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襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

どのくらい前までの発言なら責任を持てますか?

連続する主体

 

さきほど読者の方が「今遡ってアンディさんのブログを読んでいます!今2016年1月まできました!」というので、びっくりして「読むのはちっとも構わないが、そのくらい古い記事だと僕はもう責任を持てない。」と返した。そして自分で言っておきながら「おや」と思った。

どうして僕は自分で書いた文章なのに責任が持てないんだろう?

 

 

いつから責任を持てなくなるのか

 

例えば、

「昨日やるって言ったのにやってないじゃないか!」と憤る上司に

「いや、昨日は昨日の自分なんで...今日の自分に言われましても」と返したら、きっと頭がおかしいか馬鹿にされていると思われるに違いない。

 

しかし一方で、

「3年前は紅茶に砂糖入れてたじゃないか!」と言われたら

「それは3年前の自分だからね。今は違うんだよ。」と返すことができる。

 

こう返しても僕は正常だし、相手もごく普通の返事として受け取るだろう。

これは要するに、昨日の自分は今日の自分と続いているが、3年前の自分は今日の自分とは続いていないということなのではないか。という問題提起に繋がる。

 

最近の自分は連続しているが、

過去の自分は独立している。

 

という言い方もできるかもしれない。

つまり、ある程度古い自分は「他者」として考えることが出来るかもしれない。ではどこからが自己で、どこからが他者なのか。

 

6年経ったら他人説

一般人なので学術的なことは全く言えないんだけど、スタバで寛いでいるいち凡人の妄想として挙げさせてもらうのであれば、6年たったら他人だろうな。と思う。根拠は細胞の新陳代謝だ。人体は37兆以上の細胞で出来ているが(うち2/3は赤血球だそうだ)、それらは6年くらいあれば完全に入れ替わってしまうらしい。細胞が入れ替わるんだから人間としても更新されるはずだ。だから6年たったら、他人。という考え方。

 

でもだめだなー。この論理だと基本的に人は6年以内の言動に責任を取らなくちゃいけなくなる。でも実際には6年前は昔すぎる。5年前に何に憧れて、何に夢中で、何に腹を立てていたかなんて思い出せない。時間は流れていくし人は忘れるのでそれでいいんだけど、僕みたいにブログを続けているとそうはいかない。冒頭の読者みたいな方が遡って「アンディは2015年12月11日にこう言ってたのにおかしいじゃないか!」とか言われたらやっぱり困る。つまり現に僕は2年前の自分にすら責任を持てないのだ。

 

そういうわけで別の論理を持ち出すことにした。

 

4ヶ月経ったら他人説

4ヶ月経ったら他人です。ひゅう。これは結構良い線いってるんじゃないか?根拠は心臓だ。心臓の細胞は4ヶ月で作り変わる。心を入れ替える、とか言うだろ。(こういうユーモラスな言い回しは伊坂幸太郎作品によく出てくる)

「お前2ヶ月前は節約するって言ってたじゃないか!」と言われたら「そうなんだよねえ」と自分ごととして責任を取ろうとするけれど、「お前半年前は筋トレするって言ってたじゃないか!」と言われたら「いやそりゃまあその時は言いましたけどね。」とあたかも他人事のように処理できるかもしれない。責任をとらずに済むかもしれない。

 

2週間経ったら他人説

あるいは2週間経ったら他人かもしれない。根拠は水だ。人体の70%は水でできている。つまり体重50kgの人がいたら35kgは水にすぎない。だから日頃とっている水は人の健康に重大な影響を及ぼす。体内の水が代謝されて入れ替わるサイクルは2週間ほどだ。だから2週間経ったら他人、というのはどうだろう。

 

10年経ったら他人説

これは僕はあんまり好きじゃないけどね。法律で自己と他人を考えるのであれば時効という側面から考えるのも面白いかもしれない。例えば借金が時効10年で消滅したとして、それは支払いの責任から解放されたことを意味する。つまり、「支払いを負っている自分」が他人になったと言えるのではないか?

 

 

結論

結論っていうか、仮結論だな。4ヶ月くらいが妥当だと思うのでそう考えることに決めました。だから当ブログに関しましても、4ヶ月いないの記事であれば責任を持つが、それ以上古いものに関してはあんまり責任を持てませんという(笑)

 

 

おしまいー

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