襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

ブログを書くときは何も考えない

 

よーし、今日もブログ書くぞぉって思ってパソコンを開く。

今までどんなブロガーになるのか考えながら、下手くそな商品レビュー記事を書いたり、情報記事を書いたりしたこともあったけど、最近は実直に(?)エッセイを書こうという心算になっている。(今ココロヅモリと打ったら"心算"と変換されて「これココロヅモリって読むのかよッッ!」とむちゃくちゃ動揺した)

 

 

他の人がどんな風にブログを書き始めるのかわからないけれど、僕の場合主題も何も考えずに書き始めることが多い。例えば今日この記事を書いている時も「よーし、」と書いてたときにこの後どんな文章になるのかは全く予想がついていない。

そして、予想がついていない時の方が自分が納得のいく記事が書けることが多い。

この感触は親しい友人との雑談の感じに近い。「これからオチはこんな風にしつつこんな感じのことを話すぞ」なんて予測をつけながら喋ることはほとんどなくて、思いつくままに喋りたいことを喋る。そんな感じだ。

3年以上ブログを書いてきてこのやり方が一番しっくりくるのは僕が作家的というより詩的だからなのかな。いや、今の例えはいまいちだな。今のなし。

 

とにかくそういう具合でだらーっと書いた後にとりあえず公開する。公開した瞬間に誤字脱字とかのチェックをする。本来は公開する前にやる工程だと思うんだけど、僕は一度公開してからじゃないと緊張感を持ってチェックができない。後、公開してからちゃんとブログの形になったものを自分で見返すと読者の立場に立って文章を読むことができる。だから公開した後で「この構成あか〜ん!ちょっとタンマタンマ!」と思って慌てて非公開にしてから書き直すこともある。

何かを生み出す人って自分が作ったものを他人の目で見るのってすごくもとめられる技術だと思うんだけど、これってなかなか難しい。自分の子供や家族を完全に一人の人間として評価するのが困難なのと同じだ。

 

 

だいたいこのくらい書くと集中力が切れる。そうしたら一度一番冒頭まで戻って「何書いてきたっけな」と見直す。そうすると無意識にだらーっと書いていた文章がどういう方向に進んでいるのかが見えてくる。そう、僕は文章を書くときは頭を空っぽにして脳に浮かんだものを片っ端から書いているので方向性を自分で自覚することができない。だから途中で立ち止まって自分の文章を見直すことで方向性を「知る」必要がある。これは自分の肩を叩いて「ねえ、今日は何について文章書いてるの?」と訊ねるくらい奇妙な行為だと思う。

 

タイトルは最後に決める。

タイトルを最初に決める作家と最後に決める作家の数を集計したら、まあそんな集計はないのだけれど、半々くらいになるんじゃないかと勝手に思っている。多分決める作家が論理的で決めない作家が感性的な作家なんじゃないかな。僕の場合は先にタイトルを決めることも10回に1度くらいはあるけれど(だいたいそういうのは日記とか実際にあったことをひたすら書く記事であることが多い)先にタイトルを決めてしまうとどうしてもそのタイトルに引っ張られるというか、「途中で思いついたことをガンガン入れてしまったりして脱線して、それが悪くない」みたいな僕の文章の持ち味が活かされない。だからタイトルは最後に決める。最後に決めるっていうか、最後の方に決める。この記事で言えばまさに今考えている。オチを考えつつ(大抵は思いつかないのでオチなしで「おしまーい」とか適当に濁して逃げることが多い)タイトルを決める。頭とケツを最後にパチーンとはめて出来上がりだ。ちなみに今頭の中にあるタイトルは「僕のブログの書き方」とか「文章を書くときの頭の中」とかそういう具合だ。我ながらつまらんタイトルだ。もうちょっとひねれないものか。

 

で、そろそろ締めようと思うんだけどこのときにもう一度全体の文章を見渡して(読み直しているのではなくてボリュームを確かめている)想定していたよりもボリュームを足りない場合は文章を書き足す。ただこのまま続けて文章を書き足すと明らかに蛇足っぽい文章になってしまうので間に挟むことが多い。あとは意外に多いのは頭の方とかね。後から文章に肉付けすると文章全体の風通しが良くなって読みやすくなる。

ちなみにこの文章は一度も書き足しはなしだ。

 

うん、まあそんな感じですけど。オチは今回も思いつかなかったね。

 

 

おしまーい