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襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

手段として親に相談してみる理由

 

将来こうしたい、この先こうしたいと考えている。

みたいな自分の人生における大きな舵取りを決めたとき

(あるいは悩んでいる時)僕は親に相談することにしている。

 

という言い方をするとどうしても「許可を取る」ようなニュアンスに捉えられがちなんだけど決してそういう意味ではなく、「物事の決めた方」の手段のひとつとして親に相談するのは有用だという話をしたい。(一応常識として親には相談すべきだ、みたいな文脈もあるだろうがここではそういう話はしない。)

 

 

親は自分の分身である。

 

というのはちょっと滑稽な表現で、遺伝子のコピーという背景がある以上実際には「自分は親の分身である。」という文脈が本来正しい。ただ今回は主体が自分なので便意的にこういう書き方をしてみた。

僕という人間はパパ半分ママ半分から出来ているので、僕という人格は父親的な要素と母親的な要素によってベースが出来ている。そこから外的要因や環境による影響などがカオスに影響を及ぼして現在の自分の人格が出来上がるわけだけど、

 

親に相談する。

という文章を先程の「親は自分の分身である」を代入すると「自分の分身に相談する」という言葉が出来上がる。親に相談するというのはある意味自分の分身に相談するということなのかもしれない。

と最近思うようになった。

 

なぜ分身に相談する必要があるのかという疑問がわくかもしれない。分身に相談したいなら勝手に自問自答して悩めばいいじゃないかと。

 

 

しかし、何かしらの相談事を持っている人というのは行き詰まっていたり思い込みや刷り込みによって身動きが出来なくなっている場合が多い。

その場合必要になるのは自分以外の誰かであり、しかし自分のことはよく知っており、さらに自分に似ていて、人生経験の豊富なひとに聞くのが一番だ。

 

その対象としてベストなのが親なんじゃないかというのが僕の意見だ。

 

親は自分より何十年も歳をとって経験を積んだ分身なのである。

相手にどんなことを言われても、それが自分と半分は同じ遺伝子で出来ている人生の先輩からの言葉であることに変わりはない。

そういうわけで僕は親に相談することを重要視している。それは決断を親に委ねるということでは全くなく、むしろ何か突き抜けたことをやるためには親(自分の分身)を納得させるような材料を用意して見せることが大切だ。

 

親を説得できるかどうかというのは僕にとって相談内容が正しかったかどうかの大きな判断材料になっている。

 

 

おしまい

 

 

 

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