襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

死なないたまごっち

死なないたまごっち

 

「たまごっちが死ぬようになった」という話を耳にした。

えっ!そもそもたまごっちって死ぬよね?!

 

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たまごっちといえば1996年に発売されて以来女子高生を中心に社会現象を巻き起こした携帯ゲーム端末。とはいえこのとき僕は幼稚園生だったため、一次ブームの思い出はない。僕の記憶にあるのはいわゆる「二次ブーム」といわれる、たまごっち同士で通信して「結婚」することで新しい子供ができるという仕様のたまごっちだ。

 

まぁこのたまごっちが死ぬわ死ぬわ...。

そんな死にやすい生き物じゃないはずなんだけど、ものぐさな人には駄目だね。家に忘れちゃったりとか、コートのポケットに入れたまま「あれー?どこにやったっけ?」とか言ってるうちに死ぬ。すぐ死ぬ。

 

そのたまごっちがね、最近の新しいやつは死なないんだって。

じゃあ世話せずに放っておいたらどうなるんや!っていうと、手紙を置いて蒸発するんだって。「今までありがとう。さようなら」みたいな。

 

理由としては、一次ブームのときのターゲットが女子高校生だったのに対して、それ以降のターゲットは女子小学生。小学生に対して死はショッキングすぎるのではないかという考えから、「手紙を書いて蒸発する」というシステムになったそうな。

 

 

そんな中去年2017年、20周年を迎えたたまごっち

 

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うわあすげえブリブリしてる...。

なんでも「結婚」してできた子供は父母の見た目を引き継いで新しい見た目になるらしい。父親にだったり母親だったりするらしい。そして、それを繰り返してどんどん子供の見た目が変わっていく。そして同じ見た目の子供がまたできる可能性はほぼ0なんだって....。どんだけキャラつくってんだ....。

 

 

 

死ぬらしい。

 

 

最新のたまごっちは、死ぬ!

 

いろいろ批判があったんだろうか?

小学生に対して死はショッキングなのだとしても、僕もやはりたまごっちは死ぬべきだと思う。きちんと世話しないと生き物は死ぬ。当り前のことだ。

 

こちらが小学生だろうが大人だろうが、生き物はいつ死ぬかわからない。

死ぬからこそ一緒にいる時間を大切にするのだ。

 

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ちなみに去年復刻版のたまごっちも発売されたらしい。

全く同じ仕様で。かわいい....。

 

 

 

 

 

 

このたまごっちも死にます。

 

おしまい

 

筋肉痛が好き

 

先日、会社の仲間と皇居ランに行ってきた。会社帰りに。

1月といえば真冬なのでむちゃくちゃ寒い。ところどころ雪が残っている。

そんな中ランニングをするなんて正気の沙汰ではない...はずなのだけれど、意外とそうでもない。

 

半蔵門にあるTOKYOFMのビルの地下に、ランナー専用の施設"ジョグリス"という場所がある。ここは会社帰りのランナーが愛用していて、ロッカー・シャワーが利用出来てしかも22:30まで営業しているという夢のような場所なのだ。

 

1回利用750円なのだけれど、

なんと手ぶらでいってもウェア+シューズを600円でレンタルできるという優しさ。これでいつでも「だめだ今スグにでもはしりたい!」と思ったらジョグリスを利用すればいいのだ。

 

 

あ、それで話を戻すと、1月の寒空の中会社の人たちとジョグリスに向かうとたくさんのランナーたちがいた。どれだけ寒くても走る人は走っている...つまり、寒いということは走らない言い訳には一切ならないということがよく分かった。

 

なぜ都内の人たちに皇居ランが人気なのかというと、アクセスの良さとか、皇居まわりを走っていれば信号が少ないとか、春は桜がきれいだとか、なんとなくおしゃれだからとか、会社から近いからとか、理由はあれこれあるだろうが、一番大きな理由はおそらく「1周5km」というわかりやすさではないだろうか。

