襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

弱ペダの真波みたいに負荷から生を実感する

 

 

 

会社員として働いている。

デザイン職なので、お客さんに会うために外出することがない。多分仕事で表に出るのは2ヶ月に1度くらいだと思う。っていう話をすると営業職の友人は「いいなぁ」と腹の底から声を出して羨むのだけれど、僕はたくさん外に出てる方がずっと羨ましい。

 

 

 

f:id:andy0330:20180423225546p:plain

 

 

だいたい座りっぱなしって不健康だろ。

見るからに血行に良くない感じがする。

朝から晩までパソコンのモニターばかり見ているので急激に目が悪くなるし。

 

 

 

いやあ、営業職だと雨の日も雪の日も、猛暑だろうが寒波だろうが予定があれば外に出なくちゃいけないんだぞ、と言われる。

座りっぱなしなんて気楽じゃん、と。

 

確かにそれは大変そうだと思うし、

絶対会社にこもりっぱなしの方が楽だと思う。でも楽って良いこと何だろうか?

これが一番謎だ。

 

 

f:id:andy0330:20091009151623j:plain

 

 

毎日楽してたら死んでるのと同じ

 

楽っていうのは僕にとって死だ。

一番楽なのは寝ること。僕だって寝るのは好きだ。1日7時間は寝たい。

この世で一番楽なのは永遠に寝てることだと思う。ずーっと横になっていて、点滴か何かでずっと栄養を送られていて、あとは最近流行りの振動で筋肉を刺激するアイテムでブルブルやっていれば一番楽に生きていられるじゃんって思う。あるいは言い換えるなら、「一番経済的なのは今すぐ死ぬこと」なんじゃないかな。

今すぐ死ねばもう一生お金を払わずに済む画期的な解決法だと思う。

 

 

そういうわけで、楽から離れるほど僕は生きている感じがする。

弱ペダの真波くんみたいな発想だけど。

 

 

f:id:andy0330:20180423230720p:plain

 

弱ペダの真波くんっていうのは「弱虫ペダル」っていう自転車競技スポ根漫画に出てくる登場人物で、主人公のライバル。

自転車ですごく速い。特に坂を登るのが速い。どのくらい速いかというとピンチになると背中から羽が生えて風を捕まえて加速するくらい速い。

 

 

f:id:andy0330:20180423230524p:plain

全然関係ないけど作者のタイヤの描き方が危なっかしくて心臓に悪い。

 

 

真波くんは子供の頃病弱でずっとベッドの上で横になって少年時代を過ごしたんだけど、それを乗り越えてロードレーサーになるわけだ。自転車で坂を登る。汗が額から吹き出す。心臓がバクバクしてきて、息がしんどい。

 

そんな誰でも顔を歪めるような状況で彼は胸を叩きこう言うのだ。

 

 

 

f:id:andy0330:20180423230033j:plain



「オレ生きてる!」

 

 

そうそう、すげえ分かる。

僕がランニングするのも自転車に登るのも生を実感するためなんだと思う。

そしてそれは肉体的な負担だけでなくて、人生のあらゆる場面において同じことが言える。だいたい、本当に楽しいことってそんなに楽じゃない。

ジュークの言葉を借りるなら「楽じゃないけど楽しい道を」だ。

 

 

 

おしまい

仕事のメールで「お世話になっております。」と入力している間はただの仕事のふり

 

「お世話になっております」というタイピングに5秒もかけるな

 

 

「作業はなるべくしない、仕事をするために」が僕の仕事のポリシーだ。

作業と仕事は全く異なる。

仕事とは価値の創出であり、作業はただの筋肉の運動、そして時間の浪費だ。

 

f:id:andy0330:20180419000301j:plain

 

昔、会社でやたらと残業している人がいて、

一度、横で作業を眺めていたら物凄い勢いでメールを打っていて、確かにその姿はバリバリ一生懸命仕事をしているように見えるのだけれど、そのタイピングは極めて不正確でミスが多く、出だしの「お世話になっております。」という文章に5秒もかかっていた。これが作業だ。

 

 

 

例えばお客さんと会う約束を取り付けるとして。

仕事はお客さんに会うことであり、その約束を取り付けることは作業と呼べるだろう。

作業は、そのものとしてなんの価値もない。約束を取り付けるための努力は価値の創出とは直接的には関係がない。

 

