襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

今日のあなたは昨日のあなたより優れているか

 

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そうだ。小学生のころを思い出せば毎日学校で新しい漢字を習い、かけ算を習い、鉄棒を練習して、それを除いても身体は日に日に大きくなっていたはずだ。

 

でも大人は違う。 小学生の頃は二段飛ばしで駆け上がっていた階段も息切れしてしまうし、毎日新しい漢字を覚えるどころか手書き離れのせいで漢字が書けなくなる始末。そう考えると、毎年毎年成長できずに足踏みを繰り返す将来の自分を想像してぞっとしてしまう。

 

 

去年は食べられなかったものが美味しく感じる。人当たりが良くなった。後輩に好かれるようになった。人脈が増えた。

去年の自分、いやさ昨日の自分より凄い自分でいたい。誰もが思うことなのではないか。

 

ではどうしたら自分は成長できるのか。

あるいは成長を確認することができるのか。

 

 

 

 

 

 

  • 何かに記録する

ブログやTwitter、手帖でも良いけれど自分のことを記録することで自分の成長を確かめることができる。そのためには自分が現段階でどの程度なのかを書く必要がある。例えばダイエット中であれば手帖やスマホのカレンダーに体重を記録していく。あるいは今日覚えた英単語や漢字を記録しておく、など。知り合った人の顔を書いておくのも良いかもしれない。

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  • 継続して地味な努力を継続する。

単語を覚えるのも腕立て伏せを続けるのもそうだけど、地道な努力を継続すること自体が自身に繋がっていくのではないか。「今日で100日連続続いた!」というのは十分な成長であり達成感といえる。難点としては例えば風邪をひいて一日休んでしまっただけで「ああ!199日目だったのに!」と大きな挫折を味わってしまうことだ。そのためには「週に一度はジムへ」とか「月に100個英単語・月に一冊は本を読む」という風にある程度の"ゆとり"は欠かせない。妥協するのではなく目標をきちんと達成させるために現実的な計画を練るのだ。

 

 

 

 

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  • 人から意見を訊く

 友人や仕事の同僚と気軽な話をするのは楽しいけれど、たまには自分の成長のために深い話をするのも良い。ためしに「去年に比べてどこが成長したか」という話題をふってみると良い。意外にも盛り上がって、自分のどんなところが成長したのかを聞き出せるかもしれないし、そういう話題はとても有意義だと思う。

 

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  • 「視える化」する

 これは一時期流行した言葉ではあるけれど、この場合は「数字などの具体的なものに成果を置き換える」という意味である。例えば資格をとるのはとても良い。自己完結する子供と違って大人は目に見えて人にも証明できるような結果を望む。

わかりやすいのは例えば資格。「去年までは色彩検定3級だったけど今年でようやく2級をとれた!」という事実は"去年に比べて成長できた"わかりやすいカタチではないだろうか。その他にも体重とか貯金でも良いから、数値化するのはひとつの手法であると思う。

 

 

 

 

  • 最後に

この提言にはひとつ穴がある。

何かを継続するのも資格をとるのも結構だけれど、僕のつたない論理で言えば

「優しくなる」とか「人に好かれる」とかいった全く目に見えない人間性に関しては"成長したか"がわからないのだ。でも、僕は別にそういうところは成長できたと実感できる必要はないんじゃないかと思う。

「自分は優しい人間だもーん」と思っている人は底が知れているし、「わたし結構人望あるからサ」など心中で思っている人とはなるべく関わりたくない。

 

「自分なんて優しくないし....」とやさぐれる必要はないけれど、そのあたりに関しては自分に対して不足を感じるくらいがちょうどいいのではないかと思っている。

 

自分の人間性に関しては満足する必要はなし!

 

これが僕なりの結論です。

 

 

 

 

 

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