 

5km走るとだいたい自分の実力がわかる。

皇居は平たんもあれば上りも下りもあり、まんべんなく「今の自分」を知ることが出来るのだ。今回の皇居ランは楽しく喋りながら1周だけ走り、そのあとみんなで飲みに行くという一番楽しいパターン。

 

 

僕が何気なく発した「筋肉痛ってやっぱりいいですよねー」と一言でものすごいドン引きされて大いに恐縮した。その実、僕は世の中の7割くらいの人が筋肉痛が好きだと思っていたのだ。これは大きな心得違いだった。

 

「やっぱりってなんスか...?」と後輩が遠慮がちに聞いてくる。

えっみんな好きなんじゃないの?!と内心冷や汗。

 

 

僕は筋肉痛が好きだ。

筋肉を使った後でそこに疲労を伴った痛みがあると「よしよし今日はちゃんと体を使ったな」という気分になる。満足感。筋肉痛は最高だ。

逆にまったく運動をせずに筋肉痛がないとすごい不安感に襲われる。

それは、筋肉を使わなかったことで体が端から順番に腐っていってしまうのではないかという焦燥感に他ならない。

 

 

 

でも会社の人たちには全く届かなかったので、あんまり深堀はしないでおいた。

変な場所で言わなくてよかった。今度から気を付けよう..。

 

 

 

おしまい

美術予備校仲間の新年会にようやく参加できたはなし

 

 

美術予備校の同窓会?新年会?に勇気を出して参加してきた話をするわ。

 

 

 

ただその前に美術予備校ってなんやねん、ってところから説明するね。

 

 

僕は高校生のときに「デザイナーになりたい!」と思って、デザイナーになりたい人は美術大学に行くことが多いんだよね。それで僕も美大に入ることにしたんだけど、美大の入試って学科だけじゃなくてデッサンとか絵具とかの実技試験もあるの。

デッサンっていうと、手のデッサンとか石膏像のデッサンとか、ああいうやつ。

 

それで、その試験をパスするためには当然デッサンと絵具の練習を死ぬほどやらないといけないわけで、そのために美術予備校ってところに通うんだよね。

僕がデザイナーになるまでの経緯についてはこちらで詳しく書いているよ!

 

 

andy0330.hatenablog.com

 

 

それで、まあ美術予備校に入ったんだけど、そこに通う人たちはみんな美大を目指しているわけさ。目指しているんだけど、入りたい美大や学科は人それぞれで、広告やりたい奴もいれば文房具のデザインをやりたい奴もいれば服をつくりたい奴もいればCMをつくりたい奴もいる。彼は目標はどうあれまずは美術予備校に行ってデッサンが出来なければどうにもならない。

そういうわけだ。

 

 

美術予備校の日々は楽しかったんだけど、実は負い目がある。

 

僕にとっては割と美術予備校は黒歴史なところがあって、フィルムカメラをいつも首から下げていたり、「岡本太郎はいつも困難な道を選べと言っていた」と言いながら初心者なのに難しいコースのデッサンをやって全然かけなかったり、髪にべちゃべちゃにワックスをつけて登校したり、イベントでへたくそな弾き語りを突然始めたり....こうして思い出しながら書くだけで頭が痛くなってくる。

 

また、僕は第一志望の大学には行けず、第二志望の大学に行ったというのも負い目の一つだ。高校時代僕はビックマウスで「おれは絶対あの大学に入ってカーデザイナーになるんだ」とあちこちに触れ回っていたこともあり、それから「大きな口叩いていた割には普通に第二志望に入ったやつ」という烙印を自分自身に押していたところがある。

 

 

 

 

美大に入って美術予備校が終わっても、美術予備校時代のメンツの交流はけっこうあったようだ。ことあるごとに集まってお花見をしたり、飲み会をやったり、旅行に行ったりもしたらしい。

