襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

自己肯定ルーティンを書き出してみよう

 

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佐々木典士さんの「ぼくたちは習慣で、できている」を読んでいる。クッソ面白い。

「やらないといけないんだけど面倒くさいから後回しにしてる」ことが山ほどある人ほどおすすめ。

 

 

 

この本を読みながらふと思ったんだけど、

普段生きていて、「やらなくちゃいけないんだけど面倒くさいルーティン」って無限にあるじゃないですか。

 

部屋の拭き掃除とか、皿洗いとか。上司への報告書の提出とか実家帰省とか。

 

 

この問題って実は子供の頃から存在していて、

おもちゃを片付けたり、歯を磨いたり、帰ってきて手を洗ったり、ごはんを食べるまえに「いただきます」って言ったり、面倒なルーティンはあの頃からあったのよね。

 

 

 

でも今は子供の頃面倒だったルーティンが面倒じゃない。いや、面倒くさいかもしれないけど少なくとも黙々とこなすだろう。

どうして昔できなかったことが今出来るのかといえば、「習慣になったから」だろう。

 

 

 

 

習慣は無意識的に行われるので、「やるか、やらないか」を考えながら悶々としているようなプロセスをスルーして「ただ行う」ことができる。

だから僕たちはご飯を食べる前に「さあ、言うぜ!いただきます!」なんて考えないし、靴を履くときに「さーて今日は左右どちらから履いてやろうか!」などと考えたりしない。

 

 

 

 

で、問題は今現在僕たちが「やらなくちゃいけない」と認識していながら面倒くさいからやらなかったりついつい後回しにしたりするアレコレをどうやって習慣化するかである。

習慣化しちまえばこちらのもので、「面倒くさいか面倒くさくないか」といったことを考える前からやり始めることができる。

 

面倒くさいことをやるには強い意思がなければならない。その強い意思には、自己肯定が必要だと考える。

 

 

自分を肯定すること。

例えば子供がちっともおもちゃを片付けられなかったとして、子供に「やりなさい」と迫ったり「やらないとおやつ抜きだよ」と脅したりするのは悪手で、例えば「◯◯くんはお兄さんだよね。こないだもご飯作るの手伝ってくれたし、おつかいだってできたし、立派なお兄さんだね!お兄さんならこのくらい簡単だよ!」と持ち上げてあげるとてきぱきと片付けを始めてくれたりする。

これは子供の自己肯定を高めてあげることで、「お兄さんだからこのくらいできる。これをやる俺かっこいい」というスイッチを入れることができたという事象だ。

 

 

これを現在に置き換えても同じだと思う。

部屋の拭き掃除とか本当に面倒くさいけど、「おれはきれい好き!きちんとしてる男!」と思うことができればイヤイヤでなく、好んで掃除することができるはずだ。

 

 

これを、もっと日常的に自己肯定を高めてあげて、何をするにしてもちょっとした面倒くさいことを喜んでやる素敵な人間になれないものか。

 

そう考えた僕が考えたのが「自己肯定ルーティン」だ。自分を理想の状態に毎日キープしてあげることで「おれならできる!」状態を保つという手法だ。

 

 

 

この自己肯定ルーティンは何もヨガをやったり筋トレをしまくったりという大げさなことである必要はなくて、むしろもっと細かくて些細なところから詰めていくと良いと考える。

 

紙とペンを取り出して、「こういう状態だとちょっといい感じだな」というのを書き出してみる。

これは人それぞれ、かなり千差万別になるとおもう。自己肯定のスイッチは人によってばらばらなはずだ。

 

 

僕の場合はいくつか挙げると

 

☆新聞を読む

☆手入れした靴を履く

☆爪を切る

☆香水をつける

 

 

などなど。

これを達成した状態で家を出ると「いける!」と思える。逆に寝坊して爪が伸びたまま家を出たりするとその1日最高のパフォーマンスを発揮することができない。

 

 

そして以上のような自己肯定ルーティンを毎日こなすためには1日のサイクルが安定していることが大前提だ。昼の12時から起きる日があったり、夜中の2時まで飲んだり、家に人を泊めまくったりしていると自己肯定ルーティンは崩壊する。

