襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

どうやらものを買っても幸せになれないが、ところで世界中がミニマリストになったら世界は滅びるのだろうか

 

 

 

以前書いた通り、引越しをすることになった。

 

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引越しの何が面倒って、当たり前だけど荷造りと荷ほどきだ。

自分の部屋を見渡してうんざりする。この部屋にやってきた時はこんなにものはなかった。本当に不思議なことだけれど、持ち物は部屋の大きさを上限にして限界まで膨張していく。荷造りを想像する。まずは本だ。勉強の本、漫画、集め出してしまった雑誌...。次に服だ。服は引越しに置いて一番鬼門だと思う。意外とかさばるし、そして重たい。冬服も荷詰めして...ハンガーとかどうすればいいんだろう。

あとは家具か...。僕は家具備え付きのシェアハウスに住んでいたので電子レンジも冷蔵庫も所有していないけれど、それにしても毛布やテーブル、アイロンなどの生活必需品は全て引越しの際に動かさなければならない。

この部屋から、次の部屋までこれらの荷物を運ぶ様を想像する。いやーどうするんだろうこれ。レンタカーとかカーシェアリングを使って運び出すのかな。ここ2階建てだからテーブルとかは抱きかかえて降りるんだろうな...。面倒くさいなー。こんな時カイリキーがいたらなー。考えれば考えるほど引越しは面倒くさく、額の生え際に冷や汗が出て来る。じんわり。

 

あーあ、僕がミニマリストだったらなぁ

 

と呟く。

もしも僕がミニマリストだったら、荷物なんか40秒でスーツケース1個にまとめてぽいぽいぽい〜って引越しできるのにな。あ、全然関係ないんだけど、こないだお客さんと電話してて図面の修正依頼を受けたんだけど、そのお客さんがパソコンを操作しながら電話しているらしく、「あーちょっと待っててね。図面データ開くから...えーっと..これだ、ぽいぽいぽーい。」と言って唖然とした。俺がデータ開くときと同じ効果音だ.......。こんな効果音使う人僕とローラくらいだと思った。どうでもいいけど。

 

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こんな風にミニマリストを気取って、自分の持ち物を点検した時代もありましたね。

断捨離についてすげえなぁって思うのは、断捨離って、当然とある段階でおわると思うのだけれど、(これ以上は何一つ捨てるものはない!というのが断捨離の終焉だ)その瞬間から持ち物が増えていくんだよね。ボールペンやクリアファイルと言った軽いものから始まって、本、服、家具、電化製品と、ものは僕たちの生活をゆっくりと侵食していくんねえ。その人の平米数に比例してさ。

 

消費。

そう、キーワードの一つって消費だと思うんですよねー。

19世紀ごろから今日に至るまで、一つのキーワードは消費だと思う。

戦後の日本の高度経済成長を支えた一因として「ものを買って豊かになろう!」みたいな物質主義の意識があったからこそ、っていうのはあると思うんだけど、21世紀になってそれもちょっと雰囲気が変わってきた気がする。

 

なんかもう豊かになっちゃったよねー。

 

という白け感とか。

 

映画館もフリマもゲームもカーナビも、もうスマホがあればいいんだよね、

 

だったりとか。

 

世の中に商品が消費を上回るレベルで出尽くしてしまって、何を持ってても対して人に自慢できなくなったりして、同時にSNSが高速で発達してきたせいで「もの<こと」っていう意識が浸透して、珍しいアイスを食べるために原宿の有名なお店に並んでパチリしたinstagramを投稿!みたいなことに価値が出てきたりして。

 

 

”ものを買っても幸せにはなれない。”

っていう資本主義における最大の魔法が今解かれようとしている。

極端な話、全ての人がご飯を食べるだけのお金があればそれでいいや、と言い出したら明日にも資本主義経済は破綻するだろう。なぜなら資本主義は人間が持っている「もっと」という根源的な欲求を前提に作られたシステムだからだ。

 

 

えーっと何が言いたかったんだっけ。

そう、引越しが面倒臭いって話だったんだ。それで、ミニマリストだったら引越しも楽チンなのになーって思って、でも資本主義経済は「もっと」という欲望を前提に作られているから、消費を推奨しているし、僕たちにしても常に何か買うものがないか探しているし(消費について考えるときAmazonほしい物リスト、みたいな考え方ってすごく面白いヒントになると思う)企業側も常に何が売れるのかを考え続けている。

 

だからもし全ての人がミニマリストになったら資本主義って崩壊するよね。と思ったわけだ。でもまあそんなことありえないじゃん、っておっしゃるかもしれないけれど、スマホでなんでもできるようになったり、所有から経験に価値が移行しているようなことが高速で起きているイノベーションの渦中である2010年代の現代において、資本主義最大の魔法である「消費をすれば幸せになれる」が解け始めているのではないか。と唱えて見たんだった。

 

結果としてテクノロジーの進歩とそれに伴う人の価値観の変化がもう少し長いスパンで発生したとして、というか多分起こるんだけど、そうするときっと、また社会主義に対する議論が巻き起こったり、資本主義と社会主義のハイブリッドのようなものの模索が今一度行われたり、あるいは資本主義でも社会主義でもない、新しい第三の経済モデルが生まれるかもしれない。

 

そういうものが生まれたとしたら、それはきっと競争ではなく協力に重点が置かれており、分配ではなくシェアリングに注目が集まるだろう。それは全く新しい世界というわけではなく、その光景はyoutubeであり、Airbnbであり、カーシェアリングであり、Netflexであると言えるだろう。つまり、そんな世の中はとっくにきていて僕たちはそれを普段からツンツンタッチして発展させているではないだろうか。

 

そんなことを考えたとしても、とりあえず部屋の荷物は片付かないのであったー。

 

 

 

 

おしまい