 

僕は全然参加しなかった。

そもそも美術予備校でもあまり目立った結果を出していなかったし、マイナーな存在だと思っていたので、無理して参加するよりいないほうがいいのでは.....みたいなことをずっと考えていた。

 

 

とはいえ、美術予備校の仲間と完全に縁を切っていたかといえばそうではなく、

個人での付き合いは結構続いていた。たまにお酒を飲んだり、遊びに行ったり、相手の展示に顔を出したりっていうのはよくやっていて、まあ要は個人では会えるけど集団で会うと黒歴史がぶり返してしんどいとか...そんな具合だ。

 

 

今年に入って、また美術予備校時代の友人(以降めがしと呼称する)とお茶をしたときに「こんど美術予備校のみんなで新年会やるからおいでよ」と誘ってもらった。

 

 

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「いやでもおれのことなんか覚えてないでしょ」みたいなことをぐじゅぐじゅ言っていたらめがしは「でも○○も○○も会いたいって言ってたよ~そんなの気にしてるのあんただけだから来なよ」と誘ってもらって「よしじゃあ行ってみるか!」と勇気を振り絞った次第。

 

 

それで今日新年会があったんだけど。

集合場所のお店まで歩く道中すごい緊張してて。

 

マジもう場違いになるの無理だし、だいたい何を話せばいいんだよ..いますぐ溶けてなくなりたい....。なんて考えているうちにお店についてしまった。

 

 

 

でもお店に着いてみんなの顔をみたらそんなものは吹っ飛んでしまった。

黒歴史だの、なんだの、色々悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく感じるほどに、とにかく「なつかしい」

 

 

懐かしいってこんなに刺激的な感情なのだと驚いた。

なつかしすぎて、他のぐじゅぐじゅしたものを考える余裕がない。自然と笑顔になって、「あのときああだったよな!」みたいな昔話に花が咲き、今こういうことしてるんだーみたいな人の話もすごく楽しく、あっという間に時間が過ぎた。

 

これはいわゆる「みんなあなたが気にしているほどあなたに興味はないし、

みんなあなたが思っているよりあなたことを見ている。」というやつだな。

 

 

 

 

 

つまり僕は「過去の黒歴史、マイナーな自分」というものを長い時間をかけて膨張させ、「みんなと普通に笑っていた自分」を収縮させて握りつぶしてしまっていたのだ。前者を小さくして、後者を大きくすればほら、等身大の自分だ。

 

「ああ、おれってこのくらいなんだ。」と気づいて、そうしたらすごく自然と、あの時本来の「美術予備校のときの自分」を見つけることが出来た。

 

 

 

 

自分から見た自分と人からみた自分の差が激しいと何かと不便だ。

 

それを調節して、うまいこと合わせていくこと、「そうだよね、こんな具合だよね。」とチューニングを定期的に施していくことって人間関係において大切で、それが「人間関係のメンテナンス」であり、新年会だの花見だの、そういう風に機会をつくってまでみんなで会う意義なんだなっていうのを今回発見した。

 

 

 

ずいぶんごちゃごちゃ書いたが、要約すれば

美術予備校の集まりとか、もっと行けばよかったし、行っていいんだってようやく思うことが出来た。背中を押してくれてありがとう。僕は僕です。

これからもよろしくお願いします。また、お会いしましょう。

 

 

 

おしまい

ミリオンライブという驚異的なコンテンツ

今週のお題「私のアイドル」

 

アイドルなんか興味なかった

 

「アイドルってすげえ」というより、「アイドル好きな人」ってすげえなって昔から思っていた。家族でも友人でも恋人でもない他人にあれだけの情熱を注いで、夢中になって、それを仲間内で語り合って、楽しそうだと思った。

 

