襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

性悪説で一気に楽になった

 

 

対人関係については随分悩んだ。いじめっぽいこともされたし、無視されたり喧嘩したり、誰かを嫌ったり嫌われたり裏切られたり、あるいは思わぬところで友達ができたり、恋をしたりして、多くのことを学んだ。本もいろいろ読んだ。

 

対人関係において僕はある程度もう答えが出ていて、最近ではほとんど悩むことがない。かなり煮詰まってきている手応えがある。

 

 

僕の持っている世界観を一言で言うと「性悪説」だ。

人間は産まれながらにして悪人であるというのがこの考え方になる。逆の考え方は「性善説」。けっこう前の記事でも触れたけど、仏教は性善説キリスト教性悪説と考えるとわかりやすいかもしれない。

 

 

人は生まれながらにして悪人だと思う。また、それと常に対決して、親切をしたり人を愛したりするのも人間だと思っている。決して絶望したり斜に構えているわけじゃないんだ。

 

人は、美しい 果物や野菜、悠然と生きる獣や魚を殺して食べる。あげく、排泄物やごみにして体の外に出す。確か、ブッダも美しい女性を前にして「糞尿の詰まった肉の塊」を見たという話にも通ずると思う。

生きていれば人を妬み、羨み、欲望も止まらない、面倒なことはしたくない、でも自分のことは認めて欲しい。されたことは忘れるくせにしてあげたことばかり覚えている。誰だって悪人だと思う。

 

 

でも断っておきたいのだけれど「だから誰に何されても文句は言わない、だってみんな悪人だから」っていうのは全然お門違いだ。それはまだまだ善人の考え方だ。

 

悪人は悪人なのだから、分相応に謙虚に生き、またせいぜい少しでもましになれるように日々努力をするべきだと思う。親鸞歎異抄でも「自分が善人だと信じている善人よりも、自分が悪人だと気付いた悪人のほうがよっぽど良い」ということを言っている。

 

ここまで書いて本気で眠くなったので寝る。

おやすみなさい