襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

梅雨は準備の季節

 

 

雨といえば大学の教室前の広場を思い出す。外で煙草が吸えないので屋根のある広場で喫煙者大学生が群がるのだ。2013年製の雨のカーテンに遮られた煙草の煙は行き場を失い、象の夢みたいに広場の景色を灰色に染めた。

多くの大学生が授業を終え、中華料理屋の厨房みたいになった広場を足早に過ぎていく。煙草の税金が上がってどうのと文句を言っている連中は、大学に煙草税を支払えばいいんだと言ったら就職相談のおっさんが笑った。

 

雨の日の煙草はうまくない。湿気っているのだ。新品の煙草も雨の日にはすぐに駄目になってしまう。それは一度使い切った茶葉で淹れたお茶だとか、氷が全部とけて透けてしまいそうなくらい薄いオレンジジュースによく似ている。吸っても満足できないから広場が余計に曇るのかもしれない。あるいは、彼らは本当はスケボーをしたり原っぱでお昼寝したかったのかもしれない。とにかく雨の日は誰だってくすぶる。煙草を何本吸ったってどうにもならない類の閉塞感だ。

 

 

旅行に行く気もなくなるし、予定していた遊びがキャンセルになる。雨の日はおとなしく家にいるか、カフェでゆっくりコーヒーを飲みながら大切な人と大切じゃない話をしたり、あるいは大切じゃない人と大切な話をしたりだとか。映画館に行って映画を見るのも良いし、本屋をまわって買うはずじゃなかった本を買ってみるのも良いかもしれない。雨はやりたいことができないからやりたいことが良く見える。晴れたときにそれをちゃんと思い出せることが大切なんだ。

 

前に書いたけど雨が好きだった。雨は本質を表象させる。雨の日には遠くが見えないけれど、それが止んだ時に思いがけず遠くが見えたりする。そういう感触が好きだ。

 

インドアも得意だから行ったことのないカフェやバーを探したり、雑誌を読んだり音楽を聞いたり、興味もない映画を観に行って思ったより感動したり、妹の愚痴をきいたりする。季節にはその季節の楽しみかたがある。「梅雨はいやだね」って言い合える人がいて、それって素敵じゃんって思えるような価値観は忘れずに持っていきたい。

 

 

 

 

 

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