つまりは「アイドルにハマること」に対して憧れがあったのだと思う。

ところがなかなかそのきっかけがやってこない。AKB48とか、あんまり大勢の女の子が揃ってダンスしているとちょっと怖いし、「大量消費される女性性」みたいなのを想起させられて上手く楽しめないんだよな..。あとは歌がどうしても「アイドルの歌ってなんかポジティブな言葉を並べ立ててるだけなんでしょ」という先入観がすごくて楽しめない。「おれアイドルファン向いてないな」と思った。

 

向いてないなと思いながら、悔しかったんだよね。

なんか僕にはそういうところがある。

 

「未知の領域のコンテンツが、自分の無知ゆえに面白さがちっともわからないと悔しい」という感覚。

 

 

そんなある日のこと、新宿駅の地下でとある広告を見つける。

 

 

アイマスの世界

 

 

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THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!である!

この時点でこの「アイドルマスター」が何なのかは全然わからなかったのだけれど、この劇場版を見たら「アイドルとは何ぞや」っていうのがわかるかもしれないと思い、アニメ版「アイドルマスター」を一気見した。

 

 

 

この「アイドルマスター」というアニメがよくできていて、主人公であるプロデューサーの視点になってアイドル事務所を盛り上げていくお話なんだよね。

 

最初は弱小事務所で小さい仕事しか来ないんだけど、一人ひとりが成長していく中で仕事の規模も大きくなって、コンサートをやることになる!みたいな流れ。

 

 

 

この「アイドルマスター」の登場人物は13人いて、アニメでは毎回違うキャラクターに焦点を当てて物語が進行するのでキャラに愛着が湧きやすい。

 

まあもちろんみんな美少女なわけだけど

、ただキャピキャピしてるだけじゃなくて、それぞれアイドルに対して迷いがあったり、家庭の事情があったり、うまくいかないことがあったりして....。

 

 

そんな彼女たちがお互い支えあって励ましあってトップアイドルになるんだけど、

それから劇場版を見ると絶対に「泣く」。

 

 

映画館で涙を流しながら思ったのは「アイドルファンの喜びは、自分たちがアイドルを支えているという自負なんだ」ということだった。

僕の映画館の涙の理由は「ここまで頑張ってきたんだね....。」みたいな謎の感動だった。

 

 

なんかアイドルファンの気持ちがわかった気がした。

まあこれで終われば「アイドルの世界を垣間見れて良かった」で済んだんだけど、僕はここからあと2段階の沼にハマることになる。

 

 

第二の沼「ミリシタ」

 

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アニメも見終わって、劇場版も終わって僕はまた一般人の道を歩き出していたのだけれど、去年とあるスマホアプリが公開されて僕の日常を一変させることになる。

 

それが「アイドルマスターミリオンライブシアターデイズ」通称「ミリシタ」である。

 

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世界観としては前述の「アイドルマスター」の13人がトップアイドルになった後の世界で、同事務所の妹分として頑張る女の子たちのお話。なんと37人もいる。

 

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こんなに覚えきれるわけない!ポケモンじゃないんだから!

そう思ったが興味本位でミリシタをインストールした。無料だし...。

そしたらもうこのゲームがすっごくて。

 

 

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すごく雑に説明すると音ゲー+ギャルゲーみたいな要素があって、

自分がプロデューサーになって37人のアイドルをライブと仕事で成長させていく、という展開。ガチャを回してアイドルをゲットしたりする。

 

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ゲームを進行させていったり、イベントがあるとアイドル毎のエピソードを楽しむことが出来る。こうして音ゲー(ミリオンの楽曲の反復学習)と仕事(アイドル毎のキャラクターの反復暗記)とコミュ(アイドル同士の関係性の理解)を延々と繰り返すしかも楽しみながら。それがミリシタだったのだ。

 

恐ろしい。

これって今猛威を振るっている英語学習アプリ「i know」と同じで、繰り返し繰り返し覚えながら、覚え方はバリエーションを増やすことで飽きが来ない、しかもゲーム感覚という「一番続く」学習方法を取り入れている。

