襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

動物園の動物はかわいそうなのかどうか


動物園にいる動物が果たして”かわいそうなのかどうか”について考えていた。
このブログの中で何度もご紹介している通り、新明解国語辞典では何版でも”野生の動物を捉えてきて飼い殺しにする娯楽施設”と痛烈に批判している。




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それで僕としては「エッあのシマウマって毎回サバンナから連れてきてるの?!」ってびっくりしちゃうんだけど実際のところどうなんだろうか。みんな動物園でうまれてるんじゃないの?だからこそ中国からパンダを買ったとかそういうのがニュースになるわけなのでは。

そうすると「元の大自然に返してあげよう」というのもおかしな話で、彼らはそもそも大自然を知らないわけだから、突然大自然に返されたとて「エッここどこっすか!餌は?!雨風しのげる屋根は?!ライオンとの間にある柵は?!」なんてパニックになってしまうかもしれない。っていうか死ぬんじゃないかな。パパとママも動物園にいることだし、外敵がいることもない。餌も苦労せずとも手に入る。理想の環境だと思う。
檻の中は窮屈かもしれないけど、常に飢えているサバンナの動物たちは動物園の動物たちを羨むんじゃないかなと思う。


そもそも動物は「生きていく」ことに興味があるのであって、自分が「幸福か」「そうでないか」なんてことに興味はないと思われる。かわいそうかどうかというのもまた人間の勝手な判断であり、勝手に閉じ込めて勝手にかわいそうというのもある種滑稽だ。



だがしかしBut!!


僕は動物園反対派としてちょっと意見を添えるのである。
いや、反対派のわりには全然動物園とか行くし、むしろ楽しんでるんだけど、賛成か反対かといえば、反対として。


動物園というものを「かわいそうか」「そうでないか」で考えるからおかしなことになる。そうじゃなくて、「自然か」「そうじゃないか」で考える。




不自然。


不自然は是正されなければならない。
もう病気で死ぬはずなのにチューブに繋がれて薬漬けでぎりぎり生きている老人。
小学生なのに学校帰りに遊びもせずに塾に通い詰める小学生。

そして、実際はサバイバルしながら生きていくべきなのに、安全圏で餌を享受し続けるような所に閉じ込められた動物たち。






安全圏で餌が出続けることって果たして幸せといえるのだろうか。


例えば、僕やあなたの人生で「これ以降一生嫌なことが起きないスイッチ」があったら押すだろうか。僕は絶対に押さないだろう。障害もふくめて僕の人生だし、それを乗り越えることに意味があるから。



チーターに走り回る環境が無かったり、シマウマに逃げる機会がなかったり、ライオンが飢えていなかったり、」ハイエナが肉を奪わなくても良かったり。


動物園では動物たちが種として実に不自然な振る舞いを強いられているように思える。
障害がないこともまた、不幸なのかもしれぬ。



おしまい





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