襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

脱スマホとかいうパワーワード(後編)

 

後編を書きます!

 

 

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前編では確か「脱スマホ」がパワーワードである根拠について、音の質感というあまり手垢のついていなさそうな観点から検証してみたんだ、確か。

 

結論としては「スマホ」という音がすっきりとしたスタイリッシュさと穏やかで安堵したようなニュアンスを持っていて、「脱」という言葉がそれを強調することによってパワーワードたらしめる音の強さを持っているのだと語った。

 

andy0330.hatenablog.com

 

後編では音遊びはその辺にして置くとして、実際に脱スマホっていうのがどういうことなのかについて考えてみる。

 

スマホというインフラ

スマホはもはやコンテンツでもツールでもなくインフラとなっている。少なくとも日本にいる限りそんな風に感じる。スコップとかテレビとか鞄と違って、もっと生活に溶けて、溶けすぎて目に見えないもの。電気や貨幣や道路のようなもの。スマホ文化はインフラと呼べる段階まで我々の社会に根を下ろして浸透していると感じる。

 

 

ちょっと前までは(ガラケーが流通した21世紀初頭あたり)では電車でほとんどの人がケータイを触っていて気持ち悪いという話をよく聞いたけど最近はそういうのすら聞かない。多分非難していたひとたちも「そちら側」にいってしまったのではないかと思う。

 

そんな中でもやっぱり「スマホばかりいじってるのはよくない」という意識は多くの人の心の中にあって、インスタグラムに載せるためにいつまでもスイーツの写真を撮り続ける人を「インスタバエ」("インスタ映え"と掛けている)と揶揄して話題になった。

 

スマホばかりいじっているのはよくない。でもなぜよくないのかはうまく説明できない。説明できない人はこの"Are you lost in the world like me?"のMVを見ると「そうそうこんな感じ」と納得するかもしれない。

 

www.youtube.com

 

 

スマートなのはスマホであって人間ではない

当たり前のことなんだけど、スマホはスマートなフォンなのであって、人間をスマートにする装置ではない。

 

 

 

 

人間はスマホでスマートにならない。

 

 

 

貧弱が甲冑を被っても彼自身が屈強にならないのと同じ。

 

目的地への乗り換え経路が即座にわかるのが20年前なら腰を抜かすほどのスマートさだが、今はそんなことしても誰も驚いていてくれない。

 

定規は直線が引けない人間の為の道具である

むしろ、である。

 

 

 

僕の好きな言葉に「定規は直線が引けない人間の為の道具である」というものがある。

 

 

要は、定規を持っている人間は直線が引けないのである。

杖をついている人は自分の足で歩けないのである。

 

 

 

そういう情報を好むと好まざるとに関わらず発信しているのだ。ナイフを持ち歩いている人は臆病で、マフラーを巻いている人は寒がりなのだ。

 

もちろん逆に持つことでプラスのイメージを与えることだってできるだろう。

辞書を持っていれば知的に見えるし、ハンカチを持っていれば清潔に見えるかもしれない。

 

 

しかし、スマホを持っている人はスマートには見えない。スマホをいつも握りしめている人はそれがないと生活すらまともにできないような印象を与えるのではないか。

 

電車でスマホを持たずに他に何かをしている人はなぜかすごく有意義なことをしているように見える。それは非常に主体的な行為だ。この辺りに僕の言いたい「脱スマホ」の言葉への入口がある。

 

 

 

 

andy0330.hatenablog.com

 

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あまり納得のいく着地点ではないが、捨て台詞程度に最後に書いておくとするならば、「ピタゴラスイッチ」で有名な佐藤雅彦「現代人は加工された情報ばかり享受して頭を太らせている。もっと自分で情報を見つけていって自分の力で情報を咀嚼しなくては駄目だ」というようなことを書いている。「考えの整頓」で。

 

 

考えの整頓

考えの整頓

 

 

 

「脱スマホ」は杖を捨てるということだ。最初はよろめいてしまうかもしれない。転ぶことだってあるだろう。具体的には電車で乗り換えを間違えるかもしれないし、友人が主催した飲み会を知ることができずに孤立するかもしれない。

 

 

 

 

でもいいのだ。それが本来のあなたの実力であり、本来の価値とも言えるのだ。

そろそろ一旦我々はスマホを外した時点の自分の力量を見極めるべきだ。

 

こういう時代だからこそね。

それはもちろん、幸せになる為ではなく、強くなるために。

 

 

 

 

おしまい