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襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

僕の頭の中をなるべく具体的に書き起こしたら「あなたは変だ」と言われる理由が少しわかった

 

 

現場に向かうためバス停に並んだ。11月になって夜はとても冷え込む。

 

僕の前に母親と娘が並んで楽しげに話している。

見た目と言葉で「アメリカ人かな」と僕は思った。母親はすらりと背の高い綺麗な人で、3歳くらいに見えるふわっとした金髪の娘と日本と英語を混ぜこぜにして色んなことを喋っていたので娘はきっとハーフなのだなと推測する。

「アイリス、あんまり道路に寄ったら危ないよ」というようなことを母親が言った。海外でも子供に花の名前をつけるのか、と勝手に感心する。(ところでアヤメという女の子はいそうでいないのはどうしてだろう?)花の名前を持つ女の子は淑やかで強い。

 

そんなことを考えているうちに僕の後ろに父親と息子という組み合わせがやってきて並ぶ。息子は5歳くらいに見えた。頭を丸刈りにしていて、野球のボールを投げる素振りで暇を持て余している。雰囲気からして、あからさまに金髪のアイリスに興味を持っているように感じられた。僕は心のなかで彼をカツオと名付けた。

 

バス停の並び順としてはアイリス親子、僕、カツオ親子という具合だった。菖蒲と鰹に挟まれて僕はさしずめ山椒だな、などと訳のわからないことを考えているとようやくバスがやってきた。少しずつ列が動きだす。

 

「ねぇパパ、ハーフのガイジンってどーやって日本語と英語を使い分けるの?」とイワシ、じゃなかった、カツオが父親に質問する。少し大きな声だったし、子供特有の気遣いのない物の言い方に僕は少しアンニュイな気持になる。

 

アンニュイ。

 

ガイジンとかガンとかショウガイとかギャランホルンとかゴキブリとか、濁音にはどこかトゲトゲした雰囲気が含まれている。タイヤはころころしていて可愛い音だが、ダイヤはやはりギラギラしている感じがする。金はするするしているイメージだが、銀はジャラジャラしている。ゴキブリだってせせらぎ、みたいな名前だったら愛されたかもしれない、と『重力ピエロ』の登場人物が言っていたのを思い出す。

 

そもそも外人などと言う考え方が長年鎖国をしてきた島国独自の価値観に相違なく、中国人でもアフリカ系でもフランス人でも「ガイジン」で一括りにしてしまうこの言葉が僕は嫌いなのだ。自ら視野の狭さを見せつけてまわっているような恥ずかしい言葉だ、ガイジンなんてのは。

 

僕はカツオと、「そうだねガイジンさんは相手が喋った言葉と同じように返すんじゃないかな」なんてことを嘯く父親に興味を失い、アンニュイな気持ちを払拭するために今見ているアニメのことを考えることにした。

 

そのアニメは(少し前のアニメなので実際はとうに終わっているけれど僕の中では)ちょうど最終話への最後の戦いが起こっている最中で、しかも僕の好きなキャラクターが接戦の末に絶命してしまったものだから先の展開が気になって仕方がないのだ。主人公というだけでとりあえずは死なずに済む主人公ってやっぱりずっこいよな、と僕は思った。アンニュイな気持ちはまるで夕焼けが必然的に夜空色になっていくみたいにセンチメンタルな気持ちに変化した。

 

バスに乗り込む。バスは比較的混雑していたので、列の並びのままつり革につかまる。つまりは僕は山椒だった。

もしバスに「センチメンタル割引」みたいなのがあったら僕は今頃どうなっていただろう。たぶんどうもなっていなかっただろうと思う。





「ねえ、今日は保育園でひじき食べたの」とアイリスが言う。「そうなの」と母親が相槌を打つ。それ以外にどんな返しが出来るだろう?

 

"子供は今日あったことを親に報告することでその事実を思い出として反芻する"""自分の話したことを親に受け止めてもらうことで子供は自分の存在を再認識する"と本で読んだ言葉が思い浮かぶ。大人にしたって皆自分の言ってることに耳を傾けて貰いたくて必死なのだ。

 

ところでひじきのことを考えなければならない。「ひじき食べたの」に対する、高度でセンスのある回答とは。ひじきを食べたという極めて客観的な事実報告があるのみで、例えばひじきが美味しかったとか、やっぱりひじきは苦手だとか、多かったとか少なかったとか、いやそもそもひじきだけ食べたとは考えにくいだろうから、いろいろあった昼食の具の中でひじきだけが記憶に残ってるってどういう状況なんだよ、いやむしろ本当にひじきだけを茶碗一杯に盛って食べたのかもしれない。などと考えていたらバスが出発した。

 

バスの運転手が傘の忘れ物をしないようにと注意をアナウンスする。「いや、僕折り畳み傘派なので」と声を挙げたらきっと運転手が困ってしまうので、ひじきに集中することにする。

 

「ひじき食べたの」

「そう、ひじきはカルシウムが牛乳の12倍なのよ」

 

こういう返しは良く見受けられる。主題に関連したなんらかの知識を披露する返しだ。でも僕はこういう返しはあまり好きではない。「すごいね物知りだね」と言って鼻の頭を掻くかもしれない。白状すると僕はよくこの返しをしてしまうのですごく反省している。相手より物知りなのをわかって貰いたくて一生懸命な感じが、浅はかなのだ。

 

「ひじき食べたの」

「じゃあ山菜ソムリエのエジキね」

 

なんて訳のわからない返しをしたら、アイリスの知能指数が下がってしまいそうである。僕のようにいつも言葉尻を引っ掛けて遊ぶような襟を立てた吟遊詩人になってしまう。

 

カツオが父親に妖怪ウォッチの話をあれこれしている。僕は子供の頃「ポケモンが好き」に対して「知ってる知ってる、ピカチュウでしょ。おじさん詳しいんだ」と近寄ってくる大人たちを憎んだが、今では「知ってる知ってる、ジバニャンでしょ」と得意げに言ってしまいそうで赤面する。「ミルモでポン!ミルモと声優さん同じだよね」くらい言うのが関の山だが子供に声優の話をするのは着ぐるみの中を晒すようで、サンタの正体を暴くようでタブーな感じがするではないですか。

 

右がひじきで、左がジバニャンなら、さしずめ僕はめざしである。

めざしがアルカリ性だったら、海の水は少しは塩辛くなくなるかもしれない。

 

 

「あなたは何を考えているのかわからない」と昔の恋人に言われてきたし、今になっても言われがちなので普段考えてることをなるべくプレーンに書いた。

 

 

 

ちなみにめざしはつまりイワシの干物なので、カツオとは一切の関係がない。

 

 

おしまい