襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

自分は何者なのか

 

僕は普段ブログをTwitterFacebookに連携させて公開していて、おまけに毎日1000人もの方が貴重な時間を割いてこのブログに足を運んで下さっているので、何というか、内容はやはり個人的なものと言うより全体的な性質を伴っていると言っていい。



もう少し分かりやすく言うなら、「ほら、僕が前から好きなカフェでさぁ」と言う表現は差し控えて「あるカフェで」と言って誰にでも分かるように表現するように努めている。
それは世の中の99.99999999%の人が僕のことなんか知らないという現状の中で、最低限人様に分かるように話そうという僕の自戒であり、自分なりの常識だという認識が前提なのだろうと思う。
もちろん個人的に感じたことも遠慮なく書いてきたつもりだけれど、それが日記的であったことは一度もない、はずだ。


しかし、よく世の中に聞く「これは俺の主観だけどさ」という前置きはちゃんちゃら可笑しいと思っていて、人間は死ぬまで自分の主観でしか物事を語ることが出来ないし、客観で物事を語るなんてことは人間ごときには無理だと思っている。まぁ僕の主観だけどさ。


「そんなことないよ、サッカーのスコアが4-2なのは客観じゃないか!」という反論が聞こえてきそうだけれど、4-2というのはその人の主観であり、向こうからすればそれは2-4なわけで、結局それは主観に過ぎない。引き分けならどうかって?襟を立てた少年は細かいことは気にしないんだ。



今回の記事はFacebookTwitterと連携せずにお送りしていて、尚且つここまで理屈っぽい最低な内容を長々と書いてきたので、ここまで読んだ人は僕の知人か、あるいはそうでなくても知人になり得るくらいに僕に興味がある人と信じて少し個人的なことを書く。


襟を立てた少年こと僕は、「生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない」を信条とした青年で、相思相愛の恋人がいて、無二の親友を持ち、幸運としか言えないくらい数多くの温かい人に囲まれて幸せに毎日を生きている。

朝起きるとまず痩せすぎた自分の腕が目に入り、「いつか自分は死ぬのだ」と強烈に感じて「こうしちゃいられない」と思って飛び起きる。これが日課だ。僕はかならずこんな気持ちで朝起きている。
そしてそのくせサボったり、怠けたり甘えたりやるべきことを明日に引き伸ばしたり相当だらしがない。


珈琲と冗談を愛し、平日は手紙を書き、休日は写真を撮る。

洗礼は受けていないけれどクリスチャンのように毎日聖書を読み、食事の前にお祈りをする度胸はないけれど神の道を歩きたいと思っている。

好きな季節は夏で、苦手な季節は冬。でも一番好きな匂いは金木犀の匂い。秋はこれまで色んなことがあったから一番感傷的になる。

それから僕は嘘つきで、何度か改めようとしたのだけれどやはり嘘つきで、こればかりはどうにもならない。そもそも冗談というのは道化的な嘘をオブラートに包んだ言い方なので、僕から嘘が離れることはないだろうと思っている。
自分が嘘つきであるということは僕の中でかなり大きなテーマで、僕としても勿論正直でありたいとは思っているけれど、それなりに重い十字架を背負うんだろうなと本気で思ったのは今年の春のことだ。

フランクリン・コヴィーの著書「七つの習慣」に感化されて、自分なりの「ミッションステイトメント」を立てることにした。要は自己の方位磁石のようなもので、現パナソニックの創業者松下幸之助は「素直」だった気がする。


僕のミッションステイトメントは一本の旗と三本の柱から出来ていて、前述の通り最も重要な旗は

「生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人に」だ。


三本の柱は

「いつでも微笑みを」
「STAY GOLD」
「自分にだけは嘘をつかない」

から出来ていて、3つ目の柱については最大限の譲歩だと笑ってほしい。

こういうミッションステイトメントは自分へのレッテルというか、漫画の主人公にでもなったようなナルシシズムに嫌気がさして煙たがる方も多いと思うけれど、僕はこの一本の旗と三本の柱については長い月日をかけて真剣に考えた、僕が死ぬまで守りたい信条なので、今更何を言われても痛くもかゆくもない。


ここまで書いて少しすっきりした。自分が何者なのかこのくらい書ければまぁ上等じゃんと思って安心する。少なくともその辺の自分探しちゃう系の人よりは自分のことがわかってるのだと思えて安堵する。

おやすみなさい。明日からはいつもの記事に戻ります。





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