崩壊する以前に構築することが出来ないと思うけれど。

 

 

だからまず1日のサイクルをデザインして安定させること、そしてその上で自己肯定ルーティンを構築して強い意識を鍛えること。

その上で習慣にしたいことに毎日挑戦することが必要なのだ。

 

 

 

僕の自己肯定ルーティンは全部で20個あったのでnoteのほうで公開する。

 

 

多分多すぎると思うけど、ぜひこれを参考にしても良いので自分なりの「自己肯定ルーティン」を書き出してみてほしい。

 

 

 

 

おしまい

集中したい時にスマホの電源を切るライフハック

 

 

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スマホ依存のライフハック

 

友人かめいさんから教えてもらったライフハック

「集中したいときにスマホの電源を切る」のご紹介だよ。

 

 

 

 

 

 

正直、目新しい手法じゃない。

多分これを聞いて「うわーその手があったかー!」といって顔を手で覆う人はいないんじゃないかって思う。でもさでもさ、これを実際にやってる人がそれだけいるだろうね。やっぱりスマホは電源つけておきたいよね。

 

 

僕も初めてかめいさんが「集中したいときはスマホの電源を切る」と言った時に

「そこまですることないんじゃないか」と思った。スマホの電源を切るのは映画館の時とTOEIC試験の時くらいでたくさんだ。昨今じゃ優先席でもスマホの電源を落とす人はいないだろう。

 

緊急の電話がくるかもしれないし、友達から遊びの誘いがくるかもしれない。

Twitterだって確認したいし、インスタのストーリーだって見過ごせない。

いつの間にか僕はスマホの電源を切るのが怖くなっていたのかもしれない。

だから半ば無意識的に「別にそこまでしなくても...」とか言いながらやらない言い訳をこさえていたのだ。

 

 

試しに一回だけ電源を切ってみた

 

家にいると居眠りしてしまうのでカフェでお勉強。

本・資料・ノートを開く。スマホの電源を切る。

 

 

それから作業を始めるととんでもない没入感がすぐにやってきて本当に驚いた。

スマホってただの金属板だから、「スマホのことが気になる」っていう障害が発生しているだけだと思ってたんだけど、そうじゃなくて

スマホに入っているアプリ一つ一つが僕の脳のリソースを奪っているのがよくわかった。

 

Twitterで誰かからリプライが来ていないか

instagramに誰か新しい投稿をしていないか

・メルカリの商品が売れていないか

・LINEで新しいメッセージが来ていないか

・enで求人情報が来ていないか

Facebookでいいねが来ていないか

Amazonでタイムセールが始まっていないか

 

etc....

 

 

まじでキリがない。ゾッとする。

スマホの電源を切るだけでこう言う雑念が完全になくなってしまった。

正直、スマホの電源を切ってもアプリのことはあれこれ気になってしまうのではないかと言う懸念があったのだけれど、スマホの電源を切るだけでかなり諦めがつくことがわかった(笑)

 

 

 

辞書とか調べ物とか電卓とか、スマホでやる人も多いと思うのだけれど、

結局1秒でもスマホを触ったらおしまいだと思っている。

例えば一度google検索を使ったらそのまま一瞬だけTwitter見ちゃう自信あるし、Twitter

を見たら習慣でinstagramも見にいくし。それでもし返事とかメッセージが来たらそれを返信したくなってメッセージを打ち始めちゃったりしてさ。もう集中もへったくれもないんだよね。

 

そう言うわけで僕は調べ物は電子辞書でこなして、

電子辞書でわからないようなものについては

「あとで調べるものリスト」みたいなものを用意して、

そこに手書きでズラーっと調べることを書いておいて

勉強がおわった時点でまとめて調べる。

 

スマホの電源を切るのは

それだけの覚悟がいると言うことだ。

 

 

そう考えると僕が受験のシーズンは

まだスマホが主流じゃなくて本当に本当によかった。

TwitterinstagramFacebookも存在しなかったのだ。

 

今の学生はみんなスマホを持っていて、

全員がスマホの誘惑と戦いながら勉強しなくちゃいけないのか...

