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襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

「高齢者がいらっしゃるので席を譲って戴けませんか?」だなんて言うべきじゃないんだ。それは結果的には偽善で、傲慢な発言だったんだ。

今週のお題「ゴールデンウィーク2017」

 

エリックカール展に行ってきました!が、

本日の本題はそれではなく。

 

 

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座る女性、立つ老人

展示からの帰りはバスを利用した。GW中のバスですからね。

けっこう混んでるわけですよ。運転手さんも「奥に詰めてください」というアナウンスを何度もして、僕と連れも何とか優先席前の吊り革を確保してバスに揺られていた。

 

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そうこうしているうちにバスが○○病院前に停車。ただでさえ混んでるのにまだ乗るのかよ~とげんなりしながら何とか新しい乗客のスペースをつくる。

そしたら、高齢者の夫婦が乗ってきたではないか。見る限り80歳とか90歳くらい?

杖とかはついてないけど足元はおぼつかない。僕と並んで優先席の吊り革につかまる。優先席を譲ってもらいたがっているようにも見える。(あるいは全くそんなつもりはなかったのかもしれないが。)

 

そんな状態を優先席の女性は知る由もない。

このバスは優先席が進行方向を向いているため、一度座席に座ってしまうと真横を向かない限り高齢者が視界に入らないのだ。

女性は30歳くらいの見た目で、かばんにエリックカールのキーホルダーをつけていた。展示の帰りなのかもしれない。ちょっとうとうとしたり、考え事をしたり、暇そうにしていた。

 

高齢者に席を譲ってあげればいいのにー。

と僕は少しムッとして思った。バスが交差点に差し掛かって大きく左折する。吊り革にしがみつく高齢者が少しよろける。僕は耐えかねて連れに「あの人、席譲ってあげればいいのにね。」と言ってみた。「ほんとだよね。」という返事を期待していたのだが、実際に返ってきたのは「でも妊婦かもしれない。」という言葉だった。

 

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でも妊婦かもしれない

正論だった。冷や水を浴びせられたような気分になった。

妊婦かもしれない。

足に障害を持っているのかもしれない。

バランス障害を持っているのかもしれないー。

 

障害のほとんどは目で見ることができない。

高齢者であったり松葉杖をついていれば誰でもわかりやすい。「あの人は障害者だから」と譲ることができる。しかし、目に見えないが社会の助けが必要な人・優先席で席を譲られるべき人だって大勢いるはずだ。目の前の女性は、健常者か障害者か、それは誰にもわからない。そしてそれを確かめる権利は僕にはないのだった。

いつの間にか僕は、赤の他人である高齢者と赤の他人である女性の間に入って、勝手に裁判官の真似事をしていたのである。「健常者ですか?障害者ですか?健常者なら立ちなさい!」なんて言うわけがないが、ただ僕はそれに限りなく近い意識でバスに乗っていたことになる。そのことが恥かしかった。

 

handicap.somalisoa.com

 

 

 

 

高齢者を特別視するのはおかしい?

僕は高齢者を見かけて「ほら誰か席譲らなきゃ!」とバスを見渡したわけだが、こういう僕の価値観もあるいは偏っているのではないだろうか。その高齢者は本当に席を譲ってほしいのだろうか?それもわからずに勝手に正義の側に立って善人でいようとしている僕はひょっとしたら間違ってるのではないか?これは傲慢なのだろうか?

 

高齢者にしても確かに病院から乗ってきたものの、本当に立つことが出来ないのであれば車椅子に乗っているだろうし、現に今杖もつかずに吊り革につかまっているのである。彼らはすごく健康で、ひょっとしたら昨日は登山でもしていたのかもしれない。第三者の僕が入って「ほら僕がこの女性をどかしてあなたの席を用意しましたよ!席をどうぞ!」と微笑みかけることで気分を害したり、気を遣うことだってあり得る。これは善意の押し売りになる。

 

電車で席を奪い取ろうとする老人に対し、若者が放った言葉が突き刺さる! | Buzzmedia(バズメディア)

 

上記のケースでは、登山帰りの高齢者が電車に乗ってきて、席を譲らない若者に嫌味を言った時に若者がブチ切れたーというものだったが、若者のセリフにはハッとさせられた。

 

「あんたたちさぁ、山は歩ける

 のに電車では立てないの?

