換法で賄賂がリゾット。波の網目にキリン。普通の論理で片翼なら合格。パラソルと芋焼酎。腕時計にするなら太平洋ベルト。たまにならヤマボウシ*9

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:電卓だなんておかしいと笑うだろうか。では鬼の居ぬ間に洗濯をすれば正解なのか。鬼の居ぬ間にできることはもっと他にもあるのではないか。だいたい、鬼が居ない絶好の機会に洗濯とはどういう神経なのだろう。完全にそこでくつろぐ気満々ではないか。

*2:トイレに行って友達が勝手にパズルを進めていると責任のようなものが剥がれ落ちて拗ねてしまいたくなるような気持ち。

*3:中年を一番かっこよく表現した言葉。

*4:ミスチルはケーキを捨てるのに胸が痛んで結局腐れせて捨てる。

*5:トランペットはなぜ土手が似合うのか。トロンボーンやサックスではいけないのか。トランペットだけが象徴的に土手とセットされている。誰が仕組んだのだろう。

*6:国語辞典を読むことと語彙を増やすことはあまり関係がない。

*7:いわゆるアキレス腱と呼ばれる体操ではアキレス腱は伸びないそしてアキレス腱が本当に伸びてしまうと元に戻らないのでアキレス腱を伸ばしてはいけない。

*8:不倫はもう少し深刻な感じの言葉にすればもっと減るだろうと思う。ボスニアヘルツェゴビナみたいな。

*9:こんかいの記事は鬼の居ぬ間に電卓、という冒頭のちょっとしたずれから派生して、シャツのボタンを掛け違えていくみたいにちょっとずつ意味と言葉が崩壊していく様を実験した。けっこう楽しかった。