襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

「大人になれ」が意味するところ

 

大人になれ

「大人になれ」という言葉に皆さんはどういうニュアンスを感じるだろう。

(アッ..会社でそういうことを言われた訳ではないです。

 

 

僕がこの日本で25年生きて「大人になれ」から感じるニュアンスは「折れろ」「譲れる人間になれ」「妥協しろ」「諦めろ」といったワードだ。

 

 

例えば飲み会で焼き鳥が出てきたとして、ラスト1個が残ってしまったとしよう。それを誰かと誰かが「これは自分のものだ」と言い争い出したらその状況は「大人気ない」と表現できると思う。

 

 

僕はまさにこれが根付いていて、長男だからっていうのが少しは影響しているだろうが、なんというか「負け」が染みついている。あるいは"名を捨てて実を取る"みたいなのが得意だ。

例えばすごく面倒な頼みごとをしたら相手が笑顔で引き受けてくれて、それ以降頭が上がらないというようなところに理想がある。

 

 

 

 

 

日本の大人は世界に通用しないのか

東南アジアのタクシーはぼったくりが基本だ。

 

外国人観光客はお金に余裕があるからちょっとくらいぼったくったって良いと思ってるんじゃないかと思う。相手が違法タクシーであればあの手この手で有り金を巻き上げられるだろうが、そうではなくとも、日本の観光局かなんかが推奨するちゃんとしたタクシー会社の運転手であってもお釣りを誤魔化したりするらしい。

 

例えば運賃が50ドルだったとして、100ドル紙幣を出したらお釣りに10ドルしか返ってこないなんてザラなのだそうだ。「残りはチップだから。こっちでは常識だよ」みたいなことをまくし立ててくるらしい。

 

手慣れたバックパッカーなら「ふざけんな警察突き出すぞコラ!」と応戦できるだろうが、「大人」な日本人ならどうか。

 

 

「彼らも生活が大変だろうし、揉めたら怖いし、ここはこちらが大人になって譲るとしよう...これも勉強代だな」などと訳のわからないことを胸の中で繰り返していそいそとタクシーを後にするのか。

 

 

 

世界基準の大人ってなんなんや

僕は国際人ではないのでそれを推し量ったり結論づけたりすることはできないが、「自分の権利主張をはっきりと述べて押すことができる」人のことをいうのではないかと思う。この僕の仮説を立証するために僕は是非とも今、バックパックがしたい。

良い歳した大人がタクシーの料金のあれこれで怒鳴りあってる世界で、逞しくなりたい。

 

「大人になんてなりたくない」という言葉があるが、そう考えると僕は確かに大人になんてなりたくない。

 

僕は権利を主張し、こうあるべきだと固執して、戦って生きていきたい。

 

 

他人と意見が違ってすれ違ったり、摩擦が起こるのは確かに面倒なことだけれど、全く軋轢がなく、抵抗のないボーリングレーンのような人生に置いて、自分が存在する価値はどれだけあるのだろう?