大変だな....。

 

 

 

 

あ、でも、そう言う学生向けに、集中するためのアプリとか絶対ありそう。

そう思って調べて見たらマジであったよね。

 

スマホ依存をアプリで解決!触らせないアプリ「Forest」の使い方 - モバレコ

 

スマホ依存を解消するためのアプリなんだけど、

タイマーをセットして、その間スマホを使わないでいると

植物が育つという。我慢できずに操作してしまうと

成長が台無しになるみたい。

 

僕はiOSでこれのお魚バージョンをインストールして

使ってみている。

 

これならわざわざスマホの電源を切らなくても

スマホ依存せずに勉強に集中できる。

 

しかもこのアプリ、タイマーを測定してる間の「勉強時間」

を棒グラフにして管理できるのだ。

だからこのタイマーをセットしている時間=勉強時間と言う風にして、

アプリ内のグラフで勉強時間を管理することだってできる。

そうしたら相当便利だ。

 

 

今もこのブログをPCで書きながらタイマーをオンにしている。

今はスマートフォンを使うことができない。

いや、使おうとすれば使えるんだけど、そうすると熱帯魚が集めてくれたアイテムが全部台無しになる。なにを言ってるのかわからないと思うけどそうとしか言いようがない。

 

 

とはいえやはりスマホの電源が切れているわけではないので

スマホが振動すれば振り返ってしまうし、通知が来ていないかどうかチラチラ見ちゃっているので、アプリに頼らずにスマホの電源を切るのが集中力アップには一番かも。

 

 

しばらくアプリで脱スマホ依存、チャレンジしてみようかと思います。

 

おしまい

 

ツイッターはつぶやきなのに昔の発言を全部遡れるのが怖い

 

 

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先月、ツイッターアカウントをお引越しした。

具体的には2011年から使用していたアカウントを削除して、新しいアカウントを作成したかたちになる。

 

当然、アカウントを削除してからアカウントを作成すると今までのフォロワーに乗り換えて貰えなくなるので、まず新規アカウントを作って、そちらに誘導する移行期間を1ヶ月設けた。

それから1ヶ月たって古いアカウントを削除して、今は新しいアカウントで細々とやっている。(@yuichi_os)

 

 

そもそもどうしてツイッターアカウントお引越しなどという面倒くさいことをしたのかと言えば、ツイッターを7年間もやってきた中で、「7年前の発言に責任なんて持てねえ」と思ったのが発端だ。

「7年前のツイートなんて見るんじゃないぞ」と言い換えることもできるし、「7年前の発言なんてなかったことにしたい」と言ってもいいかもしれない。まぁ言い方はなんでもいいんだけどさ。

 

 

要は、7年間のツイートを鍵なしで解放していることに危機感を覚えたのだ。僕は最近はまだ考えてツイートするように気をつけているけれど、前はそれこそ「つぶやき」としてツイッターを利用していたわけで、無責任な発言が目立つのだ。

自分で自分の馬鹿さが露呈するような過去ツイートなら好きにすればいいが、特定の人物・団体を貶めるような発言だったり、既存の体制・政治・宗教に対する意見・批判はかなりマズい。

 

そういうのが7年分も積もって、鍵なしで誰でも読める状況ってすごい怖い。もし僕が過去に発言したクソツイートをスクリーンショットされてばら撒かれたらどうする?

