襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

アンナ

 

大人になってみると、親友という言葉の安っぽさに気恥ずかしさを覚える。

 

ちょうど、子供の頃夢中で集めていたおまけのプラスチックの指輪みたいに、昔はあんなに輝いていたのに、今はその軽さに驚き、呆れる。それも可愛らしく思えるほどに。

 

親友でないくらいの友達、という関係は良い。

変にこちらの事情に介入してくることもないし、かといって困ったときは(そのとき相手に余裕があれば)わりと助けてくれることもあるのだ。25になったアンナは、親友よりも友達という不確定なあり方を信じた。

 

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6月、糸のように軽い雨が止めどなく降り続く火曜日の日に、アンナはカフェで友達と待ち合わせていた。6月の雨は生暖かくて、柔らかくて、こういう雨なら許せるなとアンナは思った。

カフェに入ると葉子はとっくに席に着いていて、静かに本を読んでいた。相変わらず嫌味なくらい様になるなぁとアンナは吹き出しそうになる。

 

「おはよーこ!」と言いながら葉子の向かいの席に着くと、葉子は微笑みながら

「古いなぁ。10年以上前のネタだからね、それ。」と言って微笑んで本をそっと閉じた。「それで人生相談って、一体どうしたの?」

他の人はもちろん、本人も知らないことだろうが、葉子は意外とせっかちだ。特に、楽しみなこととか、友達の話とかはそう。葉子のこういう性格を知っているのはアンナと、同じクラスだった美帆くらいだと思うと少し誇らしい。

 

それからアンナは最近のことを話し始めた。

葉子も知っての通り、短大を出てから読者モデルになって、そこから正式なモデルになってからは色んな主要雑誌に出て結構売れたこと。それから最近になってカメラマンとかディレクターに人形みたいに雑に扱われるようになって、要するに深夜でも平気で打ち合わせの電話がかかってきたり、飛び込みの仕事がいちいち入って来て断れなかったりして、いつの間にか読者の為のモデルのはずがカメラマンやディレクターの為のモデルになってしまったこと。

それに嫌気がさしてモデルを辞めて、今は個人経営のコンビニでアルバイトしていること。

そして先日そのコンビニの隣の呉服屋の夫婦から、和服のモデルになってくれないかと頼まれてしまったこと。その答えを、渋ってるいること。

 

葉子はいちいち相づちなんか打たずに静かにアンナの話を聞いていた。こちらを真っすぐ見つめる凛とした目が、話を真摯にきいていることを証明しているようだった。アンナはここまで説明すると一呼吸を入れて、出されたカフェオレをぐいっと飲んだ。

 

「それで、紀ノ宮様に助言をいただこうかと思って」と言ってアンナが仰々しく頭を下げるポーズをする。「なによそれー」と葉子は呆れたようにため息をつく。

家の関係で葉子には苗字がない。それでいじめられるっていうのとは違ったけれど、中学の頃はそれで敬遠されてた日々がついこないだのことのようだった。

 

そして今、葉子はプロのピアニストになって、アンナはモデルになった。いや、ついこないだまではそうだった。

でも今は違う。それでもそれに劣等感とか嫉妬を感じずに済むのは、相手が葉子だったからに違いなかった。葉子は昔から気品があって美しくて...負けても仕方ないやと思ってしまう。学校の先生的にはそれじゃいけないのかもしれないけど、実際に大人になると、「この人になら負けてもいい」っていう相手がいるってことは良いことなのだと思う。アンナがモデルの世界の第一線を生きて知ったことのうちの一つだ。人はいつか必ず誰かに負ける。だから、勝つだけじゃなくて負けることも知らなくちゃならない。

 

 

「それで、アンナは引き受けようか断ろうか迷っているわけね。」

 

「うーん、でも断ろうと思ってて。私は引退したわけだし、競争に逃げて負けたのに、競争しなくて良いところで活躍しようって思ってる自分がいるみたいで嫌なのよ。そういうの。辞めたならやらないっていうのが潔いって思うの。」

 

「それは嘘よ。」と葉子は鋭く言った。

いや、語感は柔らかかったが、何だかアンナには刺さった。

 

「断ろうと思ってる人はわざわざ人に相談しようとは思わないわ。相談するってことは、誰かに否定して欲しいのよ。あなたは断りたいって心から思っているかもしれないけれど、それでも誰かの"でもやってみたら"って言われてみたいのよ。なんて。私はそう思うけれど。」