要はお客さんと会う約束が出来ればいいのであって、そして会った時に頑張ればいいのであって、その為の過程で忙しそうにキーボードを打つのはただの自己満足に過ぎない。極論を言えば約束を取り付ける方法はなんだっていいのだ。伝書鳩を飛ばそうが電話しようがテレパシーを使おうが....作業は最短距離を真剣に選びたい。

 

 

僕は残業続きの社員に「お世話になります、なんて定型文で毎日使うのだから、単語登録してすぐに呼び出せるようにしたら?」と言ったら「忙しくて登録なんて暇ないよ」と返されてしまった。

それで僕はそういう余計なお世話をかけるのを止すことに決めた。

 

 

「メールをお送りしましたのでご確認下さい。」という電話

 

f:id:andy0330:20180419000139j:plain

 

また別の話で、ある時集中して仕事をしていたら内線で電話がかかってきので出たら「先ほどメールをお送りしましたのでご確認ください。」と言われた。話はそれだけだった。よほど火急な用なのだろうとメールをみたら急ぎでもなんでもない連絡メールだった。

 

 

おそらく彼にとって仕事とは、一生懸命キーボードを叩いたりせわしなく電話をかけることなのだろう。もちろん、真に価値のある仕事のために一生懸命キーボードを叩き、せわしくなく電話をかける人もいるだろう。ただ少なくとも彼に関しては手段と目的が逆転しており、電話をかけてメールを送ったと伝えることが仕事だと思い込んでいるのだ。それは作業だ。そして作業である限り、仕事をしているふりだ。

 

だいたい、メールは電話というその瞬間相手の集中と時間を分断する行為を改善するために広まったツールなのではないのか。

 

f:id:andy0330:20180419000126j:plain

 

メールは後から自分の好きなタイミングで読むことができる。にも関わらず、それを送ったことを伝えるために電話するというのはどういう了見なのだろう。

下手すれば電話した後に直接僕のところにきて「念のため電話で話したことを直接お話ししますね」なんて言いにきそうだ。冗談でなく。

 

予測変換を

 

冒頭に書いた通り、僕は仕事をするために会社にきている。

だからそれを邪魔する作業はなるべく削っていきたい。

 

僕は「お世話になっております。表題の件について図面を修正しましたのでご確認のほどよろしくお願いいたします。」というメールを打つことが多いので、ある時PCの予測変換機能の登録で

 

「おせ」で「お世話になっております。」

「表題」で「表題の件について」

「修正」で「図面を修正いたしました」

「ごかく」で「ご確認のほどよろしくお願いいたします。」

「よろ」で「よろしくお願いいたします。」

 

と出るように登録をした。

 

これで随分メールの作業時間が削減されたのだけれど、

今は「ああ」と打てば「お世話になっております。表題の件について図面を修正しましたのでご確認のほどよろしくお願いいたします。」と出るように新しい登録をしてしまった。

 

 

デスクワークはついだらだらやってしまうので、ほとんどの仕事中僕はその作業のタイムを測っている。ストップウォッチはグーグルで「ストップウォッチ」と検索をかけると出てくる。これを画面の端に置いて作業を始める時にスタートさせる。

 

作業前に何分でその仕事が片付くかを予測する。「30分かな」と予測して仕事を始めて、その時間内に終わるように頑張る。時間がオーバーしたらしたで、その仕事に掛かる時間のサンプリングが新しく出来たと考えれば有意義だ。

 

時間を測りながら仕事をしているときは集中したいので内線の電話なんて取りたくない。「折り返します」と言ってさっさと切る。火急な人はそれを遮って「いや今話す」と言ってきたり、そもそも本当にやばかったら直接くるだろう。

 

集中量は一箇所にしか注げないのだから、同じ種類の仕事はいっぺんにやりたい。

仕事がAで電話がBだとしたら、くる電話に全て対応したら

AAABAABAAABAABという具合に仕事が分断されるだろう。

しかもその電話の内容の相談が別の仕事だったりした日には

AAABCAABDAAABCAABDという具合に集中力はさらに細切れにされてしまう。少なくとも僕はそういうのに耐えられない。だったら片っ端から電話は折り返すことにして、今集中している仕事がひと段落してから電話する時間を設けたい。

そうすれば集中力の配分は整理されて

AAAAAAAAAABCCBDDという具合になるだろう。

 

 

 

