襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

果たして「知らない方がいいこと」はあるのか?

 

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突然だけど想像してみてほしい。

高校時代。部活の練習が今日も終わって、薄暗い帰り道、仲の良い友達と二人での帰り道。

 

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「あのさ...お前は知らないほうがいいかなって思ってたけど....ききたい?」

と言われたとする。あなたならどうするだろう?ただし、「どういう感じの話だよ?」等の探りを入れることは出来ないものとする。

 

 

①「きかせてほしい」

 

②「きかないでおく」

 

 

 

 

 

多分だけど多くの人が①を選んだんじゃないかなと思う。その心理としては「どうも良い話じゃなさそうだけど、興味深い話かもしれない。自分にとって有益かどうかはさておき、聞いてから自分の中で整理をつけちまえばいいや。」というようなものが働いているのだと思う。

 

 

しかし友人は「お前は知らないほうがいいかなって思ってたけど」と断言している。ということは、少なくとも友人の理性では「言わない方が良い」話なのである。言ってしまえば自分にとって気分を害したりする内容なのである。

にもかかわらず「ききたい?」というのは、友人の「でも話してしまいたい」という感性の部分が勝っているからに他ならない。

 

「言ったら傷つけるかも」「でも言ってしまいたい」という狭間で揺れているからこその「あのさ...お前は知らないほうがいいかなって思ってたけど....ききたい?」という台詞なのだ。

ちなみに①「ききたい」に対しての答えは大抵3パターンだ。

 

 

  • 「お前なんでそれ俺に言ったん」パターン

 

 

「コーチがお前をレギュラーから外すって....」

「お前三年の先輩から目つけられてるよ」

「お前がマネージャーに気があるって噂がすごいわ」

 

みたいな「うわーーお前それ言うなよーーー俺に言うなよーーー!!」というような内容かもしれない。

 

 

  • 「ショッキングだけど教えてくれてアリガトウ」パターン

 

「お前の彼女浮気してるっぽい...」

「コーチ...今月一杯で異動するって...」

 

みたいな「うわーーーそうなのかよーー!!ショックだーー!でも聞いたからこそ対処できるーーー!聞いたおれには対処することが出来るーーー!」というような内容かもしれない。あるいは

 

 

 

  • 極秘情報GETしちゃった!ラッキー!パターン

 

「ゆきあつとつる子付き合ってるっぽい....」

「まだ内密だけど...次の練習相手、あの強豪校らしいぞ」

 

 

というようなゴシップ的な内容なら「おおー知れて良かったー↑↑」なんてテンションが上がることもある。つまり何が言いたいのかといえば、

 

箱を開けてみないと何が飛び出すかわからないということ。

そして、基本的に人は箱を開けたくて仕方がないように設計されている。

 

ということだ。

さて、ここで主題に戻るけれど、"「知らない方がいいこと」はあるのだろうか?"

 

 

どんなことでも知れるだけ知ってしまえば、自分はそれだけ自由になれるという考え(拡大解釈して便宜的にこれを「ラプラスの悪魔」と呼ぶ)を持っていれば、そりゃ答えは「ない」だ。

知らない方がいいことなんてない。自分が浮気されていようが、両親が実は赤の他人だろうが、三年に目を付けられていようが、とにかく知った上で自分がどうすべきかを決めれば良い。そうすれば間違わなくて済む。これもひとつの考えだと思う。

 

 

僕は一時期この考えにハマっていて、つまりラプラスの悪魔に魅せられていた。

 

ラプラスの悪魔

 

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

 

— 『確率の解析的理論』1812年

 

 

 

つづく→*1 

 

wikiより抜粋)

 

 

 

つまり今現在の全ての力学的運動を知ることが出来れば、全ての未来を見通すことが出来るということである。もちろんここで「知性」と曖昧にされているとおり人間業ではないが。

 

 

 

 

拙い個人的な例をだすけれど

僕はある時期、バイト先でスタッフの人間関係を完璧に理解出来れば(もちろん不可能にせよ)自分はその環境に置いてより快適な時間を過ごす事ができるのではないかと考えたのである。そりゃそうだ。不完全にせよ未来が見通せるのだもの。

 

アルバイト先で4年生ともなると、ある程度の信用があるし、年上の社員や店長とのプライベートな付き合いもある。年上だから相談もされるし、年下からすれば大人っぽく見えるから秘密も話す。そうすると嫌でも店全体の人物相関図が見えてきてしまう。

「あいつとあいつが誰にも気付かれずに付き合ってる」ということだけでなく、「あいつは半年後に辞める」とか「あいつらは表面上すごい仲良いけど本当は信用しあってない」みたいな細かいところまで浮き彫りになってきて、そうするとどうなるかというと、疲れるようになってくる。

 

気を遣うし、否が応でも「こいつら本当は嫌い合ってるぅぅぅ」っていう二人が冗談を言い合ってたりすると頭が痛くなってくる。

ここまで来ると「知らなきゃ良かった」ということになり、僕は結局そうやってラプラス的に全てを詮索したり見通したりすることを辞めて、極力考えずに働くことになった。

 

 

 

 今の僕の結論は「知らない方がいいこと」はある。だ。

人は開けたら不幸になる箱があっても開けたくなる。「押すな押すな」と言われれば押すし、「すっごい不味い」と言われればちょっと口に入れたくなる。「絶対食うんじゃねーぞ」と神に言われた林檎だって食べちゃう。

 

 だからこそ、「教えてあげよっか!!」に対して「やめとく」と断る勇気を持ってはどうだろうと僕は提案する。だってキリがないんだ。知る事はもっと他にあるはずなのだ。僕たちは情報について受け身になり過ぎた。ブログ・NAVERまとめ・速報・TwitterFacebookなど加工されて味付けされた情報をフォアグラみたいに喉に流し込まれてる。耳を傾けてばかりじゃなくて、自分から情報を捕まえにいこう。そして、的確に不必要なものに対して耳を塞ぐ利口さを持とう。

 

 

 

 

読んでくれてありがとう。今日のは頑張って書いた!

 

 

 

*1:つまり、世界に存在する全ての原子位置運動量を知ることができるような知性が存在すると仮定すれば(ひとつの仮定)、その存在は、古典物理学を用いれば、これらの原子の時間発展を計算することができるだろうから(別の仮定)、その先の世界がどのようになるかを完全に知ることができるだろう、と考えた。この架空の超越的な存在の概念を、ラプラス自身はただ「知性」と呼んでいたのだが、後にそれをエミール・デュ・ボワ=レーモンが「ラプラスの霊(Laplacescher Geist)」と呼び、その後広く伝わっていく内に「ラプラスの悪魔(Laplacescher dämon)」という名前が定着することとなった[1]

この概念・イメージは、未来は現在の状態によって既に決まっているだろうと想定する「決定論」の概念を論じる時に、ある種のセンセーショナルなイメージとして頻繁に引き合いに出された。

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