襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

初めての教会(下)

 

前回(初めての教会(上) - 襟を立てた少年)は無宗教キリスト教とは無縁だった凡人が教会のミサに行くことになるまでの経緯と、教会に入って座るまでを語った。

 

 

続きを書く。

いよいよミサがはじまる。するととなりの初老の男性から古びた布カバーの本をまわされた。勢いで受け取って一冊とってとなりの女性に回す。回してくれた初老の男性はいかにも神父っぽい出で立ちで、つまり黒くて清潔な衣装を身にまとい、首から十字架をさげていた。(あとでわかったけど教会側の人間だった。)僕は彼に「シンプー」という名前をつけることにした。

 

 

 

さらに言えば僕が本を回した隣の女性も明らかにハードなクリスチャンで、頭に白い透けた布を被せ、やはり黒い清潔な服装で、っていうかもろ日本人じゃないじゃん。なんだこれ。



僕は彼女に「モロ」という名前をつけた。

 

 

最初に挨拶みたいなことをした。席を立ってお互いに「神の愛を」(いやこんな言葉じゃなかった。でもわすれた)みたいなことを言いながら四方八方に挨拶をする。

シンプーとも挨拶をして、モロとも挨拶をした。モロは明らかに僕を警戒していた。

 

 

 

 

回された本は教会のレンタル本で、布には十字架の刺繍が施してある。「いや、聖書持ってるよ」と思って本を開いてみるとそれは聖書ではなくて「讃美歌集」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

うたうの?!?!?!?

 

 

という衝撃が僕の中に走った。歌うのは、だって歌うのはミッション系の幼稚園の子とか、あるいはガチクリスチャンの聖歌隊とか、神父とかじゃないの?え?おれも歌うの?無理だよ

だっておれ久保田利伸ミスチルしか歌えない......

 

 

僕の動揺をよそにいよいよミサが始まった。

最初の歌があるらしく、「どのページだよ....無理だよ....どうせおれなんて....」と九九を最後まで暗記できない子供のような泣きべそ一歩手前の僕の2m前方に簡易電光掲示板のようなものがあり(野球の得点ボードみたいな)、そこに「テ 295」とか書いてある。

 

その通りにページをめくるとなるほど歌詞と楽譜がある。

 

「こんな風に大勢で楽譜を手に歌うのいつぶりだろうなー」と思いながら聖歌を歌った。僕は楽器の知識がほとんどないので当然音符を追える筈もなく、その時奇跡的に芽生えた瞬間的な天才感覚をヒントに音程を合わせて歌った。

 

そのあとは歌じゃなくてみんなで「しゃべる」みたいなので、「われわれ人間の罪をお許しください」みたいな内容の言葉をしゃべった。結構長い文だったけどみんな丸暗記していた。ある人は手を合わせてうつむきながら、ある人はまっすぐ前を見てはきはきとしゃべった。こればっかりは天才的な感覚を持った僕でも無理だった。

モロはすごい堂々と喋っていた。おれより日本語うまかった。

 

 

 

......信仰がない

 

神を信じるとか信じないとか、そういう分かれ道にもいない。

 

信仰に対する教養がない、それをいいことに「神なんていないよ」と決めつけて無宗教を決め込んでいる自分

 

 

なんとなく恥ずかしかった。

 

確かな信仰を持って誠実に教会に通い、神への言葉を暗記して口にする人の中で僕は口を結んで、恥ずかしくて俯いたままだった。

 

 

 

それから歌ったり喋ったり。

そのあと司祭が出てきて(外見はふつうのおっさん)聖書の言葉を語り始めた。司祭というだけあって言動が堂々としていて、大きな聖書を前に優しく聖書を読み解く姿は確かに只のおっさんと呼ぶのは恐れ多いと思った。僕は彼を「マックス」と呼ぶことにした。

 

今回はキリストが死刑になって埋葬されたあとに、キリストの弟子ペトロが墓場にキリストの遺体がなくなっているのを発見して

 

 

 

 

 

 

「遺体INEEEEEEEッッ!!!」

 

と言うシーンだったが、聖書は通読したのでそれがヨハネによる福音だとわかったし、そのあとの使徒言行録の話にもついていくことができた。

 

