襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

司馬遼太郎っぽく「桃太郎」を書いてみた

 

 

美作という地域は今で言う岡山県のことだが、室町以前、この土地はほとんど未開の地といってさしつかえないほどの荒れ地だった。その荒れようは念仏修行として全国を旅してまわった坊主も、この地の手前で足を引き返すほどだった。

人々がこの荒れ果てた山里を

 

「河童の巣」

 

といって恐れたのも無理はないかもしれない。

 

 

その美作の地に、である。

少しばかり開けた土地があった。土地といえば聞こえはいいが、周りの山々のに挟まれ、かろうじて人が住めるという意味でしかない。その土地に、翁とその妻にあたる婆が暮らしていた。この二人は婚姻の契りも結ばぬまま数十年の時を共にしてしまったが、これだけ日夜を共にすれば気心は知れており、夫婦といっても差し支えはない。そもそもこの土地には夫婦のことを噂する村人すらいないのだが。

 

この翁は貧乏な百姓の生まれであり、幼名を「小吉」という。その昔は弓矢の名人として名の知られた足軽であったのだが、村同士つまらない小競り合いの最中に流れ矢で足を負傷してから、こうして人のいない山里で静かに暮らしていた。婆が翁に出会ったのは翁が世を捨てた後であったため若々しい健全な肉体で戦場を駆ける翁のことを知る術もなかったが、無口で無愛想な翁の底知れぬ人嫌いと、時折見せる寂しげな眼は人の争いの世をどこか悟ったような気配がした。

 

「おそろしいひと」

 

と思うこともあったが、口にはせずとも翁の自分に対する情は痛いほど感じることもあったし、長い年月を経てその恐れも次第に溶けてなくなっていった。

 

 

 

そんな妻が大きな桃を一人で担いできたことには、さすがの翁も腰を抜かした。翁が日々の仕事であるしば刈りから帰って半刻も経たぬうちの出来事であった。翁が腰を抜かしたのは、婆が頑に「この桃は川から流れてきたのです」と言い張ったからではない。むしろ美作に流れる川の上流には多少は小さな村々が点在しており、村人の捨てた布や食べ物の残骸が流れてくることは珍しくなかったのである。肥料や田植えの技術が著しく進歩し、農村の人々が少しずつ豊かになり始めたこの時代の大きな特徴といえるかもしれない。

 

 

翁が驚いたのは桃の大きさである。六尺をゆうに超える桃は血潮が通ったように赤々としており、生命の塊を思わせる力強さを感じた。

 

(なんということだろう)

 

翁は頭を抱え込んだ。

 

(この婆は神仏が恐ろしくないのか)

 


 

ところでこの頃は仏教の教えが寺や貴族から民衆に広がりを見せた時期でもある。「念仏を唱える」という考えの起こりが神仏をより近しいものに感じさせ、商人や百姓の間でも極楽浄土や仏の価値観について語り合う機会が増えた時代と言っても良い。当時の仏教の広がりは当時の記録にも残っている。

 

 

 

 

六尺もの桃が脈絡もなく川から流れてくることがあれば、神や仏の化身に違いないと考えても、当時の人からすればむしろ常識的な考えであった。

 

「かような恐ろしい桃はすぐにでも川へ戻したほうがいい」といっても婆は取り合わない。そそくさと納屋から翁が使う鉈を持ち出して桃を切ろうとしている。

 

(気でも狂ったか)

 

翁は急にこの桃が恐ろしくなった。

ところで少し余談になるが、この桃に桃太郎と後世語り継がれることとなる英雄が入っていたという説と、桃を食した翁と婆が桃の力で若返り、その夜を共にして授かった子が桃太郎であるという説があるが、実際のところはわからない。

さらにこの時代の資料はのちの応仁の乱でほどんどが焼け落ち、桃太郎という一介の武士が老夫婦の間でどのような少年時代を過ごしたかもさだかではない。しかし少なくともこの時代に老夫婦の間に桃太郎という浪人が生まれ育ったのは確かなようである。

 

 

 

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今回は文体模写をやってみました。

著名な作家の文体で童話や有名な物語でパロディっぽく書いてみるのだ。いつかやってみたかったんだけどやっぱり楽しかった。反響があれば他のものも是非やってみたい。

 

 

 

 

 

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