襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

あなたは本当に"いい人"なのか?

 

電車でマナーの悪い人がいたとして、それに対して「不愉快だなぁ」「あれは良くないな」「マナー違反だな」「許すまじ」と思っている人は、そのとき無意識的に「自分はそんなことしてないもーん」という「いい人サイド」にいるのではないか?

 

 

 

電車内で化粧をしている人に対して「ないわー」と思って眉をひそめ、遠目から軽蔑のまなざしを向け、あまつさえその様をTwitterに投稿したりする。「電車で化粧してるヤツは本当にありえないと思うわ」とか言っちゃったりして。でもそれって本人に注意する勇気もないような、つまらない、大多数の「一般人」にすぎず、ちっとも「いい人」ではないんじゃないかと思う事がある。

 

 

 

というか、見過ごして看過してる時点でそのマナー違反者を黙認してるわけで、逆にマナー違反者を見過ごしてるわけなのだから、むしろ「わるい人」なのではないか。

イジメだってさ、イジメが明らかに起きているのに黙って気付かないふりしてたらイジメに加担してるようなものなんじゃないの?

Twitterなんて要するに陰口の吹きだまりみたいな所で、そこに「マナー悪いやつは死ねば良い」みたいなこと書き込んだところで「いい人」になんかなれるはずがなく、結局の所「いい人」になれるのは行動を起こした人だけだ。

 

 

 

「いい人」ぶるのはやめたほうがいい。自分=いい人、という構図を持ち歩いている人は、自分が正しいのだから自分を疑うことを怠ってしまう。

「もうミスしません!」「二度と同じ事は繰り返しません!」と豪語する新人が一番信用できないのと同じ、ある意味においては「自分を信じる」やつが信じられないのだ。

 

 

僕は性悪説論者ではないけれど、やはりどこかで「自分は間違ってる」という意識は持っておいたほうが他人に迷惑はかけずにすむ。とおもう。あなたは圧倒的に「わるい人」で、生活排水で海を汚し、便利な生活を堪能しながら山を削り、命をぶっ殺して生きている。自分のために嘘もつくし、出来ればそんなに努力せずに良いことあればいいなーなんて思って生きている甘ったれた悪人なのだという意識があればこそ、人は光に向かって進めるのではないかと思う。

 

模試で100点だった人は安堵して勉強に手を抜くが、20点だった人は必死になって100点を目指して勉強するのだ。「いい人」ポジションに得意げに座っている場合ではない。

 

自分は大丈夫・自分はマナーを守っている・自分は人を簡単に傷つけたりはしない!なんて思っている人から順番にミスを犯し、他人に迷惑をかけ、人の悪口を簡単に振りまく。「自分はわるい人なのだ!」という意識から、普段から人様に迷惑をかけないように、人を傷つけないように注意を払って生活しないことには結局ツケが自分にまわってくるのだ。

 

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では皆さんグッド・ラック

 

 

 

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