襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

静かな映画館や電車で突然大声を出したくなるアレ

 

平穏な日々が続くと「なんかびっくりするような特別なこと起きないかな」と思う一方で、刺激的なことばかりが続くと「たまには平穏な日がないものか」と思う。

 

人間がわがままだったり「今の状態が常に不満なだけ」な訳ではなく、

要は精神的にバランスを取ろうとしているのではないかとふと思った。

 

 

 

 

 

すごく静かな映画館や電車の中で「今大声で叫んだらどうなっちゃうんだろう」と一人で想像してドキドキしてしまうアレである。

 

(アレであると言われてさっぱりピンと来ない人はむしろ比較的常識的な人間かもしれないと今更思った。)

 

 

 

 

 

人間、平穏に過ごせるに越したことはないが、平穏というのもまた偏った状態であり、平穏が続けばそれをぶち壊す感情がむくむくと起き上がってくるものなのではないかと考える。

 

一番健康的な精神状態は「平穏」と「不穏」をゆらゆらとさまよっている状態であり、「平穏」に固執している状態ではない。

 

「平穏」でいるのはむしろ不自然だ。

 

 

 

 

それはアメリカの二大政党のようだ。

 

共和党が続けば「民主党の方が真っ当だ」と思うし、民主党が続けば「共和党でなければ駄目だ」と思う。

 

同じ政党がずっと政権を握るのもまた偏りで、風通しが悪くなる原因になりうる。

 

 

 

バランスの話に戻るけれど、バランスの取り方は人それぞれだと思う。

人の命を救う看護師が家ではバイオハザードをやる....のかどうかはさっぱりわからないが、例えばずっと会社にこもって仕事をしている人は「ハワイとか行きたい」と思うし、あちこち出張ばかりしている人は「家にずっとこもってゲームしたい」と熱望するというのはありうる話だ。

 

 

ここで僕の話になるのだけれど、僕の場合はこのバランスの枠組みが少し広くて、「日本のように規範がしっかりしていて、電車で電話をするだけで白い目を向けられるような、異常なまでに均等で画一的で規則正しい場所にい続けると、もっと混沌でぐちゃぐちゃで、カオス的な国に行きたくなる。東南アジアのようなところだ。

 

 

 

反対方向に身を置くことで、本来自分がいたもう片方の景色がよく見える。僕の例えでいれば東南アジアに行くことで「日本の整然すぎる社会景観は一つのあり方にすぎず、世界はひろくて色々な価値観のうちの一つ過ぎないんだ」とすごく安心するのである。

 

割と僕は会社員になって一つの価値観に閉じ込められがちになっていると自己分析しているので、その状況に危機感を抱いている....あたりからこの話は始まったのである。

 

 

つまりエロスとタナトスの相互移動だ。

 

 

 

 

 

 

とにかく僕は今東南アジアに行きたい。

 

 

おしまい