聖書を読み聞かせてくれるだけなら、ぼくとしては自分の聖書があるわけだしそんなに利益ないじゃん帰ってDSやろー、って感じだったんだけど、そうではなくて司祭が聖書に関して「これは旧約聖書にこういう記述あって」とか、「このときマリアは」とか説明と考え方を教えてくれて非常に勉強になった。

 

聖書の知識がなくても話を聞いてれば物語なわけだし理解できるし、勉強になるだろうなと思った。後ろの子供は寝てた。アーメン。

 

 

そのあとはキリストの一部を受け取る(?)というような儀式で、このあたり不勉強で本当に申し訳ないのだけれど、「これはキリストの分けられたパン」と言われたパンと「これはキリストの分けられた葡萄酒」を言われた葡萄酒が登場した。

 

で、お並びくださいというアナウンスが流れた。「キリストの一部である食物を受け取ってください。洗礼(ちゃんとした入信の儀式)を受けていない方は「祝福を与えて下さい」と司教様に申し出て下さい。」

 

それでみんな列をなして僕もそれに加わった。かなりの人がいて、並んでいない人や食物を受け取り終わって席についた人は聖歌をうたった。「神はしょくもつを平等に下さる」みたいな歌だった。

 

列に並んだ人に対してマックスは順番に食物(かっぱえびせんみたいな、あれなんだろうな。ちっちゃいせんべい)を渡していた。聖杯から食物を取り出して、額にあてて「キリストの体」と唱えてからクリスチャンに渡すのだ。僕と同じように洗礼を受けていない人もいるようで、その人は「キリストの祝福」という言葉と共に頭の上で十字架をかかれた。

 

かなり前のほうに並んでしまったので僕の順番はあっという間にまわってきた。あっという間にっていうのは列に並びながら僕が「あ!あ!あ!あ!あ!」と連呼していたわけではなく、あくまで叙述的な言葉のあやである。

 

 

僕の順番がやってきてマックスの前に立つ。やばい結構緊張する。

「し 祝福をください」と申し出ると

 

 

 

「キリストの祝福」

 

 

 

という言葉と共に、髪の上を撫でるように十字架をきられた。

 

 

 

そのまま流されるように席に戻った。席に戻ると両隣のシンプーとモロは椅子から降りて跪いて祈っている。自分の罪を懺悔しているのかもしれない。

僕もそれに倣って跪いて祈った。誰のために?誰のためにだろう。

何のために?何のためだろう。

 

その間にも大勢の人が列をなして、祝福を受けたりキリストの体を分け与えられたりしていた。

 

僕はずいぶん長い間祈っていた。今までの「家族が仲良くなりますように」とか「健康でいられますように」とか「絶対合格!」みたいなご利益お祈りじゃなくて、

しかも祈る対象も「神様お願いします!」の神様じゃなかった。

 

 

それから昨日洗礼を受けた11人(うち一人は赤子!)の発表があって、マックスに呼ばれた人は次々席をたってみんなに頭を下げた。「みなさんのおかげで」というように。ここの教徒たちは教徒たちに見守られて支えられて生活してきたのかもしれない。

 

洗礼を受けると聖名をもらえるので、「マリア佐々木芳子」とか「パウロ大久保太郎」とか不思議な音がどんどん聞こえてくるのが新鮮だった。

聖人の名前を持ってくるのが習わしみたい。

 

 

終わった後に、クリスチャンの幼稚園児の女の子からパンをもらった。「キリストの体」のときにマックスが聖水をかけていたパンである。「キリストの体」。洗礼をうけていない僕が貰っていいのかわからないけれど受け取っておく。

 

 

そのあと帰った。全部で1時間40分くらいだった。田園都市線で例えるなら渋谷駅から終点中央林間まで行ってまた戻って二子玉川駅までいくくらいの時間だった。

 

 

何もかもが未体験ゾーンだったが良い体験をした。宗教シリーズの連続記事で複雑な思いをした方がいるかもしれない。明日からはまた普通の記事を書きます。

 

 

この教会体験から1時間後から急激に体調が悪化し39.4℃の熱を出し丸一日寝込んだ時にひたすら十字架の夢を見たのだけれど、まぁキリスト教関係で進展があったらまた何か書きたいと思います。あんまり宗教に偏ると読みにくいだろうからね。

 

 

長くなっちゃったなぁw

(上)読んでいない人はぜひ読んでね!ここまで読んでくれてありがとう。

 

 

 

 

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