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襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

目的を明確にして手段の精度をあげようぜ

 

そもそも論ってときには大事だけどやりすぎると良くないよって話をします。

 

例えばたまに、というか頻繁に「ブログ書くの面倒臭いな」とか「このブログって続けることにどのくらい意味があるんだろうか」「自己満足なんじゃないかな」とか考えちゃったりするんだけど、そういうときは「そもそも論」に立ち返って、「じゃあそもそもどうしてこれを始めたんだっけ?」って考えてみると、「もともと文章をもっとみんなに見て欲しいんだったんだ!」「そうだ、それなら書きたいように好きに書こうじゃないか!」という具合に原点に返ることができるんです。こういうのは、仕事とかトレーニングとか語学学習のような継続性の求められるものに対して効果を発揮する。

 

なんで仕事してるの? →お金稼ぐため、スキルアップのため

なんで筋トレするの?→理想のボディに近づくため、健康のため

なんで勉強するの?→将来のため、自分のため

 

これをもう少し掘り下げるとさらに目的が明確化して、モチベーションが純化するし間違った手段を使わなくなるからいいとおもう。

 

なんで仕事してるの?

 

について言えば、「お金を稼ぐため」「スキルアップのため」という2つの軸でできているのだとすれば、後者を忘れて「お金さえ稼げればいいよね」という考えだけに傾倒した場合、人は楽な方に流れる生き物なので「いかに定時内にやりたくない仕事をできるだけ避けて楽に帰るか」が目的になってきてしまう。そうするとそもそも論的には後者の目的が果たせずに間違った方向へ進んでしまうことになる。

そもそも論がしっかりと構築できていれば、あるいはコンスタントに思い出すようにしていれば、「そうだ自分はお金を稼ぐためだけじゃなくてスキルアップのために仕事をしているんだった。それじゃあ周りの人の技術をもっと教わらなくちゃな」という具合に必要な方向に進むことができる。

 

ここで

 

なんで仕事してるの?→スキルアップため→

 

なんでスキルアップしたいの?→成長してもっと規模の大きい仕事をやるため

 

という具合にそもそも論を掘り下げるとさらに目的が明快になって良いと思われる。

ただし、ここでちょっと冒頭の話になるのだけれど、これをあんまり掘り下げると大抵の問題は「何のために生きているのか」に落ち着いてしまうので注意が必要。

 

よほどの賢者かストイックな人間じゃない限り何のために生きているのか、に対して明確な答えは持っていないと思うので、ここで行き詰まって日常に支障をきたしてしまっては元も子もない。

 

 

だからそもそも論は掘り下げるほどに目的が純化して手段の精度が増すからおすすめだけどやりすぎると分母がでかくなって困ったことになるよ。ってことを言いたかっただけなんですけど。