襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

このままずっと会社員なのか



22時過ぎに会社を出た。

ビル風が頬に冷たいが、これから少しずつ春がやってくる。
明日は「雨水」という日だ。24節気のひとつで、雪が雨に変わる季節の始まりというわけだ。次の節気は多分「啓蟄」で、これは虫が暖かさにつられて土から虫が出てくる季節を差す。「啓蟄の雨」という言葉もあるくらいだ。



僕は一生会社員なんだろうか。

毎週平日に出社して働いて退社してお給料を貰うのだろうか。家と会社をひたすら往復し続けていると「これをずっと続けるのか」と思う。それは仕事の面白さや大変さとは関係なく、ひたすら続けることに対する恐怖みたいなものを感じてるのだと思う。実に子供っぽい、と自分でも思う。



同僚が「早く土曜日来ないかな」「まだ水曜日か」と言ってるのを見て、「こうなったらおしまいだな」とはっきり思った。

だってそうだろ?嬉しい土曜日が来て、日曜日が去ったらまた月曜日なんだぜ?それを繰り返して繰り返して、定年する。
休日だけを楽しみに仕事をするなんて、きっと虚しい。


じゃあ仕事を楽しみに生きるのが幸せなんだうか?僕の先輩は仕事をばりばり頑張っていて、肩書きもついて、給料も多くもらって、みんなに信頼されている。毎日9時くらいまではいつも働いていて、努力を欠かさない。

素晴らしい人生だなと思うけど、それはきっと彼にとっての幸せであって、僕にとっての幸せはまた別なんだろうと思う。



僕にとっての幸せはなんだろう。お金儲けしたいし、信頼されたりちやほやされるならしたいと思う。でも僕はそれより好きな人に万年筆で手紙を書いたり、広い空の下を散歩する方が好きだ。


でもそれは子供のわがままで、みんなそう思いながら働いてるわけだから文句を言わずに働けというのが社会の言い分なんだと思う。でも、僕は常人の50倍くらい好きなんだ。





子供の頃、自分は特別なんだと思っていた。人とは違うし、もう少しすれば誰にもなし得ないことが出来るようになると本気で思ってた。
大きくなって失望したのは、自分が特別なんかじゃないと気づいたことではなくて、みんな小さな頃はそう思っていたということだった。それで、「ああ本当に特別じゃないんだな」と思った。



それで、特別とか才能じゃなくて、自分の好きなことに耳を澄ませることにして、なるべくのびのびと好きなことをしてきた。小学校の担任の先生が「彼はアイデアマンです」ほ誉めてくれたから色々なことを考えてはつくった。つくることが好きだから美大に入った。写真が好きだからカメラマンになった。コーヒーが好きだからカフェの店員にもなった。デザインが好きだからデザイナーになった。



社会人になったら、もう卒業式も入学式もない。区切りがどこにもなくて金太郎飴みたいに無作為に延々と道が続いているのに、終点に来てしまったみたいだ。




シアトルではランニングが日課だった。毎朝五キロくらい。7月のシアトルは天国だ。暑いのにサラサラしていて、麦畑の間の舗装されていない道が延々と続いている。
でもずっと続いてるわけじゃないんだ。試しに10キロ走ったら行き止まりだった。「dead end」という見たこともない標識を見て、黙って引き返した。引き返しながら「走るのは好きだな。でも走ることを仕事には出来ないな。じゃあどうしたら良いのかな」と思った。繰り返すけど僕は子供っぽいんだ。










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