襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

売ります。赤ん坊の靴。未使用

 

先日近所の川沿いをランニングしていたところ、ゴミ集積所に何か金色に光るものが見えた。足踏みをしながら歩を緩めてそれを見ると、粗大ごみのゴミ袋に入れられた、それにしては立派な"こどもの日の鎧兜"であった。

 

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壊れるか、あるいは著しく汚れるか何かして捨てることになったのかな、と思いながらランニングを再開する。でもそれにしては綺麗だったし、兜だけの安物ならまだしも鎧もついたある程度ちゃんとしたもののように見えた。

 

子供が大きくなったり、置き場所に困ったりしたのであれば中古で売りに出せば値が付くかもしれないし、近所に譲ることだってできただろう。なんというか雛人形しかり鯉のぼりしかり、文化に根ざした縁起物を粗大ごみで出すというのはどことなく不穏な感じがしてしまう。

 

 

 

 

 

ーひょっとしたら不幸があったのかもしれぬ

 

と僕はふと思った。

不幸があって鎧兜がいらなくなった。いらなくなったからと言って事情が事情だから人にあげたり売ったりする気にもなれない。(有川浩著『阪急電鉄』の小林駅で出てくる花嫁のような心境)

 

 

 

上記のような思いつきが出るきっかけになったのがこの記事のタイトルにもなっている「売ります。赤ん坊の靴。未使用」という一文だ。

一文というか、小説。

 

正確には

 

For sale: baby shoes, never worn.

 

というものだ。もっとも短い小説で6単語のみで構成されているという特徴を持っている。内容は赤ん坊の靴を売っているのに未使用ということは、前もって準備していた靴が履かれずじまいだったことを意味している。かなり物悲しいお話だ。

 

ちなみにこれのパロディが存在していて、「売ります。ベビーカー。未使用」というのがあって、これは子供が生まれると思ってベビーカーを用意していたら双子だったので、一人用のベビーカーが不要になった、というもっと明るいストーリーになっている。

 

 

 

最初の方のはヘミングウェイが「六単語で小説がつくれるか」という賭けをした際にテーブルのナプキンに書いた小説である。こういう極端に短い小説のことを(ショートショートよりも短い)フラッシュ・フィクションと言われる。

 

 

ところで冒頭の鎧兜だけれど、6月のシーズンになって捨てられたということはきちんとその役目を終えて、それから捨てられたのだと推測する。きっと少年は青年になって、鎧兜の魔よけを必要としなくなったのだろう、と僕は僕なりに一人合点して足を速めた。

 

 

 

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