襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

赤ちゃんはどうやって言葉を覚えるの?

 

 

考えてみれば生まれたての赤ん坊には言葉の概念がない。

「ママ」もわからないし、「私がママですよ〜」なんて言われても

「私」「が」「ママ」「です」「よ」が一々わからないのではないか?

 

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え?え?じゃあどうなってるのどうやって言葉って覚えたんだ?

 

考え出すと思考がいたちごっこだ。言葉について言葉で考えることは

辞書で辞書について調べたり、コンピューターでコンピューターの限界を調べるのと同じくらいのレトリックというか、ジレンマを感じる。

 

 

 

僕たちは生きていく中で色んな感情を持っている。

例えば「楽しい」だけでも「わくわくする」「期待している」「照れる」「癒されている」「安心している」というように、多種多様で入り組んでいる。「嫌だ」という感情も「憎い」「嫉妬する」「ずるい」「怖い」「うっとおしい」などなど。

 

 

 

 

 

きいた話によれば生まれたての赤ちゃんの感情は「快」と「不快」しかないのだそうだ。だから「寒い」「痛い」「空腹」「不安」「気持ち悪い」も全部ふくめて「不快」としか思わない。だから犬に手を噛まれようが、オムツを汚そうが、

 

 

「うわーーーーーなんか嫌やわーーーーーなんかわからんけど不快やわーーーー」

 

 

としか思わない。成長につれて感情も少しずつ複雑に分岐していくらしい。

もちろん言語がないのだから感情が二択しかないのも頷ける。大人になると「アイツ好きっていうか気になる存在ではあんやねんけど、一緒にいると居心地悪いっていうか胸が苦しくなんねん。なんやろコレ」みたいに感情が一筋縄ではいかなくなるけれど、赤ちゃんと僕たちとどっちが幸せなのだろう?

 

 

 

それは置いといて、「感情が二択しかない赤ちゃん」が例えばウンコをぶちかましたとしよう。赤ちゃんとしては下半身に柔らかめのむにゅむにゅしたものがへばりついて、しかも臭いし、完全に「不快」だろう。これで「快」に感じて「あっこれたまらんわ...ごっつええ.....。」とか思ってたらキモいよな。

 

 

 

 

で、不快だからとりあえずアクションを起こしてみる。つまり泣く。

生まれたばかりの赤ちゃんが取れるアクションも2つしかない。「泣く」か「寝る」かだ。(「笑う」はもう少しあとのセクション)

 

「おぎゃー」って言ってるとお母さんがおむつを変えてくれて、「不快」が取りのぞかれる。赤ちゃん的には何が起きてるのかわからないけど、とりあえず「おぎゃー」によって「不快」が無くなったわけである。泣いて甲斐あったな。

 

 

 

 

寒かったり痛かったり気持ち悪かったり腹が減ったり、とりあえず「不快」に対して「おぎゃーー」と泣いてみる。そうすると「不快」が取り除かれる。

なるほど、「おぎゃー」と泣くととりあえず「不快」はなくなるのだな、と赤ん坊は理解する。

 

 

しかしほどなくして問題が発生する。

うんこが不快で、おむつを替えて欲しくて「おぎゃー」と泣いているのに、それが理解してもらえないのだ。「えっどうしてこの子泣いてるの?お腹減ったの?寒いの?」とか言われながらおっぱいを差し出されても「おっっっっぱいじゃねぇぇぇよ!!!」なんて赤ちゃんは言えないのである。

これは不便だ。「おぎゃー」だけでは立ち行かなくなってくるのである。

 

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例えば母親が「マンマだよマンマだよ」と言ってお乳をあげる。

 

 

それを繰り返すと赤ちゃん的には「マンマダヨー」という言葉を耳にするとおっぱいにありつけるということがわかってくる。

 

「マンマ」と言われればおっぱいが出る。

お腹がいっぱいになる。

 

 

 

ある時お腹がすく。なのに「マンマ」がない。おっぱいも来ない。

なぜおっぱいが来ないのか。「マンマ」と言われてないからだ。

それで「マンマ」と言葉を真似してみる。するとお母さんが慌てておっぱいを寄越す。

 

あ、「マンマ」って言えばおっぱい貰えるんや!これ便利やん!

こんな発見の連続から赤ちゃんの言葉は生まれていくのではないか。

 

 

 

「パパダヨー」と聞こえると、煙草くさいごつごつした感触に包まれる。低い声。いつもより高いだっこ。「ああこれが"パパ"やんな。ママとはちゃうんやな。」と学習する。

 

 

赤ちゃんってすごいなー。

全部僕のオリジナルの知識なので、専門的な語弊があったらごめんなさい。でもだいたいこれで間違いないと思います。

 

 

電車で大学生が「ヤバい!マジヤバいんだけど!」とか言うのを聞いていると少し怖くなる。「マジ」と「だけど」が強調語句にすぎないのだとすれば彼・彼女たちが発しているのは「ヤバい」のひと言だけ。しかもその「ヤバい」ですら「快・不快」のどちらでも当てはまるため、つまり赤ちゃん的には何も言ってないに等しいのである。

 

これに気付いたときに僕はとにかく恐怖を感じた。

感情はなるべく細かく、繊細に扱っていきたいものだ。