残念なことに、

こういう一連の僕が言っている仕事の進め方は世間一般では不真面目に見えるらしい。要は自分の仕事の時間を測ったり、かかってきた電話に即時対応しなかったり、やたらと決まりきった定型メールを打つことは楽をすることであり、要はズルすることであり、ひいては大変なことから逃げている卑怯なやつ、ということになるのだろうか。

 

f:id:andy0330:20180419000231j:plain

 

でも僕はある程度割り切っている。

もともと「頑張っている」と思われるのはあまり好きではない。頑張るのも好きじゃないし。いつも少し余裕を残している感じで、でも本人はきちんと全力を出し切って毎日試行錯誤している。そんな状態を維持して、うまいこと自己満足していきたい。評価は後からついて来ればいい程度に考えている。

 

 

おしまい

 

文房具に関しては贅沢品を買っても良い!(全部手書き編)

 

f:id:andy0330:20180417221746j:plain

 

f:id:andy0330:20180417221757j:plain

 

f:id:andy0330:20180417221816j:plain

 

f:id:andy0330:20180417221827j:plain

 

f:id:andy0330:20180417221832j:plain

 

f:id:andy0330:20180417221844j:plain

 

f:id:andy0330:20180417221848j:plain

 

f:id:andy0330:20180417221901j:plain

 

f:id:andy0330:20180417221906j:plain

 

f:id:andy0330:20180417221930j:plain

 

突然のあとがき

 

蔦屋書店が日本では限定1500本限定の万年筆を発売した。

 

その記事を読みながら、僕は万年筆なんて完全な贅沢品で、そもそもこの現代において文章を書くことそのものが時間と気持ちに余裕のある人がする「贅沢な行為」なのだろうなと思った。しかしSNSでこの限定万年筆について調べてみると多くの人がこの万年筆を追いかけており、おまけに注文が殺到して店頭では手に入らない状態だという。

 

筆記という贅沢な行為、それを逆手にとって、というか開き直って、

むしろ贅沢として筆記を楽しむ。この「むしろ」という部分がなんだか面白くて

記事にすることにした。

 

ところで筆記の素晴らしさ、筆記って意外といいもんだよ、やってごらんよという文章をタイピングで書くのも何だか滑稽だ。「漢字を間違えるのは恥ずかしい」という漢字を間違えるくらいの滑稽さがある。

 

それで今回のように記事を全て筆記しようという運びになった。

そう、この文章は「あとがき」なので記事には含まない、ことにしよう。

 

 

文章を書き終わって、それらを撮影してアップロードして、さらにはてなブログの記事欄に当て込んでいく作業はまた滑稽で、あるいは皮肉的だった。それはわざわざフィルムで撮った写真をスキャナーで読み込んでPCで編集するような回りくどさであった。

 

とはいえ、本文でも書いた通り実験としては面白かったと個人的には思っているので、反響があればまたやってみたいと思う。今更だけどこのブログを読んでいる大半の読者はスマートフォンでこの記事を読むため、もしかしてこの記事を読む人は写真を毎回タップして拡大して読まなければならないのでは?と心配している。

そして、実際その通りなのだと諦めている。なんだか面目ない。

 

そしてもう一つ極めて個人的な弊害を告白すれば、この記事は撮影された画像の集積に過ぎないため、グーグ検索に引っかからないという致命的な弱点がある。

だから...というわけでもないけれど、こうしてあとがきを書いているわけだ。

 

筆記は日常的に行なっているので苦ではないと本文で書いたけれど、不特定多数の人にみられることが前提の肉筆を連続して書くのは骨だった。次はもう少し綺麗な字で書きたいと強がりつつ、今日の文章は綺麗に書く僕の精一杯だったりする。

 

 

 

おしまい

 

勉強を始めたいけど何を勉強したらいいのか分からない社会人への最適解

 

f:id:andy0330:20180416194617j:plain

 

 

 

 

勉強をしたい、でも何を勉強したらいいのか分からない僕たち

 

 

 

学生ではなくなってから学習意欲が湧いてくるのはどうしてだろう。

 

 

 

f:id:andy0330:20180416194941j:plain

 

 

それは反動だろうか。

あるいは、社会人になってから自分の不勉強を自覚するからだろうか?

焦りとか、あるいは純粋な探究心とか...きっかけは人それぞれだろうけど。

 

 

とにかく何かを学びたい。

 

でも何を勉強したらいいのか分からない。

 

言い換えれば、自分が何を勉強したいのかが分からない。

 

 

無難なところだと

英会話教室

社会人向けワークショップ?