 

僕はすぐにミリシタに夢中になり、どんどんアイドルの名前を憶えていった。

ちなみに一番好きなのは「徳川まつり」です。

 

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第三の沼「ミリオンライブ」

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当然、このアイドルたちはアニメ絵のキャラクターなので、現実世界には存在しないのだけれど、このキャラクターに声を当てている声優は存在するのだ。当り前だけど。

アイドル達の歌も声優が歌っているわけで。その声優たちがアイドルとしてステージで歌を歌うーそれがミリオンライブである。

 

声優がアイドルとしてステージで歌う?!

どういうこっちゃ!と僕は混乱した。

アイドルは可愛いから衣装を着てアイドルをやっているわけで、声優は声で勝負してるわけでしょ...??いきなり人前に出て歌って踊ってなんて出来るのかしら...??と不安になる。

 

しかし侮ってはいけない!

去年は武道館ライブを果たしました.....すごすぎる....。

 

 

 

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ライブ動画を見ていると有名すぎてさすがに知っている声優がいたり(写真は灼眼のシャナとかの釘宮理恵さん)

 

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声優といいつつアイドル並みに可愛かったり(雨宮天は写真集まで出している)

 

 

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あと、個人的にこれが一番「ミリオンライブ」の醍醐味だと思うんだけど、好きなキャラクターの声優がタイプだったりすると好きという気持ちが二乗されてヤバい。

 

 

こうして僕は「ミリオンライブ」のコンテンツに腰までつかり、

アニメ絵のキャラクターたちに想いを馳せたり、あるいは実物の声優が演じるステージを観て勇気を貰ったり感動したりしながら素晴らしいアイドルファン生活を楽しんでいる。アイドルファンになれて良かった。

 

 

おしまい

 

 

 

月曜日に新しい服は着ていかない

 

 

 

 

休日出勤した日曜日の夜の、買い物がはかどる恐ろしさよ。

 

「休み返上で頑張ったんだからお洋服買うくらい許されてもいいはずだろ!」

という自分の中のデモ隊が列をなして抗議している。

 

 

最近は洋服をソラマチで買う。

ソラマチはすごい。だいたいなんでも揃う。

具体的にはアーバンリサーチとABCマート

FREDPERRYとZARAが同じフロアにあるのが良い。

 

それで最後にロフトとsmithをくるっとまわればなんとなく「仕事のストレス」と「お買い物による発散」の収支がちょうどペイされて「まあ..ハッピーかな」くらいまで償却できる。

 

 

それで今日、新しいパンツを買ったんだけど(パンツって下着って意味じゃなくてズボン?って意味なんだけど、パンツって表現して大丈夫なのかしら?)もう、さっそく会社に履いていきたいわけだ。

 

でもちょっと待って。月曜日は履いていけない!

 

 

 

月曜日に新しい服を着ていったら「あー日曜日に買ったんだな」って思われる!

 

 

日曜日に服を買って、浮かれてさっそく翌日に着てきたって思われる!

考えすぎかもしれないけど自分ならそう思っちゃう!それが嫌なので僕はいつも日曜日に新しい服を買ったときは火曜日に着ていくことにしている。

 

GWとか年末年始とかの長期休暇が終わって、久しぶりにみんなが会社に出勤するとみんな「今までそんな服持ってたっけ?」って服着てきてて、なんかおニューコーデの見せあいっこみたいになってちょっと照れ臭い。

 

僕はあたかも長期休暇なんてなかったような顔をしていつも通りの格好をして(でも新しい服は買っている)、1週間くらいしてほとぼりが冷めたら(なんの?)おニューの服を着て出勤している。

 

 

そんなことを続けてなんの意味があるの?

