襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

無宗教の一般人が聖書を読んだら

 

 

聖書を読んでいる。

「なんで?!」と聞かれれば、「究極の読書にたどり着きました。」と笑う他ない。僕は見ての通り無宗教だけど、今回は読書として聖書に触れ始めた僕が、ブログで一番タブーとされるものの一つ、「宗教」について考える事にする。

 

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(上の写真でキリストが着ているTシャツだけど、5つのパンと2匹の小魚を祈りで増殖して5000人の民を満腹にさせたというエピソードから来ているっていうのは今日の聖書読書でわかった。)

 

 

日本はとにかく無宗教が一般的なので、多くの一般人は「宗教」という言葉に抵抗を持つ。「彼は宗教をやっている」と言われればそれは十中八九悪口だし、恐れの意味が込められている。そこには地下鉄サリン事件を始めとした宗教によるテロ・事件のような陰惨な歴史を見聞きしている日本特有の空気感と言って差し支えない。

 

米を主食とし、嘘をついたり人を騙したりすればバチがあたる。食卓を囲えば「いただきます」「ごちそうさま」を言う。こういうことを当たり前としている我々はやはり「なんとなく仏教なのでは?」と考える人が多いかもしれないけど、これらの考えは仏教と言うよりは「神道」に近い。

浅学無知にして「神道」について多くを語る術を僕は持たないけれど、上記の考えを踏まえると日本人のほとんどは「神道」の教えを"知っている"、"積極的にではないにしろ否応無く関わっている"のではないかと考えた。

 だからやっぱりそういう中で「仏教」なり「キリスト教」なりを深く信仰している人はなんとなく「自分たちと違う」ようなイメージがしてしまって、怖くなったりもするのではないか。要するに僕たちは「宗教のことがよくわからない」のではなく、「わかろうとしていない」「関わらないように注意深く生きている」と表現したほうが自然かもしれない。

 

 

 

閑話休題。聖書に話を戻す。

 

 

聖書には大きくわけて「旧約聖書」と「新約聖書」に分けられる。この2冊は内容は全く違っていて、もちろん前者が古くて後者が新しいわけだけど、何に対して新しい/古いのかと言えば、キリストの誕生である。

 

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旧約聖書は神様が「光あれ」って言ったり、アダムとイヴがいて林檎を食べちゃったり、ノアが箱船をつくったり、バベルの塔がどうしたとか、イスラエルで神の教えに従ってヤコブがどうしたとか、そういう内容。そういうわけでキリストはほとんど登場しない。神と人の織りなす壮大はファンタジーだ。

 

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新約聖書はキリストの生涯を書きながら、キリストが盲人の目を治したり、7つのパンを5000個に増やして民に与えたり、水の上をあるいたり、「とにかくあの人すごい」と言う事が書かれていて、同時にキリストが説いた(正確には神の言葉の代弁)教えが書かれている。右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさいとか、隣人を愛せとか、そういうやつ。

 

 

だから聖書といっても二種類あって、ただ聖書を持ち歩いている人は多分「新約聖書」を持っているんじゃないかと考えている。ただ新約聖書旧約聖書を読まないと理解できない内容になっている感じがするので、やはり「聖書を読む」のであれば両方読まなければならないというのは最近わかった。

 

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僕の最初の聖書のイメージなんだけど、「人はみな平等、良いことをしたら同じだけしてあげること、嫌な事されても良いことをしてあげること、嘘をつくな、ものを盗むな、神を信じろ、そうすれば天国行けるから」みたいな道徳が延々と書かれているのだとおもっていた。

 

ただ実際のところそうではなくて、意外にも「とにかく神の存在を信じる。信じるものは救われる」というのが肝心で、道徳についてあれこれ言う感じではない。少なくとも今読んでいるところまではそんな感じだ。神だって人を殺しまくってるし、「おまえは一生地を這いずりまわって子にも恵まれない」みたいなことを平気で言うし、兄を出し抜いて出世した弟の方を持ったり、結構えげつない。というか、全知全能って言われてるから究極の善意のかたまりっていうイメージがつよかったけど考えてみれば「全知全能」であることと「善意のかたまり」であるということは全く別問題だ。

 

 

神なんてものは基本的には人には見えなくて、ごく稀に神の声をきいた人が信仰を深めて豊かになったりっていうのが聖書の中では日常茶飯事で、それが「信じるものは救われる。」ってこと。聖書がとにかくそういってるからお前らも神は信じようぜ?みたいなことだと思う。そのあたり読んでいると「うみねこの鳴く頃に」のベアトリーチェを思い出したりするんだけど。

 

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たまに家にやってくる「あなたは神を信じますか?」ってあって、僕らは笑いながら「いや...そういうのはちょっと」と苦笑いして追い返すけど、キリスト教信者からすればとんでもないことで、「はい、私は神を信じます」と言わなければ地獄に落ちる。

そういう意味では「あなたは神を信じますか?」というのは効果的な質問なのかなと。

 

 

僕は平気で嘘をつくし、コーヒー等のカフェインが大好物だ。そもそもキリスト教に僕はなんの信仰もない。罰当たりと言われてもクジラやイルカの肉も食べる。

でも聖書を読んでいるとなんとなく世界全体を司っている大きな存在(いうなれば神)みたいなのはいるのかなとも思えるし、宇宙が出来る前が無だとするなら、そこから有はどうやって作ったんだって考えるとどうしても何かしらの意思の存在を仮定せざるを得ない。なんて考えている。

 

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聖書は全世界でベストセラーを記録した2000ページにもわたる神と人が織りなす壮大なファンタジーであり、一番多くの言語で翻訳された本であり、一番最初に印刷された本でもある。宗教とか信仰とかいう前に、この先社会人として生きていくにあたって、一度くらいは聖書というものを通読してみるのもいいと思ったに過ぎないというのが正直なところだ。

 

その先の信仰に関しては、それから考えればいい。

 

 

 今日で100個目の記事を書きました。読んでくれてありがとう。

これからも宜しくお願いします!