 

それが僕を知っている人物で、加えて悪意があった場合(言わずもがなインターネット上は悪意で満ち溢れている)例えば僕の発言のスクリーンショットを匿名で会社にメール送信したり、2ちゃんねるのような匿名掲示板で晒されたりする可能性がある。

 

それが「忘れられる権利」のような規約によって削除してもらったとしても、一度目にした人に「忘れて欲しい」と言って頼むわけにもいかないのだ。

 

 

そういう経緯があって僕はアカウントをリセットした。過去を捨て去り、新しい一歩を踏み出したのだ。今のところ、だけれど一応責任を持って発言をしているはずだ。でもまた数年経ってから「昔の発言なんて責任持てない」と思ったらまたお引越ししてもいいと考えている。

 

ツイッターのアカウントってある程度そうやって代謝させながら利用するべきなんじゃないかと思う。フェイスブックみたいな思い出を数珠つなぎにすることに価値があるようなSNSであればずっと1つのアカウントで続けていくことに価値はあるだろうが、ツイッターにそういった連続性に価値があるとは到底思えない。

 

お引越しをすればフォロワーが脱落して減ってしまうかもしれないけれど、それもまた人間関係の断捨離になる。アカウント乗り換えのときに来てくれなかったフォロワーなんてその程度の関係だったというだけだろう。

本当に自分をフォローし続けたい人だけがついてきてくれればそれでいいって思うな。

 

 

 

そもそも、ツイッターで行ったツイートってどうして半永久的に残るんだろうね?

つぶやきなんだから、一定時間経ったら消えればいいのに。つぶやきという言葉が持つ単発性とでもいえる特性を完全に無視している。

 

Instagramでは自分の写真をSNS上に残すような投稿機能のほか、アップしてから一定時間で写真が消えてしまうような本物の「つぶやき」的機能が備わっている。

 

今何をしているのかをちょっとお知らせしたい時。思い出を軽くあげたいけどずっと残ってると恥ずかしいとき。そういうときはInstagramのストーリー機能をしようするのだ。投稿はたしか1日間だけ表示されるようになっている。

 

 

つぶやきがつぶやきでなくなっている。

それはあとでいくらでも見返される可能性を孕んでおり、世界中だれでもあなたの発言をみてあらゆる解釈をする可能性がある。

つまりツイッターに参加した時点で誤解されることや勘違いされることを承諾しているという言い方もできる。

 

 

過去の発言がテキストデータとして残っていれば、それはいつでも何度でも見直される。僕はそれが怖かったんだな、きっと。

 

前に「なん年前の発言までなら責任を持てますか」みたいなツイートをしたけれど、まぁせいぜい1年が限界かなって思う。

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

トライアスロンで得たもの失った物

 

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2年前の8月、僕は陸上自衛隊木更津駐屯基地の飛行機用の滑走路をロードバイクで走っていた。

 

滑走路を走るときの気持ちは滑走路を走った人間にしかわからない。僕は最高にご機嫌だった。路面は驚くほどフラットかつ清潔で、夏の温風の中を適切な疲労感を抱いて颯爽するのは最高の贅沢だと知った。

 

 

なぜこんなことになったのかと言えば、僕が木更津トライアスロンにエントリーして出場したからである。木更津トライアスロンのレース会場は陸上自衛隊木更津駐屯基地である。

木更津トライアスロンの広告にはまさしくその滑走路の写真が大きく使われていて、「泳いで漕いで走って飛んで!」みたいな謳い文句だった気がする。

 

 

 

なぜ出場したのかと言われれば、まず滑走路を走るなんて経験なかなかできるものじゃないし、陸上自衛隊の滑走路をロードバイクで疾走するなんて最高にクールだと思ったから。

 

それから、思い出にもなるし、ネタにもなると思ったから。僕はその頃20代前半最後の年で、体力のピークだと思っていたので何かしら大きな大会に挑戦したりするなら今しかないと思ったのだ。ネタっていうとちょっと斜に構えた言い方だけど、要は「トライアスロンに出たやつ」になりたかったんだな。きっと。

 

そんな不純な動機でもトライアスロン

楽しかった。泳ぐの苦手だったけどなんとかなるもんだ。

 

 

 

泳いで漕いで走るとめちゃくちゃ疲れる。 

 

それは普通人間が体験しない疲労だ。使う筋肉が違ければ使う神経も違う。泳ぎまくって疲れるとか走りまくって疲れるという一種類の疲労とは次元が違う疲労なのだ。

そして恐ろしいことにその疲労感がキモチイイ。

だいたいアスリートって疲れるのが好きというか耐えるのが好きというかマゾっぽい気質の人が多い気がする。

 

