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襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

宗教とデザイナー

 

 

「あぁ、こんなこともあるのか」と思って背もたれに寄りかかった。

夜の会社は電話もならないし、とても静かだった。重い月曜日の残業。

 

 

 

タイとの仕事だった。バンコクで行われるイベントのとあるデザインに取り掛かって8時間以上が経っていたのだけれど、予想もしていない壁にぶつかっていた。

 

 

タイと言われて何を想像するだろう。

トムヤンクン?ゾウ?海?夜店?それとも寺院だろうか。

 

建築としてタイらしさを表現するのであれば、やはり寺院だろうと思った。ソフトクリームのてっぺんみたいな形の屋根や、半円が連続したような軒やカラフルな彩りを意識してデザインを進めた。ほぼほぼ完成が近づいて上司からストップがかかった。

 

宗教問題。

仏教と言っても国と地域によってそのあり方はまちまちだが、寺院に施してある形やテキスタイルは当然様々な意味を持っている。同じ仏教徒でも「あの印が施してあると他宗派だから自分は認められない」という理由でイベントに来られない人もいるという。

デザイナーが軽い気持ちで仏教のシンボルやファクターを抽出して転用したらどんなことになるのか。実際どうかは別として、寺院のような宗教色の濃いもののデザインを模すということは極めてリスキーで、軽率な考えだったのだ。

 

 

日本においては無宗教の人が多いだけでなく、宗教においてもかなり制限が緩い国であるので、例えば島根県ゆるキャラにしても出雲大社の形を抽出しても大した問題ではない。

 

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出典:http://www.jalan.net/theme/yadolog/jiman/jiman_0002158236.html

 

 

これが例えばキリスト教圏で十字架だったり鉤十字だったりすると大変な問題になる。

9.11テロの折にも、貿易センターの瓦礫の中に奇跡的に残った鉄骨がたまたま十字架の形になっており、大変な話題になった。その鉄骨の十字架には消防士の服の燃えた切れ端が溶けてへばりついていて、これを平和のシンボルとして残そうというような風潮もあったようだが、"宗教上の理由"によって破棄されることとなった。その十字架はもうグランド・ゼロにはなかった。

 

これが日本人の自分(という言い方をすると責任逃れになるが)にとっては大きな問題として意識を持てず、今回のようなミスにつながったのだ。先方に投げる前に上司が見つけてくれて本当に良かった。

 

 

上司が今回注意してくれたのは

 

・国旗をいじるな

・宗教色は注意しろ

 

という二点だったのだけれど、いずれにせよかなり意識が薄かったものだったので勉強になった。「象でも載せときゃいんだよ」と上司は励ましてくれたのだけれど、まだもう少しタイ案件との格闘は続きそうだ。