襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

人の人格は24歳で決まる

 

何かの文章で読んだので、全然責任を取れないのだけれど、それでもこの文章を書くことに意味を見出しているので書くのだ。

 

人の性格は24歳で決まる。

そのあとは、どんなにショックな出来事があろうが、素晴らしい啓示に出会おうが、骨格としての性格は変わらない。らしい。(科学的根拠もないし、今となってはソースもない。ただ、24歳で決まるという文章を読んで、僕がすごく納得してしまったというだけのことだ。)

だから僕は24歳に満たない若者に対しては「24歳までにたくさんのことに出会って

心を磨こう」みたいなことを偉そうにいうのだけれど、問題は24歳を過ぎた僕たちがこれからどうしたらいいのか、だ。

 

24歳を過ぎた僕たちは「人の人格は24歳で決まる。」に対して、「じゃあもうダメなのかぁ」とうなだれるしかないのか。

そうではない。

少なくとも、僕はそうは思っていない。

 

ここで、僕の大好きなスヌーピーの名言を送りたい。

 

 

 

 

 

 

 

「配られたカードで勝負するしかないのさ」

 

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僕はこの言葉に初めて出会った時に、雷に打たれたような衝撃を受けた。

これは性格だけでなく、自分という存在に関する全てに対して当てはまることで、生まれつき耳が聴こえないとか、一重まぶただとか、肌が黒いとか、滑舌が悪いとか、音痴だとか、同性しか好きになれないとか、毛深いとか、口が悪いとか、せっかちだとか、怒りっぽいとか、そのどれもが、神から配られたカードであり、言葉通り、配られた以上は僕たちはそれで勝負するしかない。

 

 

24歳を過ぎたから(何度もいうけどこの言葉の科学的根拠なんてどこにもないし、嘘っぱちかもしれないが、僕にはやけに刺さっていて、なんとなく信じているだけだ。)

性格は変わらない。これは、ある意味ラッキーだ。歌が下手だから、歌手にはなれない。目が悪いから、ボクサーにはなれない。宇宙飛行士やケーキ屋さんになりたがっていた僕たち(私たち)は、歳をとるにつれてその選択肢が狭まっていく。でも、それで正しい。いつまでも全ての選択肢が用意されていたら、僕たちは目移りしてしまって何者にもなれない。「私にはこの仕事しかないんだ」と覚悟を決めることができない。

 

それと同じことだ。人見知りで、太りやすくて、すぐにサボる癖があって衝動買いを我慢できないあなたは、もうその性質を変えることはできない。でも、変わらないからこそ、つまり手札がわかっているからこそ勝負できるのだ。

僕はマラソンをやるのだけれど、いつもより気分がいいからってペースをあげるようなことはしない。それは僕がずっと走り続けてきた中で、どのくらいで走るとバテてしまうかがわかっているからだ。長い時間をかけて自分の体と対話してきたので、「じゃあその体でどうやって進むのか」ということについて作戦を立てることができる。

 

 

覚悟を決めよう

 

僕たちはもう、多分、総理大臣にもサッカー選手にもなれない。

でも、覚悟を決めよう。誰にでも間違いなく手札は配られている。それは人よりも枚数が少ないかもしれないし、気に入らないカードばかりかもしれない。でも、「配られたカードで勝負するしかない」のだ。

その手札から目をそらさずに、きちんと向き合って、

その体と、その心と一緒に、人生を戦っていこうよ!

 

 

 

おしまい