意味なんてない。僕はただ、人が恥ずかしいと思うことをあまり恥ずかしいと思わず、人が恥ずかしいと思わないことを恥ずかしがる傾向があるだけなんだ。

 

 

 

 

 

全然関係ないしどうでもいいけど女の子の「今度飲みに行きましょうよ」って、

外国人からのビジネスメールの文末についている「Best Regards」くらいの意味しかないよね。

 

 

 

 

おしまい

たぶんこれ睡眠時無呼吸症候群だ

 

寝起きがすごく悪い

 

ここ1.2年寝起きが悪い。

朝起きると体が泥のように重く、まるで砂でも噛んだような顔をして無理やり体を起こす。眠い。眠すぎる。時計を見ると7時間くらい寝ている。なんということだ。

 

自分はロングスリーパーなのかもしれないと疑って、どのくらい寝ると翌日元気よく起きれるか、毎日少しずつ睡眠時間を延ばして実験してみたら「9時間寝ると翌朝わりとうまく起きれる」ということがわかった。

 

ただ22時に寝て7時に起きる生活を想像するとやっぱり...「もうちょっと夜色々やりたいわ」と思ってしまう。現に僕はいまこうして23:40にブログを書いている。

 

とにかく寝苦しい日々を送っている中、ある夜寝ている最中に突然飛び起きたことがある。「ぜひゅ!」みたいなことを言って起きた気がする。

「いま呼吸してなかった」と確信した瞬間だった。

 

 

睡眠時無呼吸症候群

ネットで調べてみると睡眠時無呼吸症候群の気がある。

 

ふむふむ。

要は寝ているときに呼吸がすごく浅かったり、呼吸をしなかったりする人のことで、別に薬もないし手術もないので「治す」っていうんでもないらしい。

深刻な人は口に当てる呼吸器みたいなのをつけて眠る人もいるらしい。

ずいぶん大仰な話だ。

 

 

 

たしかに。

たしかに、電車で座っているときにちょっとうとうとすると、途端に呼吸が浅くなるのを感じる。無意識に息を吐くことは出来るんだけど、ほんのちょっとしか息を吸うことができない。まるで、胸のまわりにゴムバンドを付けているみたいに胸が膨らまないのだ。

 

 

 

息ができないなんて生き物らしくないなと少し落ち込んだ。

泳ぐのを辞めた魚とか、光合成を辞めた花みたいな。

 

思うに、人って寝ているときは自然と腹式呼吸に切り替わるらしいのだけれど、僕はそれが出来ていないのだと思う。なぜ出来ていないのかと言うと、鼻が詰まっているからっぽい。

 

で、鼻が詰まっているのはなぜかというと、鼻水とかでは全然なくて、単純に鼻の穴の奥が普通の人よりずっと狭い。ような気がする。

普通の人の感覚がわからないので何とも言えないけれど。

 

ためしに元旦から今日にかけて18日間のなかで、「鼻呼吸できるくらい鼻が開通しているときが何日あるのか」を計測してみた。

 

 

 

 

 

 

0日だった。

一日たりとも僕は鼻呼吸できる状態ではなかったのだ。これにはちょっと驚いた。

どうりで喉が痛かったり、口がいつも乾いていると思った。鼻呼吸ぜんぜん出来てないんじゃん。

 

 

そういうわけで、まだ詳しくは調べていないのだけれど、

今度鼻の手術を受けるべく水面下で動いている。いや、別に水面下で動く必要もないのだけれど。

 

遅くなったのでそろそろ眠るけれど、寝るのはあまり愉しみな作業ではない。

人並みに息が出来たら、朝がもっと楽しくなるのに、と思う。

 

 

 

おしまい

上司であり、先生であり、父親である「手帳」ー僕の手帳術

今週のお題「2018年の抱負」


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手帳という上司

 

「やばい今日〇〇やってない....でも帰って報告しなきゃ....。」

 

こんなことを考えながら暗い気持ちになる帰り道を誰しも経験したことがあるのではないか。これは別に上司でなくても、先生でもいいし、父親でも良い。

絶対的に権力があって、おっかなくって、報告しないといけない相手。そういったものを想像してほしい。

 

