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襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

食について僕の思うところ

 

 

親友と恋人は食に関する造詣が深いようだ。

食べるときは本当に見蕩れるくらい幸せそうな顔をしているし、料理も一生懸命つくっているようで輝いて見える。

料理ができる女の子ってすばらしいし、料理ができる男ってかっこいいよな。

 

それと比べて僕は食に関して造詣が浅い。

二人と比べると尚一層、本当に自分は日本人なのかってくらい浅い気がしてくる。

料理なんてほとんどしたことがないし、調味料とか旬の食材とかも一般人に比べても無知に近いのではないかと思う。

 

 

親友と恋人が(この二人は顔見知りだ)料理や食べ物に関する話をしていると置いてけぼりを食らったような気持ちになって、まぁ野球のときもそうなんだけど(野球に関しても無知に近いのだ)料理のほうがまだお前なんとかなっただろというか、自分の努力不足のツケがまわってきているような心持がして居心地が悪い。誰のせいにでもできないからなおさら厳しい。

二人が僕のために料理をつくる企画をしてくれたとして、まぁこれは今想像して思ったことだからあれなんだけどそこには料理人と客っていう明確な差があるわけで、悔しい思いをするだろうと思う。それなら役に立たないなりに参加して僕だって役に立ちたい。体験を共有するってそういうことだろう。

 

 

料理は嫌いではないけれど(嫌いになるほど近い立ち位置にいない)苦手意識はある。そりゃ読んでりゃわかるだろうけど。昔付き合っていた女の子も料理が得意で、「こんなのだって本に書いてあるとおりにやれば出来るでしょ」って不思議そうな顔をして言われた事があって一層苦手意識が出来てしまった。

 

逆上がりが出来ないときにほかの人に「こうやってやればいいんだよ、ほら、簡単だよ、やってみようよ」と言われるほどに、悔しいやら恥ずかしいやら拗ねたくなるやらいじけたくなるやら、なんなら「別に逆上がりができなくたって死なないし!」って言い捨ててその場を逃げ出したくなるのと気持ちはよく似ている。

 

努力不足(不足というよりは枯渇だけど)を棚にあげるならそういうことがあって今の僕がある。

 

そりゃ僕だって料理できるようになりたいと思うよ。これからだって置いてけぼり食らうのはつまらないし悲しいから。でも恥を捨てて一回だけいじけて良いのだとしたら、たとえばレベルの高い皆が大車輪とか大技を練習して盛り上がったり笑ったりしているところから少し離れたところでうんしょうんしょって逆上がりするのってちょっと惨めなんだ。苦手なことに関して語るときは余計がきっぽさがでる。はーあ。

 

 

前に宇多田ヒカルの旦那だったCG映画を作ることを生業にしていた何某っていうのは食に関する関心がまったくない人間で、夜ご飯は非常食みたいなどろどろしたものに栄養剤やらをミキサーで混ぜて飲んでおしまいだった。食事時間5秒。

そういうのを見ているとやっぱり僕のほうがどうやら食に関する関心はあるようなので、まぁ前述のいろいろもやもやした気持ちもあるわけだし料理とかしてみたいなってちょっとだけ思っている。