 

「そうなのかなぁ。でも絶対やりたくない!っていうなら相談なんてしないものね。

.....でも私は本当にどうしたらいいのかわからないの。隣の呉服屋さんの夫婦は近所付き合いとかもあって、だから最近売り上げが伸び悩んでいて、考えた末に広告をつくろう、って思いついて私に相談したことも知ってるの。

 

あの二人は私がモデルだったなんて知らないだろうけどね。ファッジもアンアンもノンノも外人のアイドル歌手か何かだと思ってるような人たちだもの。

 

慣れないアルバイトで困ってたときに助けてくれた人たちだし、私だって力を貸してあげたい。でも、ここで簡単にモデルを引き受けて、それじゃあ私の過去の決意は何だったの?だってそうでしょう?モデルっていう仕事に愛想を尽かせて、華やかな仕事の汚い裏側を隅々まで見て来て"もういや"って逃げてきたのに、そのあとでそういう汚いところを取っ払ったちょろい仕事は引き受けて私は自尊心を満たすの?そんなのちゃんちゃらおかしいじゃんって思うと、私は引き受けられない。」

 

 

葉子は微笑みを保ったまま机の上のコーヒーカップに視線を落とした。長い睫毛の影が頬に落ちる。あんたこそモデルやりなさいよ、と言いたくなる。一度も染めたことのない一つ結びの黒髪や、柔らかいカーブを描いたような眉毛や、考え事をしているときに真一文字になる薄ピンクの唇を見てふと思った。葉子は今も昔も美人だったのだ。

視線を落とした葉子の雰囲気は、アンナの言ったことを咀嚼しているというよりは、答えは最初から出ていて、それをどうしたら正直に、誠実に伝えられるかを考えているようだった。

 

 

「正解なんてきっとないのよ。」と葉子が話し始めた。

「正解がないのに、どっちが正しいかで考えているからアンナは答えが出なくて苦しいんだと思うわ。

ねぇ、アンナ。大人になると、答えがないものなんていくらでもあるわね。

セーラームーンは正義の味方だったけど、本物の戦争に正しいも何もないもの。正義と正義が対立しているから戦争って難しいのよ。

 

恋人とのいざこざも、自分がこれからどういう人生を歩むのかも、何を正しいと信じて生きていくのかも、それは最後になって誰かが「よくできました」って花丸をくれるものではないのよ。

 

だから、迷った時はどっちが正しいかでもどっちが得かでもどっちが為になるかでもどっちが大人っぽいかでもなくて、

 

どっちが自分らしいかで決めるのよ。

それを決めていく連続した道のなかで、私たちはより自分自身になるのよ。

 

それは、"どんな自分でありたいか"という問いに対峙することでもあるの。

少なくとも、私はそうやって生きてきたの。」

 

葉子は此処まで話し終えると、長く喋りすぎたことを恥じるようにコーヒーを一口飲んだ。アンナは何だか葉子の言葉が素直に腑に落ちていた。それは、葉子がそういう生き方をしてきたことにすごく納得がいったからだ。

 

「より自分自身になる」というのは不思議な響きだった。 

そういえば昔葉子がピアニストになると宣言したのを聞いて、アンナがびっくりしてもし駄目だったらどうするの、と不安になって尋ねたことがあった。

 

「いいの。これが私が決めたことだから、あとは私が精一杯やるだけなの。」

と葉子がきっぱり言ったことをアンナは思い出していた。葉子はずっとそうやってきたのだ。それが葉子にとっての正しさだし、葉子なりの自分の人生に対する態度だったのだ。そしてその態度が、葉子がどんな自分になりたいかを必死に考えた末の決意だったのだ。

 

 

「葉子はすごいね。なんか敵わないな」とアンナは悔しそうに、でも清々しく言った。

葉子は頭を振って「アンナだってすごいよ。ちゃんと精一杯悩んで答えを出そうとして...。私は格好をつけて、いつも堂々としたふりをしているけれど、本当は悩むところを面倒がって端折ってるのかもしれない。今日アンナの話を聞いててそう思ったの。アンナは私が持ってないもの沢山持ってるよ。」

 

葉子が私をそんな風に思っていたとは、とちょっと気恥ずかしくなる。

「苗字も持ってるしね」とアンナが笑うと「今の傷ついた!」と胸を抑えて葉子はもっと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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