読書会?

資格セミナー?

 

 

どれでもやってみたら良いと思う。

ただその前にちょっとだけ待ってほしい。

有名すぎてみんな知っているだろうけど、

 

社会人への最適解と呼べる最高のコンテンツを紹介させてほしい。

 

 

 

 

 

 

TED talks

 

f:id:andy0330:20150922121026j:plain

 

TED talksという動画を、おそらくこれを読んでいる人は

知っているんじゃないかと僕は思っている。

 

 

あれでしょ、知的な外国人がステージの上で得意げに身振り手振りを交えてプレゼンテーションをしてるやつでしょ?

そうそう、それです。

 

TED(Technology Entertainment Design)は「広める価値のあるアイデア」を世界中から集めて、毎年バンクーバーで開催される国際会議です。

 

過去の登壇者にはグーグルの創始者ラリー・ペイジセルゲイ・ブリン、ジェームズ・ワトソンらが名を連ねています。

 

ウェブ上で公開される講演の再生回数は数百万から数千万に上り、ボランティアの手で諸言語の字幕もつけられていきます。

 

最先端、極上のプレゼンをリアルタイムで5日間聞くためのチケットは最低でも150万円。それが毎年発売されると同時に売り切れるそうです。

 

会場ではスティーブン・スピルバーグビル・ゲイツらがラフな格好をして談笑しています。

ー『AI vs.教科書が読めない子供たち』 

 

 

この"最先端、極上の"150万円の値打ちがあるプレゼンテーションが

無料でいくらでも観れるというお話。

 

TED talks、とググってみて欲しい。

ちゃんと、公式で無料なんです。

 

 

 

一度目にした人はわかると思うけれど、PCやスマホからTEDを観ている感覚はEラーニングの光景と酷似している。子どもが塾に行かなくても授業の録画を見ることで自宅学習できるというアレだ。

TED talksは社会人の為のEラーニングである、と定義したい。

 

 

 

世界トップクラスの頭脳を持つインテリのお手軽授業を、

スマホで、タブレットで、PCで、

電車でも風呂でも布団でもどこでも受けられる。

 

 

 

こんなむちゃくちゃ贅沢な時代に生まれて、

これを使わない手はないじゃない!!

と僕は声を大にして言いたい。

 

 

TED talksはアプリから観るのがはかどるけど、アプリをインストールしなくても

ウェブサイトから直接動画を観ることもできる。

 

サイトのトップページに行って、最新の動画一覧をチェックしてみる。

ずらっと並ぶプレゼンのテーマを流し観るだけでも、

どれも面白そうすぎて目移りしてしまう。

 

 

「ロンドンの地下鉄路線図は何がすごいのか?」

 

「拡張現実が変える手術の未来」

 

「ドローンで血液を届け、命を救う方法」

 

「人間由来の水中騒音がいかに海の世界を脅かしているか」

 

 

 

気取った外国人がジェスチャーを使いながら得意げに喋るのが腹立たしいと言う人は日本人のプレゼンテーションを観てみてはどうだろう。

 

当然日本人も英語でプレゼンするわけだけれど、研究の舞台が日本だったり、プレゼンの最後にきちんとお辞儀をしていたりしてなんだか親しみが湧いてくる。というか応援したくなる(笑)

 

f:id:andy0330:20180416201823j:plain

 

 

 

 

 

TED talksを勧めるもう一つの...真の理由

 

 

 

無数のハイクオリティ授業がTEDにはある。

そう言う話をこれまでしたつもりだ。

 

でも僕がTEDを勧める本当の理由は別にある。

 

 

 

先に挙げた通り、TEDには実に様々なテーマが存在する。

それらを興味のあるものから好きに観てみる。

 

すると、それらを観ていく中で特に面白いと感じるテーマがあるはずだ。

それは傾向として、心理学に関する研究かもしれないし、飛行機に関するレポートかもしれない。あるいは人類の進化に関することかもしれない。

「へぇ、自分ってこんなことに興味があったんだ...もっと知りたいかも」

という勉強の入り口...との遭遇...!