 

大人になって、大会なんてものに出られる有り難さよ。僕は、学生を卒業したとき、そんなものに出られるなんて夢にも思わなかった。

そう、僕は有り難かったのだ。

大人になってサラリーマンになって、お給料をもらったり残業したり同僚と飲んだりしながらもトレーニングをして、大会に向かってカレンダーに印をつけていくことが有り難かったのだ。

 

 

そして、トライアスロンである。

すごい感がすごい。

これを本当に完走したら、僕は今後の人生で自分にとって自信を持てるかもしれない、と思った。

 

 

事実完走したし、ものすごい自身に繋がった。

20代前半が体力のピークとか思ってたけど20代後半の方が多分強い。今またトライアスロンに出られたらもっと良いタイムを出せると思う。そんなことが言えちゃう自分は、あのときトライアスロンに出たときの自分のおかげなのだ。

だから僕はあのときの自分とトライアスロンに感謝している。

 

 

以上のあれこれが得たものだ。

変えがたい僕の宝物。

 

 

 

 

 

失ったもの。

これはもうシンプルに金と時間だよね。

 

 

お金がかかる。

エントリーに数万円持っていかれる。自衛隊基地をお借りしてるのだから当たり前だ。

水泳、ロードバイク、ランニングの道具を揃えなければならない。水泳はスイムスーツというトライアスロン用のウェアをレンタルか購入しなければならない。これも確か数万円する。

このあたりとトレーニング費用・交通費等を合算すると5,6万円は平気で使っている。

 

 

そして何より時間がかかる。

何しろ、大会までスイムの練習とバイクの練習とランの練習をしなければならないのだ。

僕は会社員として会社に通いながら週2で市民プールに通い、週2でランニングをし、週2で自転車に乗った。何もしない日は1日しかなく、だいたい残業の日をこれにあてた。

飲みを断り、合コンを断り、断り断り断りトレーニングに打ち込んだ。会社ではコーヒーの代わりにプロテインを飲んでいた。トライアスロンなんてやってる人いないから誰に相談するでもなく黙々と。

 

これは、字面で見るより結構しんどい笑

トレーニング以外何も出来ない。

 

よく実業家とか社長とか芸能人がトライアスロンを趣味にしてたりするけれど、ウルトラマラソンくらいになってくるとあれはお金と時間に余裕のある大人の遊びなんじゃないかと思えてくる。だって場所がホノルルだったりするんだよ?

 

 

トライアスロンが終わったときに

「よーやく終わった」と思った。

 

最高の達成感と、安堵だった。

 

 

充実感がすごくて、トライアスロンやり切ってやったぞ、って自己肯定感が漲っていて、身体中へとへとで、でもそれが気持ちよくて

そして僕は「とうぶんはやらねえ!」と独り言をつぶやくのだった。

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

人は一生、勘違いして生きてゆく

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人は一生、誤解して生きていく

 

delete-all.hatenablog.com

 

「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」

という本が話題になりそう。

 

 

勘違いさせる、といえば

僕たちは毎日勘違いして生きてるって思う。

人間同士、完全にわかり合うことなんてできない。

それどころか、誤解している。誤解したまま一緒に生きている。

 

 

親兄弟でも勘違いや誤解、間違ったイメージを持って接していたりするのだから、

それ以外の人間関係でも勘違いなんてものはいくらでも頻出すると思う。

しっかり者だと思ったらズボラだったとか、

退屈なやつだと思ったら誠実な人間だったとか。

だいたい何十年と生きて歴史を持った人間一人を、完全に認識できるだなんて少しでも思うことがそもそもおこがましいんだよな。

 

 

だから僕たちは誤解し合って生きてるんじゃないかな。

もちろん、概ね合ってることも多いだろうが、親友でも80%くらいで、

残りの20%はやはり「わからない」

 

それに人間は日々細胞レベルで変化しているので、先週の自分と今週の自分は全く同じではない。そこには微細なレベルの変動要素があり、そしてその微細さは年月を重ねるごとに無視できないものになってゆく。

 

 

こういう話の時に

「結局人間なんて分かり合えないんだよ」と僕が切り出すと

多くの人間が「え...なんでそんな救いのないこと言うの?」

と反論するのだけれど、

 

むしろ人間が分かり合えてしまったら救いがない

のではないか?

