襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

あなたは今生きているか?

 

 

いやにモテる人たちがいた。

それは、異性にモテるということに限らず、とにかく"人"にモテる。

 

彼らは気遣いが半端ないとか、自己犠牲の賜物とか、良いヤツだったとかそういうものじゃなくて

 

いうなれば"生きる力"のようなものを体中から発散させている人たちだったように思う。

 

「あなたの生き方は、どのくらいで生きるつもりの生き方ですか?」という言葉があった。それを聞いてとにかくぞくぞくした。忙しい忙しいと言いながら、もちろん本当に忙しいのだけれど、その忙しい時間の中でも自分はちゃんと自分の人生を"生きている"のだろうか。と自問してしまう言葉だった。

 

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黒澤明の「生きる」という映画を観ている。

主人公の男は三十年弱も市役所でコツコツ働いているのだけれど、彼は"生きていない"。ただいたずらに時間を無駄にしているだけで、自分の時間を生きているわけではないのである。それは忙しいとかヒマとか、そういう次元の話ではない。忙しかろうがヒマだろうが、その日一日一日をどのくらいの覚悟で生きているのかという問題なのだ。

 

 

主人公は胃がんを知らされて、半年も生きれないということが判明する。彼の人生はようやくそこから始まるのである。主人公は今まで地道に真面目に働いてきた退屈な人間だったので、「どうせ死ぬのだから」と色々足掻いてみる。深酒をしてみたり、夜遊びをしたり、ギャンブルをしてみたり。それでも一向に死への恐怖は収まらない。

 

 

 

 

僕たちは必ずいつか死ぬ。死ぬくせに、明日は死なないと思っている。そして明日がくると、また明日も死なないだろうと思う。それを繰り返して、明日が来ない日は必ずやってくるのだ。人生は長い時間だけれど、結局のところそれをほどけば1日の連続にすぎず、つまり人生をきちんと生きるには"今日"をなんとかしなくちゃいけないのである。そして冒頭に戻るけれど、驚くほどに人間的魅力を放っている人というのはとにかくまぶしい。

 

 

 

自分の人生を一生懸命生きることで精一杯で、目の前のことを全力で楽しんだり、笑ったり怒ったりする。そういう人はひたすら魅力的なのである。

 

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デッサンをするときに光を表現するには、影を意識しなければならない。同じように生きることについて真剣に考えるならば自分の死について向き合わなければならない。人の死とは検討がつくくせに、誰だって自分の死については考えようとしない。

 

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なんだったっけ。たしかちょっと前に臨床カウンセラーの有名な女性がいて、何十年もの間死に至る人の傍について、愛を語り、生きる力について力説していた方だ。不治の病の人間でも彼女の話をきいて希望を持ち、残り少ない人生を精一杯生きたという。ファンも多くて毎年すごい量のファンレターや感謝の言葉が届いたそうだ。

 

ところが。そのカウンセラーが脳梗塞になって、死に近づいた。その途端手のひらを返したように性格が変わってしまって「愛なんてばからしい!」みたいなことを言うようになってしまったという話だ。その女性にこそ臨床カウンセラーが必要なのかもしれないけれど、実際のところそういう仕事についている人でさえ自分の死については無頓着なのだろう。

 

 

スティーブジョブズが毎日自分の死について考えたように、毎日「今日一日を死ぬ気で生きれただろうか」と意識するのは難しいけれど、少なくとも僕は毎日布団に入る時に強烈に死を意識する。

 

眠る事は死ぬ事に似ているし、そういう意味では僕たちは毎晩死ぬ予行練習をしているようなものだ。今日の自分が死に、明日の自分が生まれるのだ。

 

 

そういう意識で毎日を「積極的に」生きると、途端に生きるのが楽しくて楽しくて仕方がなくなる。

 

 

 

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人に捧ぐ。