 

 

 

 

 

社会人になってからの勉強がとにかくクソ面白い

 

 

ここが僕がTEDをお勧めするポイントだ。

 

 

 社会人の勉強って最高だ。

誰にも縛れず、文句もつけられず、好きなことを好きなだけ調べて学べばいい。

 

 

 TEDのプレゼンをきっかけにして(足がかりにして)、ちょっと心理学の本でも買って読んでみようかな...とか。自分ってひょっとしたら飛行機が好きなのかもなー...今度の休日、空港に行ってみようかな...とか。

 

f:id:andy0330:20180416204355j:plain

 

 

あるいはそこから、日本にはどのくらいの空港があるんだろうか、と気になったり(いくつあるか知っていますか?)、それを調べると「空港」と一口に言っても色々な種類があって、例えば供用空港と呼ばれる自衛隊在日米軍のための施設も空港と呼ぶんだってこととか、色々なことが芋づる式にわかってくる。

 

 

そしてわかることで次の疑問が浮かんでくる。

 

民間用の空港でもサービスが良いのはどこの空港なんだろうとか、それはなぜなんだろうとか、空港サービスのニーズって何なんだろうとか、どんどん...知的好奇心の世界は広がっていく。これを、勉強と呼ぶ。

 

 

 

 

 

そう、これを勉強と呼ぼう。

 

芋づる式に次から次へと調べるべきこと(知りたくて気になること)が増えていって、調べるたびに知識が増えていくのがわかる感じ。快感だ。

 

 

この勉強をしている時の、脳の細胞の動きはきっと、

「疲れたー明日も会社かぁ」と思いながら冷蔵庫をあさり、酒を飲んでぼんやりとテレビを観たりネットサーフィンをしている時とは全く異なるだろう。

 

f:id:andy0330:20180416205520j:plain

 

 

10年間前者をやり続けた人と、後者をやり続けた人を想像するとゾッとする。

どのくらいの違いが出るだろう。

あるいは、勉強することで僕たちはどこまで行けるのだろう-。

 

 

卑近な例だけでも、

ちょっとした飲みの席で空港の話題になった時に「日本で空港がない県って栃木と群馬と神奈川だけらしいですよ」と付け加えるだけでも話題はちょっと弾むかもしれない。頭の引き出しにある知識のストック。会話のスパイス。人はこれを知性と呼ぶ。

 

 

まぁ、人への披露はさておき、

 

多くの人は自分の勉強のテーマに出会うと今までより自分のことが好きになるんじゃないかと僕は考えている。

 

 

自分の好きなことがわかっていて、その好きなものに向かって自分の足で一歩一歩前に進む。それは今の流行とか周りのペースとは一切関係なく、自分の為に。自分のペースで。ねぇ、こんなに有意義で素晴らしい時間が他にあるだろうか?

 

スナフキンの言葉を拝借するならば

「大切なのは、自分のしたいことを自分で知っていることだよ」である。

 

 

 

 

この感覚は、ぼんやりとテレビを観たり、惰性でニュースサイトを転々としている時の感覚とはちょうど正反対の感覚なのではないだろうか?

 

 

そして、巷に溢れるニュースサイト、あるいは「仕事を5分で終わらせる方法」「人を操る心理学」みたいな短絡的な学術書(もどき)と違い、自分の力で調べる勉強は能動的な態度かつ目的的な姿勢を持っているので、

すぐにその知識が役立たなかったとしてもきちんと自分の中に蓄積されていく。それは子供のころ覚えたポケモンの名前のように、あなたの頭の引き出しに大切に保管されているのだ。

 

戦前から戦後すぐまで慶応大学の塾長を務めた小泉信三の言葉で言うならば「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる」だ。

 

 

 

はい、言いたいことはこれでおしまい。

 

ちなみにまた今度の記事でも触れるけど前述の「日本人のTED」で画像を出したのは新井紀子氏で、最近話題の「AI vs.教科書の読めない子供たち」を書いた人です。

TEDはめちゃ面白かったのでお勧め。ぜひ調べて観てみてください。

 

 

www.ted.com

 

 

 

TED TALKS スーパープレゼンを学ぶTED公式ガイド
 

 

 

TED 驚異のプレゼン 人を惹きつけ、心を動かす9つの法則

TED 驚異のプレゼン 人を惹きつけ、心を動かす9つの法則

 

 

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 

 

 

 

読解が理解力を担保する

 

そだねー」では終われない

 

*もちろんカーリング選手を揶揄する目的は毛頭ない。

 

今、日本人の語彙力がやばい。

最近の若者が本を読まなくなったから...というのは

間接的には関係あるかもしれないけれど、僕はSNSの発達が

世の中の語彙力の低下を助長しているんじゃないかと思っている。

 

f:id:andy0330:20180415225727j:plain

 