 それっておかしくない?

 遊んできたんだろ?
 
 こっちはこれから仕事に行く

 ところなんだよ。

 だいたいさぁ、俺みたいな

 ヤツが土曜日も働いて

 あんたたちの年金を作って

 やってるんだって分かってる?

 俺があんたみたいなジジイに

 なったら年金なんてもらえなくて、

 優雅に山登りなんてやって

 いられないんだよ。

 とにかく座りたかったら

 シルバーシートに行けよ」

 

確かにその通りで、痛快ですらある。

もちろん僕のケースだと高齢者は病院帰りなので状況は異なるけれど。

 

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まとめ

結局僕は何もしないまま立ち続けた。高齢者は途中で降りて行ったし、優先席の女性もどこかで降りて行ったと思う。ただもはやこの際、あの女性が妊婦だったか、障害者だったかというのは問題ではないのだ。問題は僕の意識と今後のふるまいである。

 

今回の「優先席の女性、その前に立つ高齢者、それらを裁く僕」において、

僕には2つの反省があった。

 

①優先席に座る女性を健常者だと決めつけた

これは我ながら罪深いと思った。別に今回は何も起こらなかったので誰に責められるわけでもないけれど、僕は勝手に自分自身を罵った。一見健常者に見える人がいたとして、どうしてその人が健常者だと断定できるだろう?

例えば今回僕が「あなたは健常者なんだから席を譲ったらどうです?」といったニュアンスのことをソフトに言ったとしよう。それでもし女性がバランス障害だった場合彼女は非常に気分の悪い二択を迫られることになる。席を譲る場合、自分に障害があるということを告げずに何とか体を起こして席をたち、高齢者に席を譲るだろう。そして苦労しながら何とか吊り革につかまり、目的地に早く着くことを祈るだろう。席を譲らない場合、彼女は自分が見た目ではわからないが障害者で、席を譲るのが困難であることを僕に釈明するだろう。さらに高齢者に謝罪するかもしれないし、証拠として障害者手帳を取り出すかもしれない。いずれにせよ僕の"クソ勘違い正義感"によって彼女が嫌な気持ちになることは間違いない。

僕の無知さは、そういう危険性をはらんでいる。無知な正義って怖いよね。

 

②第三者でありながら人を裁こうとした

席を譲るか、譲らないかというのはあくまで高齢者と女性との間の問題であって、第三社の僕は彼らとは何の関係もない。にも関わらず僕は彼らのことを知りもしないで、ただぱっと見た印象で片方が高齢者、片方が健康で若い女性に見えたから一方的に「あなたは彼に席を譲るべきだ」という意見を持ったのである。

正義の側に立っていれば安心だ。周りを見渡してイメージ的に間違っている人を指さして裁いていれば「良い人」でいられる。知らず知らずのうちに僕がそういう立場の人間になっているのがショックだった。

「ほら誰か席譲らなきゃ!」という意識というか個人的な規範が既に傲慢だったのかもしれない。

 

これが僕が席に座っていれば話はまた変わってくる。その場合僕は当事者だからだ。まだ全然動きようがある。ところが今回僕は第三者でありながら、高齢者と優先席の関係性に勝手な正義を持ち込んで干渉しようとしたので、それが個人的に反省だな、と思った次第だ。次からは気を付けようと思う。

気づかないうちに自分が正義の側に立って人を裁かないように。

傲慢さを持たないように注意深く生きたいと思ったのであった。

 

 

 

 

 

 

ericcarle2017-18.com

 

エリックカール展は最高だった。

おしまい