襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

自分がすごく耳が良いらしいということに最近気づいた

今週のお題「晴れたらやりたいこと」

 

会社から家に帰ってまずやることといえば、屋上に上がることだ。

僕は築40年の木造住宅に住んでいる。床は傾いてるし地震の時はすごく大げさに揺れるこの家の決め手は「いつでも屋上に出られること」だった。

この季節の夜、雨の時間をやり過ごして屋上に出るととても気分がいい。

熱帯雨林のような濃い湿気をシャツに感じながら空を仰ぐと遠くの飛行機の音が聴こえる。それからどこかで鳴いている虫の「リッリッリ」という音も。低気圧に押し出されてゆく大気の音が空を覆っていて、それらが複雑に混ざって夏の到来の予感を感じさせる。

 

こういう話をすると、どうして毎晩屋上に出るのかとよく聞かれる。例えるなら、庭の作物の様子を眺めに行く感覚に似ている。「どんな具合かな」と気になって、毎晩屋上に出てきてしまう。毎晩一歩ずつ本物の夏がやってくるのがわかって胸が踊る。

 

そんな僕のちょっと変わった傾向は、どうやら僕の耳の良さに起因しているらしい。とは言っても、自分の耳が良いらしいとわかったのは本当に最近のことだ。みんなこのくらい聴こえているのだとずっと思っていた。

 

 

 

 

ある時、妹と新宿を歩いていた。

「新宿はうるさいから好きじゃない」というと、妹はそれを車の騒音や、たくさんの人の話し声のことだと思ったようで「でも今はうるさくないでしょう」と返した。でも僕は騒音や人の話し声ももちろんうるさいけれど、その時言っていたのはもっと全体的な音の流れのようなものについてだった。

 

新宿三丁目のあたりは最初から計画されて区画整理された地域ではないので、路地や建物がごちゃごちゃに建っている。そしてごちゃごちゃに建った建物の高さが壁のように高いせいで、空気や音の流れが乱れて無茶苦茶な音になっているのだ。例えば何もない原っぱで手を叩くと、その音はどこにも跳ねることなく(地面は原っぱなのでこれも反響しない)短く途切れる。逆に体育館やトンネルのようなところで手を叩くと四方から音が反射するのがわかる。

これが新宿だと、ランダムに歪んだ壁にテニスボールを投げつけるみたいに無責任な跳ね方をする。しかもやたらと建物が狭く生えているものだからボールは跳ね続けて、掻き乱れた音になる。そういうごちゃまぜの音を聞いていると次第に気分が悪くなってしまう。これと同じ現象が起きるのが地下鉄だ。

地下鉄は空気の流れが非常に特殊だし、音の逃げ場がどこにもないので長くいると気分が悪くなってしまう。悪酔いしてしまう感覚に近い。

 

僕は今閑静な住宅街に住んでいるので音の流れはすこぶる良い。

毎朝自転車に乗って外に出ると、タイヤのゴムの表面がアスファルトと摩擦する音が聞こえる。チェーンが歯車を上を流れて行く音も聞こえる。目の前を歩くサラリーマンの、足を踏み出すたびに擦れるスーツの音が聞こえる。通学中の子供の笑い声は隣の店のシャッターに反射する。それらが全部僕には聴こえているし、全部意識して聴こえている。

 

これから夏がやってくる。

蝉の鳴き声のシャワー。

 

僕はしっかり目をつぶって、それを好きなだけ浴びるだろう。

人の話し声も、室外機の音も、僕の靴音もかき消す音の洪水が今年も僕の街を満たすだろう。それを僕は毎日楽しみにして待っている。

 

 

 

おしまい