襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

子宮移植初の申請へ これって倫理的にアウト?

 

短めに自分用のメモ程度に書いておくよ。

 

子宮移植 初の申請へ 

 病気などで子宮がない女性に、妊娠・出産を目的に第三者の子宮を移植する子宮移植の臨床研究を、慶応大のチームが2017年内に学内の倫理委員会に申請する方針であることがわかった。

 海外では出産例もあるが、国内で実施されれば初めて。

 子宮移植は赤ちゃんを得ることが目的で、心臓や肝臓の移植のように本人の生命維持のためではない。

 このため、倫理委員会や関連学会の承認を得て、先天的に子宮がない「ロキタンスキー症候群」という病気の女性を対象に3年間で5人に移植する計画だ。子宮は母親など親族から提供を受ける。将来は子宮頸(けい)がんなどで子宮を失った人も対象になる可能性がある。

 

news.yahoo.co.jp

 

 

昨日の読売の一面になった記事だ。日本では代理出産(他者の子宮を利用して自分の子供を産んでもらう)が認められていないので、子宮移植に注目が集まっているそうな。

 

腎臓や心臓の移植ケースは命をつなぐための行為なので今まで当たり前のように研究されてきたけれど、子宮を移植するために健康な体にメスを入れるとはどういうことなのか、安全面・倫理面などから議論を期待する...みたいな感じで記事はくくられていた。

 

確かに子宮移植って倫理的に考えるとOKなのかNGなのか微妙なところだと思う。

このことについて考えるために僕は2つのケースを 仮定してみた。

 

A バスケの試合で勝ちたいからと長い足を移植した人

 

B 生まれつき心臓が弱く長く生きられないので心臓を移植した人

 

Aはわかりやすくするために状況を仮定したら結構ばかばかしくなったんだけど、説明すると「健康だが人生の充実のために体にメスをいれる人」のことだ。

これは僕個人としてはNGだと思っている。つまり、倫理的に。これはデザインチャイルドの話にもつながってくるかもしれないんだけど、二重瞼のプチ整形や韓国で流行っている腹筋にシリコンを入れて本物の筋肉に見えるように手術する、というような例もこれに並ぶ。

人は誰しも完璧ではない。背が低い人、毛深い人、骨が弱い人、目が見えない人...ただ、それを「補う」ような医療が今以上に充実してくると、"完璧"じゃない人は「不完全は出来損ない」というレッテルを貼られるような社会になってしまうのではないか?

生まれつき病気をせず、背が高く適度に痩せていて、頭が良い美男美女が世界中に溢れて、それにあやかれない・あるいはその体制に疑問を呈して受け入れなかった人は迫害される−そんな世の中になったら嫌だなぁ。

それで今書いた話は子宮移植と同じ系統の話でしょうか、それともBのように社会的必然性をもって治療を推奨されるべきことなのでしょうか、っていう二択なんだよね。

 

こういう倫理的なものに関してはきっと正解はないので、極めてグレーな結論しかありえないといえばありえないのだけれど、現に子供を産みたくても産めない、子宮移植を臨んでいる人が待っているわけで。そのためにもぽんとどちらかをきめてしまうのではなく、「十分な議論が必要」なのだというわけだな。

 

おしまい

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