襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

文章が書けなくなりました。どうすればいいですか。

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140文字以内に収まる文字の連続を「つぶやき」とするならば、それ以上の文字数で語らえるものについては「文章」と呼ぶべきだと思う。近頃文章が書けないことについて文章を書こうと思う。

 

例えば、今僕にはいくつか題材がある。「病欠した会社員が公欠扱いされる為に頑張るおはなし」や、「ポートフォリオを作り直し中」や、「新人デザイナーの僕が会社で徹夜して気づいたこと5」など。そのうちのいくつかは下書きに3行だけ書き散らしてあって、それから先は手が進まない。どうしてしまったんだろうと自分でも思う。

 

僕がずっとずっと続けていることは3つある。

「文章を書くこと」

「写真を撮ること」

「走ること」

 

形は変われど、この3つは曲がりなりにもずっと続けてきた。文章を書く作業は日記帳から原稿用紙になり、Moleskineになり、ブログになった。

写真はニコンコンデジからスタジオカメラマンになり、中判カメラになった。

走ることは陸上部からジョギングになり、ロードバイクになった。

その「続けてきた」という主観的事実と、事実に基づいた個人的積層が建築の梁みたいに僕を支えてきた。はずだ。

 

三脚のように、"その"柱は3点によって支えられなければならない。前述の、僕が続けてきた"表現"・"保存"・"前進"の3つの行為のうち、どれかを失えば失った方向に倒れると思う。少なくとも僕はそういう風にできている。

 

 

僕が文章を書けなくなった理由2つを推測したのでここにまとめておく。

 

 

 

1.本を読まなくなったから

 

ほとんど"全く"読まなくなった。その代わり大量の映画を見るようになった。今月は2日に1本のスピードで映画を観ている。新しい文章のインプットがなければアウトプットは枯渇する。文章というものから遠ざかりつつある自分を感じるのだ。

 

 

2.日記を書かなくなったから

 

家と会社の往復が続くと特別書くこともなく、また頑張って抽出しようとするとどうしても仕事の業務連絡ノートのような内容になってしまって読み返しても面白くない。ほぼ日手帳に関しても同じで、最近は白紙が目立つ。素振りをしなくなったことでバットを振っても球に当たらなくなったようなものかもしれない。

 

 

 

「じゃあ本読んで日記書けよ」という話なのだけれど、なかなか時間もとれずそううまく運ばない。この件について進展したらまたご報告します。

 

 

 

読んでくれてありがとう。

 

 

 

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