襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

通勤路に斎場があると死が身近だというはなし

 

日が短くなって会社帰りは暗くなっている。天気がよければ東京でも星が見える。

その道すがら、途中に斎場がある。お坊さんや喪服の人が出入りして神妙な顔をしてお辞儀をし合っている。

 

いつも誰かしらの葬式を行っていて、もうもはや「田中様」とか書いてある行灯を持っている斎場スタッフの顔も覚えて来ちゃった今日この頃だ。

そういうのを毎日見ていると死って日常的なんだなと漠然と思う。

 

 

斎場を利用する遺族からすれば「特別すごく悲しいことがあった」のだろうが、斎場スタッフにしてみれば毎日行われているルーティーン的な一部に過ぎないのだろうかみたいなことを考えていた。

 

 

 

 

あ、でも、そういえば僕は昔、数年ほどスタジオカメラマンとして結婚式の前撮りを撮らせて戴いていたのだけれど(台紙みたいなガチのやつ用)新郎新婦からすればドキドキのスペシャルな1日なのだけれど僕にとっては5連勤の4連勤目の、今日8人いらっしゃる新郎新婦の8番目だったりするわけだよね。

 

かといってベルトコンベアーに並ぶ部品を眺めるような死んだ目をしていたかっていうとそうではなくて、逆に、毎回「この瞬間はお客様にとってかけがえのない1日。ベストを尽くそう」と集中して新鮮な気持ちで撮影に望んでいた。きっと斎場スタッフもそうなのだろう。

と勝手に想像する。

 

 

それにしても葬式は毎日行われている。

僕の住む街で毎日人が死んでいるということだ。それは病気かもしれないし寿命だったのかもしれないし事故だったのかもしれない。とにかく僕の街では毎日当たり前のように人が死んでいるのだ。いや、人が死ぬのは当たり前のことなんだけど。

 

 

子供の頃「もし世界が100人の村だったら」という絵本を随分読んだ。

あの本によれば村では毎日1人が死んで2人が生まれるらしい。だから来年村は101人になる。っていうあたりで締めくくられていた気がする。

 

 

世界がもし100人の村だったら

世界がもし100人の村だったら

 

 

 

妙に大きな話に出るが、宇宙が始まってから137億年経っているわけだけど、それに比べれば僕たちの80年前後の人生なんて一瞬すぎて、本当に起こったのかも認識できないレベルの出来事なのだろう。花火なんてもんじゃない。チリが舞ったくらいの感覚だろう。80/13700000000と数字にしてみれば、むしろ人間なんて死んでいるのが自然で、生きているという状態が異常なんじゃないかとも捉えられる。

地球の46億年の歴史の中で、生き物の分際で地球環境そのものにダメージを与えているのは未だかつて人類だけで、それは突発的に発生した異常、プログラミング上のバグみたいなものだ。

 

僕たちはある意味地球のバグなのだ。

なんかそういうこと、「すべてがFになる」で書いてあった気がするけれど。

あるいは僕はやなせたかしの「誰もが宇宙のみなしご」という詩を思い浮かべて、宇宙のことや死のことを考える。それでどうなるわけでもないとわかっていながら。

 

宇宙って死に近いよなぁ。宇宙から生って連想できない。

無限に広がる永遠に解明できない場所。帰るべき場所。死に近くて怖いくらい美しい静寂の場所。そんなイメージ。

 

 

おしまい