 

 

僕にとって手帳はパートナーであると同時に「上司」である。

 

あるいは「監視員」であり、「門番」であり、「先生」であり「父親」である。

 

 

 

 

今日やらなければならないことー。

僕は会社員なので、会社の仕事をやるのは当然だとして、「やらなくても特に誰にも怒られないこと」―部屋の掃除や、健康管理や、勉強や読書のことーについて、僕は誰かに尻を叩いてほしいのである。

 

 

誰にも管理されずにやらなければならないことを淡々と日々こなすことが出来るほど人間って出来てないと思う。

 

「まずいなぁやってないなぁ....やらないと怒られる...。」

そんな緊張感がだらしない僕には必要だった。

 

 

僕の手帳にはまず、元旦に考えた目標が書いてある。

いつでもそれを見返せるようになっていて、おまけにやっぱり、元旦に書いた文章なもんだから、「今年はこんな年にするぞ!」という情熱がすごい。平時の自分からすると「おいおい、俺たちの身にもなってくれよ」と言いたくなるような熱意で、自分を律し、ひたむきに努力する旨がつらつらと書いてあるので参ってしまうのである。

 

 

つまりは、元旦に考えた「理想の自分」に失望されたくないのである。

 

 

手帳=上司=自分

 

種明かしーというほどのものではないが、僕の上司は"理想の自分"である。

「こうなりたい完成された、マジすげえ自分」が手帳の中に確かに生きていて、僕が手帳を開くたびに「よう、調子どう?」と話しかけてくるのだ。

 

 

「今日は...洋書を5ページ進めるつもりだったんだけど...まだやってなくて...。」

なんてことは言えない。それは理想の自分を失望させることになり、それは自分自身に失望することになる。

人間、自分に失望するほど辛いことはあるまい。

 

 

前述したとおり、僕の手帳の冒頭には元旦に書いた抱負が書かれている(一部を掲載するなら「今中」「利他」「克己」という超ヘビーなノルマであった)わけだけど、当然日々生きているとそれだけだと上手くいかないのだ。

疲れている日はあるし、忙しいときだってある。いつでも元旦に思い描いたような生活ができるわけがないし、できるわけがない、という当たり前のことが元旦には想像できない。

 

 

だから分割するのだ。1年を12分割して、毎月の目標を立てる。

あるいは、僕の場合は毎日「まあ明日のスケジュールならこのくらいできるやろ」と踏んでノルマを与える。それは抽象的であったり具体的であったりする。

「ランニング10km」とか「感謝を言葉で伝える」とか「瞬間瞬間に集中する」とかね。

 

 

そんなことをして何がしたいのか

 

僕の今年のテーマは「365歩」である。

 

一日たりとも無駄にせず、一歩一歩前に進むみたいに日々を生きたい。

 

「なんとなく過ぎた今日」なんてものは今年は許さない。

 

 

もちろん、ゆっくり過ごしたり、遊んだりもする。それも、能動的に「よーしゆっくりするぞー!」「だらけるぞー!」と納得して生きたい。

 

 

間違っても「うとうとしてたら夕方になってた」みたいなことはやりたくないのだ。

 

 

 

僕は今年で26になる。

さすがに大人だし、若すぎるとは誰も言ってくれない年になった。

謎の焦りもある。友人が結婚したり、何か賞を取って新聞に載ったりすることも増えたが、そんなことよりも、昔自分が思い描いた自分が離れていかないか心配なのだ。

 

だから着実に一歩ずつ。

手帳を携えて理想に向けて歩いていきたい。

 

 

 

 

 

今年も襟を立てた少年をよろしくお願いします。

 

 


パリは燃えているか(オープニング・テーマ)

今日の記事のBGMはきっと「パリは燃えてるか」って感じ笑

 

おしまい