襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

今読んでいる本が面白くない場合

 

次読む予定の面白そうな本が列をなして待っているにもかかわらず、今読んでいる本が面白くなかった場合の焦燥感、倦怠感は筆舌しがたい。

 

それは例えば新発売の漫画本を買うために外へでかけて、急いで改札に行ったら前の人がもたついてちっともホームに迎えないときの苛立ちに似ている。かもしれない。

 

だったら今読んでいる本を諦め放り投げて、次の本に取り掛かるか、あるいは今読んでいる本をとりあえずは横においといて、面白そうな本に取り掛かるとかすればいいと思われるかもしれないけれど、それもそれで弊害がある。

 

つまり癖になる。

現に僕の部屋にある本で「途中まで読んでやめててしまった本」はけっこうある。別に本を読んでいてつまらなかったら辞めていいというルールを自分に与えてしまうと、自分が面白いと感じるものしか読まなくなる。単純に娯楽であればそれで人生事足りるだろうけど、幅広い思慮知識を蓄えるためにいろいろな本を読みたいぞ、という人におすすめできるやり方ではない。

服で例えるなら赤が好きだからって赤やピンクやオレンジばかり着るようになって、ちょっと青みがかってたりしたら着ない、なんてことをしていると服に偏りができるし、食生活に関しても概ね同じことが言えるのではないか。

 

 

 

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

 

 

ことに今つまらないと感じているものが、一般的に高い評価を得ている場合は注意が必要だと思う。高い評価といってもこの場合に僕が言っているのはきちんと時間の洗礼を受けて生き残っているレベルでの高評価ということ。具体的に言うと僕が今読んでいる本は「森の生活」という本で、前々から気になっていてこないだようやく手にして読み始めているのだけれど内容がもたついていて説教じみていて苦しい。

 

著者が森で生活する中で考えたことが綴られているのだけれど、森に入るのは上巻の真ん中あたりで、それまでは「経済」という章で延々とあれはいけない、これはいけないと雄弁に語っている。

 

かたや。でござる。

 

 

羊と鋼の森

羊と鋼の森

 

 

本屋大賞を受賞した「羊と鋼の森」がkindleで出ている。

始めて本屋で発見したときは「村上春樹の"羊を巡る冒険"と"ノルウェイの森"を連想させるタイトルだな。ただ村上春樹が出すにはタイトルが直接的すぎるからどこかしら影響を受けた作家さんなのかしら」などと思っていたら本当に「村上春樹小川洋子の作風を併せ持った作家」みたいな売り出しをされていて興味を持った。それってどんなん?面白いの?

そしたらアマゾンレビューも高評価じゃないですか。

「この人の美しい日本語をもっと読んでみたいと思った」とかなんとか言っちゃったりして。kindleでポチっとやれば読めるんですけどね。

 

 

 

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

 

 

ところが僕が今読んでいるのは森の生活<上>。

憎いぞウォールデン!いや、ウォールデンは悪くないか。いや、冒頭部分が長いだけある種責任の一端はあるかもしれぬ。ただこちらもアマゾンで高評価を得ている以上あまり強く攻め立てることはできない。確かに作品に対する感じ方というのは千差万別なので一概に全体の評価で作品のよしあしを決定づけることはできないが、指標にすることはできる。記念碑にはならなくても目印にはなるのである。

 

おまけに森の生活は<上>なので、ここで放り出した場合森の生活<上>が本棚にぽつんと置かれることになる。半分読んだ上巻ほどみじめなものはない。

 

 

仕方がないから森の生活に戻る。いや、新しい本をいっきに読んでしまって、それから森の生活に戻れば良いではないかという考えも浮かぶ。でもそのときにはもう読む気なんて失せて、もう次にはまた新しい本に夢中になっていることだろう。

 

 

 

羊と鋼の森

羊と鋼の森

 

 

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