 

 

すごく空虚だ。

相手のことなんかお見通しで、全部わかっていて、

相手が何を考えているのか悩むこともなければ、

相手のことをもっと理解したいと言う欲もない。

シナリオがわかりきっているRPGを初めからやらされるような気分だ。

 

そんなのは人間関係じゃないって思うんだよね。

 

少女漫画なんて誤解の連続だ。

少女漫画から「誤解」を取ったら、

きっとジェンガのようにストーリーが崩壊してしまうだろう。

 

誤解があるから面白い。

わからないから面白い。

 

その未知の部分。

余白とか。

 

そう言うのに人は無意識にワクワクして

「期待」するのだろうと思う。

 

 

 

だから、相手がわからないこととか、

誤解してるんじゃないかとか、

相手に誤解されてて不安とか、そう言うのもまずは

人間は誤解する生き物なんだって言うことを認識した上で

 

その誤解をなんとか解いて少なくとも「わかり合おうとする」ことで

歩み寄る。その人と人との直径を、例えば僕は人間関係と呼んでみたいのだ。

 

 

andy0330.hatenablog.com

 

親知らず放置したら高くついた〜治療より予防の方が経済的〜

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歯が痛いと何もかもどうでも良くならん?

 

最近親知らずが成長してきたなぁと思って放っておいたら

周りの歯茎がエラい腫れ始めて、「そろそろ歯医者行かなきゃな」

と思ってもう一日放置したら歯茎の腫れで口が閉じれなくなってもうた。

 

そのまま会社に出社して口を開けて仕事してたんだけど

もうね、あれだね、

歯が痛いと何も出来ないね(笑)

 

 

今目の前の仕事に集中できないし、

あー今俺の歯どうなってんのかなーこれ結構やばいのかなー

なんて考えながらいい仕事なんかできる筈もなく。

 

 

 

午前の時点でギブアップして

会社を出てすぐ近くの歯医者に行ってきた。

 

 

 

原因は親知らずが磨けてなくて、

不衛生からの菌が溜まるからの炎症ということだった。

とほほ。

 

 

身体が資本

 

スマートフォンなら、落としたり

画面が割れたりしても2年くらい使えば「新しいの買うかぁ」で

済むけれど、肉体の方はそうはいかない。

 

歯が全部抜けようが、失明しようが、足が臭かろうが

一生その体で生きて行くしかない。

少なくとも現代では。

 

 

太く短く生きるならいいのさ。

50歳くらいで死ぬなら別に浴びるように酒を飲んで

肝臓をボロボロにしようが、煙草で肺が真っ黒になろうが

何とか「もつ」んだよね。

 

でも僕たちは一応もっと長く生きるようだし、

80とか100とかまで生きるかもしれない以上、

それだけ長い時間を「この」肉体で乗り切らなければならない

ことにもう少し緊張感を持たなければならないのではないか。

 

 

 

歯なんかはまさしくそうで、

取り返しがつかない以上、精一杯ケアして少しでも長持ちさせて

うまいものを食べられるようにしていきたい。

昨日の僕のことだけど歯が痛くてドーナツを食べられなくて

ポンデリングを丸呑み、なんてことを26歳でやっている場合ではないのだ。

 

 

 

僕が今着目しながらケアしたいと思っているパーツは

目・歯・筋肉だ。

 

筋肉は後になってもある程度鍛えられるにせよ、

目と歯は放っておけば劣化していくばかりだ。

 

僕たちにはそれを向上させる力はなくて、

なるべく長持ちさせるようにするしかない。

 

 

最近はケア用品も相当充実しているから

ケアそのものを楽しむことができれば

意識しなくてもきちんと自分の体を大切にすることができる。

 

 

治療より予防の方が経済的

 