 

TwitterFacebookの登場で、

僕たちは今まで以上に自分のことを気軽に発信できるようになった。

スカイツリーなう」とか「ここのパンケーキ最高」とか。

それらは短文で、しかもすぐに理解できるように簡単な表現で発せられる。

 

表現する媒体がスマートフォンで、発信している場所が出先である以上、これは当たり前のことだ。家の書斎で原稿用紙と万年筆を用意したら女子高生でももう少し深みのある文章を書くだろうよ。

 

ストリーミングするテキスト

 

そしてそれらの取るに足らない投稿はストリーミングされる。

つまりどんどん流れていくのだ。メールのように来た情報がボックスに保存されていくのではなく、テキスト情報はあくまでネット上にあって、最新の投稿のみをなるべく早くローディングしているにすぎない。

 

そして読み手からすれば情報はどんどん流れていく。

昨日投稿された友人の「スカイツリーなう」はとっくにタイムラインの底の方に流されて、別の友人の「残業しんどい」が新しく投稿されている。

 

 

読み手はそれに対して「イイネ」ボタンを押してリアクションを取ることができる。

これは単純に相手に共感している場合もあれば、既読を相手に伝える意味合いも含まれる。この「イイネ」という感覚こそが、2000年代の人間が持っていなくて、今の若者が持っている感覚なのだ。

 

 

 

スカイツリーなう」という投稿に対するリアクションは人によって様々だろう。

「いいなー私も一度行ってみたかったんだよね」も「イイネ」。「あなた前から行きたい行きたいって言ってたもんね。やっと行けてよかったじゃない」も「イイネ」だ。

 

人が発した発言に対して、それを読解して、自分なりの意見を言う暇もなくSNSのタイムラインは流れていく。それはほとんど価値のない情報の濁流だ。僕たちはその無数の投稿に対して「イイネ」かそうでないかを電気信号的に反応するするのが精一杯だ。

 

 

逆に。ある投稿に対してきちんとした返事をすると不審者扱いされたり、空気の読めないやつ呼ばわりされることがある。

 

「漫画"君に届け"終わっちゃった〜」という投稿に対して「とうとう終わっちゃいましたねーっ!私は元々単行本で追ってたんですけど途中から我慢できなくなって別冊マーガレットをちゃんと購読するようになったんですけど、それから他の漫画ものめり込むようになって、そう言う意味でも"君に届け"ってすごく個人的に感謝している漫画なんです」と言う長文リプライが知らない人から滅茶苦茶怖い。

え、重いんですけど。とか、

そんなグイグイ来られても...と言う印象を相手に与えるだろう。

 

 

日頃のコミュニケーションが電話からSNSメッセンジャーアプリに移行し、読書をする人の数は減り続けている。そしてパソコンとスマートフォンの普及によって人は字を書くのを辞めてしまった。だから日本人の語彙がやばい。

 

 

新聞が読めない

 

先日久しぶりに新聞を読んだら何が書いてあるのかわからなくて焦った。

日頃から小説や学術書は読んでいるつもりだったけれど、新聞には新聞の書き方があり、読み方の作法がある。

 

新聞の見出しを読んで、内容を目で追う。

非常に論理的な論調で事実がつらつらと書いてあるのだけれど、句読点で区切られないまま数行あれこれ書かれると、最初の方の内容と今読んでいる部分の脈絡が繋ぎ切れなくなって「あれ今なんの話してるんだっけ」状態に陥ってしまう。

僕はこれはまずいと思った。

 

僕は普段から小説や学術書を読んでいるつもりだから、人より活字には耐性があるつもりだ。文章読むの好きだし。それでも普段不慣れな文体のメディアに触れるとうまく一回で読むことができない。つくづく読解力って言うのは筋肉と同じで使わないと衰えていくのだと思った。

 

 

 

文章を触れる機会が少なくなったからこそ、サプリメントで栄養を補うサラリーマンのように積極的に文章を読む習慣をつけて読解力を落とさないように努力しなくてはならない。それが今回言いたかった結論である。

 

 

新聞もほんとは毎日読まなきゃいけないんだなーとは思っているのだけれど..。

 

おしまい

 

 

旅行好きでお金がなくなる人は小説を読めばいいのかもしれないという話

 

 

移動コスト

 

先日家計簿を眺めながら収支を計算していたら

どうにも浪費が多すぎることがわかった。

 

