読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

作文のリハビリ

 

前回の記事からずいぶん間が空いてしまったので、リハビリ的な文章を書いておく。

部屋にはジョアン・ジルベルトの"Desde que o Samba E Samba"が流れている。女性が「しーっ」というポーズをしているジャケットのCDの1曲目だ。

曲名からすると明るいダンス曲のように感じられるかもしれないけれど、実際には全然違う。おっさんがひたすらつぶやき続けるような暗くて優しい音楽である。僕は胎児のときからこの音楽を聴かされていたので、24になった今でもこの音楽を聴くととても落ち着く。

 

 

JOAO VOZ E VIOLAO

JOAO VOZ E VIOLAO

 

 

 

今日は月曜日なので会社に行った。そしてけっこう理不尽な原因から発生した仕事に追われて21時まで会社に居残った。帰りの電車では地震があった。

車両の中にいるすべての乗客のすべての携帯電話が一斉に緊急地震速報の、あの忌まわしい警報をけたたましく鳴り響かせて車両内の空気を一気にクールにした。

ところで僕の携帯は沈黙を固く守っていて、画面の上の方に小さく「地震発生。地震に備えてください」と出てくるのみであった。この携帯は僕のことを守ってくれないのかもしれないなと僕は思った。

 

音楽はいつの間にか"Desafinado"になっていた。

今回はこの文章を読んでくれている読者に対して伝えることは(驚くべきことに)全くなくて、ひたすら僕が文章の書き方を思い出しながらリハビリする様子を眺めているのが読者の仕事ということになる。リハビリには少し文章が足りないのでもう少しお付き合い戴く。

 

それにしても、これまで良くテーマも決めず、記事内の一貫性もなくここまでブログを続けてきたなと我ながら驚く。みたいな書き出しをしようと思ったけれどよす。そんなことを言い出しても仕方がないし、弁解を求められてもいないのに言い訳を語りだすのはダサいやつがすることなのだ。そういうわけで僕は違う話をする次第である。閑話休題

 

 

先日父親と大菩薩嶺を登っている途中に自分のことについて考えていた。登山ほど自分について考えるのに向いている行為はないと思う。右足と左足を交互に出して前に進む。しかもそれは傾斜になっていて体に負担をもたらす。それをわかっていながら山頂を目指して、山頂を目指す理由も本当はうまく説明できないーそういう雰囲気が、考え事に向いているのだと思う。

とにかく自分のことについて考えていて、突然凄まじいフレーズが頭に浮かんだ。頭に浮かんだというか、そのときのイメージを正確に表現するのであれば「落ちてきた」とか「突っ込んできた」というほうがより近しい。

それは果たして「自分を一行で説明するなら」というテーマだった。どうしてそんなことについて考えていたのか思いだせないのだけれど、とにかくそのテーマで恐ろしく自分にぴったりのフレーズが「突っ込んできた」ので忘れないようにここに書いておく。

 

 

「聞き分けが良いのに自意識が強い」

 

 

というのが僕自身を一言で表現した文章である。

これは、もう山を登りながらも「これはすごいことを思いついてしまったぞ」と思った。これは「自意識が強いのに聞き分けが良い」でも確かに意味は同じなのだけれど、前者のほうが自分にぴったりな感じがする。

浮き石に気をつけながら岩場の斜面を登りながら「そうか、おれは聞き分けが良いのに自意識が強いのか」と何度も思った。これは本当に感動的な出来事であった。

 

ここで「聞き分けが良い」ことと「自意識が強い」ことって要するにどういうことなのか、僕にはおそらく説明責任が発生しているのだけれど、残念ながら僕はリハビリをするために今回文章を書いているのであって、自分のことを深く説明するために文章を書いているのではない。上記2つの説明については責任を先送りにしておき、今回はここで筆を置くことにする。

 

 

曲はとうとう最後の"Chega de Saudade"になってしまった。

おかげで良いリハビリが出来た。

今日も読んでくれてありがとう。