空恐ろしいのは

ニンゲン、やはり悪くなってからじゃないと気づけないのだ。

男女関係と一緒。失ってから気づくというか(笑)

 

 

虫歯になるから「歯をもっと大切にしなくちゃ」って思うし、

風邪をひくから「無茶してちゃいけないな」と思う。

 

 

 

ダメになってからそれに対処するよりも

事前に予防することで事態を防いだ方がずっと経済的だ。

 

歯で例えるなら、親知らずなどに使う奥まで届く細歯ブラシは360円だったが

歯の治療費の初診は4500円で処方箋を含めると5100円だった。

 

そしてこの歯の治療は継続する必要があり、

どうやら全部で4回くらい行く必要があるみたいだ。

痛そうだし面倒くさいし時間が勿体無いし、何より財布が痛い。

 

 

もしこれがー

 

もしこれが目の治療だったり皮膚の治療だったり、風邪や鼻の膿や内臓の障害や生活習慣病と被ったらどうなるんだろう?

都会で習い事に勤しむ小学生が如く、毎日違う病院に世話になるのだろうか?

 

月曜日の仕事終わりは歯医者

火曜日の会社終わりは耳鼻科

水曜日の仕事終わりは精神科

木曜日の仕事終わりは歯医者

金曜日の仕事終わりは皮膚科

 

 

自分の身体のケア不足のせいで

未来の時間と体力と預金のリソースを

ついばまれるのを想像すると背筋が凍る。

 

 

まずは歯を磨こう。

できるだけ丁寧に、医者に注意された通りに

歯を磨くところから始めようと思う。

 

 

 

Twitterでフォローの人数を減らして良かったはなし

 

 

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文章がかけないのはTwitterが原因だった

 

ここ最近マジで文章が書けなくて、

ブログは惰性で続けてるから書くには書くんだけど

書いた後に読み返しても全然面白くなくて落ち込んだり、

 

当然反響もなくアクセス数は落ち込むばかり...

っていいながらそれだけ低迷しながらも愚直にブログ続けてる自分って

すごいなってちょっとだけ思うんだけどね!笑

そのくらいのメンタリティないと5年も続かないわー。

 

 

 

でね、今日は友人のおかげで

「オリジナリティのある文章が書けなくなった原因」がわかったところさ。

 

 

 

 

原因はTwitterだったのだ!

 

 

多くの情報を得たり、フリーランスの最先端が知りたいがために

多くのインフルエンサーをフォローした結果、

色々な新しい試みやムーヴを知ることができて面白かったんだけど、

当然みんな自己主張は激しいわけでタイムラインが雑音だらけみたいになっちゃった。

 

 

「俺はこう思う!」

「新しいサービスはじめました!」

クラウドファンディングがどうたら!」

「女性のマイノリティについて思ったこと!」

 

 

あらゆることについて

すげえ影響力で発信している人たちがタイムラインにひしめいているのを見て

僕はただただ圧倒されるしかなく、

 

さらに言えばそれが文章の方にも影響が出てしまい、

「反響がありそうな書き方」

とか

「バズりそうな記事」

ばかり気になってしまって

結果的に上っ面な文章ばかり書いてしまっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

誰をどれだけフォローするのかは気をつけな

 

結局フォローしている人間が65人いたのを42人まで減らしたら

随分タイムラインが静かになった。僕が求めていた静寂だった。

 

 

考えて見たら、例えばミスチルの櫻井が

あらゆるジャンルの楽曲をシャッフル再生して数時間ぶっ通しで聴き続けたあとで

作曲をはじめたら、影響を受けまくって自分の文章なんて書けやしないだろう。

 

 

何かを生み出すのであれば、

孤独がなければならない。

 

そこに求められるのは自己との対話であり、

他者とのつながりではない。

 

 

僕は文章を書く側の人間だ。

 

 

そして、いくら主が未熟でも、

 

ここは襟を立てた少年の本拠地である。

 

 

 

 

僕はちょっと作家ぶったりして見て、

オリジナリティのある文章をこれからも書いていくのだ。

 

 

 

おしまい