原因はだいたいわかっていて、バカみたいな話だけど

浪費が過ぎるのだ。

 

 

こないだ記事に書いた通り、僕は移動が好きだ。

今いる日常から逸脱して、見たいことのないものを見たり、

新しい感覚に遭遇して知識を更新するのが好きでたまらない。

 

移動は地理だけの話ではなくて、例えば新しいケータイを買うことも

ある意味移動だと言える。それはインフラの移動と呼べるからだ。

 

 

 

小説という「お出かけ」

 

面白いことに小説を読み始めたら浪費がピタリと治った。

具体的にはアマゾンのサイトを当てもなく彷徨して、

欲しいものを探してページを行ったり来たりすることがなくなった。

 

小説の続きが気になる。時間さえあれば本を開いて話を読み進める。

会社から帰って雑務を終えて、20時くらいから読み始めて気づいたら0時をまわっていたりする。当たり前のことだと世間は笑うかもしれないけれど、部屋にいながらして、ここにはない(あるいは現実にはどこにもない)どこかへ移動できるなんてすごいことだと思う。

 

結論として、外の世界が気になって仕方がない好奇心旺盛な人は、小説を読むことでそれをある程度解消できるのではないか、ということだ。

偉そうにタイトルにしたわりには、結構チープな話かもしれない。

 

 

 

社会人になってから小説はちっとも読んでいなかった。

それより、社会に出てから自分の知識とか学力の不足を痛感して、それを補うように勉強の本ばかり読んでいたので、どうしても小説のような娯楽のものが後回しになっていたのが大きい。

 

 

 

 

しかしたまに小説を読みたくなっても何を読めばいいのかわからない。

本屋に立ち寄るとベストセラーの新しい本が所狭しと並んでいるけれど、今更誰でも読んでいる人気のお話を読んでも...と思うといまいち食指が伸びなかった。ノルウェイの森の言葉を借りれば「みんなと同じ本を読んでいればみんなと同じ考えしかできなくなる」である。

 

 

なんとなく今月に入ってから読んだ本を下記に並べておく。

勉強っぽい本と、あとは小説。

 

最近読んだ本

 

 

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

 

 

 

冷たい密室と博士たち (講談社文庫)

冷たい密室と博士たち (講談社文庫)

 

 

 

笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE (講談社文庫)

笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE (講談社文庫)

 

 

 

 

 

君がオヤジになる前に

君がオヤジになる前に

 

 

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 

 

 

 

おしまい

炭酸水が好き

 

深夜にのそのそと家を出て近所の100円ローソンへ向こう。

ローソンで108円の1リットル炭酸水を買って店の前で一口飲む。

炭酸がざわざわと音を立てて喉を通り過ぎていくのが心地良い。

 

味のしないただの炭酸水を初めて飲んだのは小学校5年生の時だ。

友達の家に遊びに行った時に友達から炭酸水の小さな缶をもらった。

缶の側面には「ただの炭酸水」と大きな文字で書いてあった。

どんな味なんだろう、と僕はワクワクした。

 

「これ家に沢山あるから1本あげるよ」と友達は得意げに言った。

今思えばそれはその子の父親がお酒を割るための炭酸だったはずだけど

とにかく僕は喜んでそれを受け取って、自転車のカゴに放り込み家に帰った。

家に帰ってワクワクしながら缶を開けて飲んでみるとただの水であった。

自転車のカゴの中で暴れまわった炭酸水の炭酸は全てシェイクされて放出されてしまったのだった。

 

そんなことを思い出しながら炭酸水を飲んだ。

本当はコーラやサイダーを飲みたいところだけど、炭酸水なら同じ値段で1リットルも入っていて経済的だし、それにいつどんなタイミングでどれだけ飲んでも虫歯に加担しないところがすごく気に入っている。寝る直前にがぶ飲みするのが最高に快感なのだ。

 

それから炭酸は飲むと口の中や喉の周りが洗浄されたような気分になって爽快だ。

コーラやサイダーは所詮砂糖水だから飲んだ後にねっとりとしたつばの様なものが口の中に残る。好きな人はいないだろうが僕はあれが特に嫌いだ。

 

こうして文章を書いている間も遠慮なく炭酸水を飲んでいる。

1リットルペットボトルに直接口をつけて飲んでいるのでいちいち重たい。

もう半分も飲んでしまっていい加減胃が重たい感じがする。

でもいいんだ、水なんだから。問題はないのだ。