襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

うわさ話は魚のように

 

 

うわさ話に尾びれ背びれがつくのだから、

うわさはきっと魚介類なんだろうなと昔から思っていた。

 

前に読んだ本で、うわさ、を発信する力によって

猿は人間に進化したという話があって面白いと思った。

 

「あっちの森でばななが取れる」とか、「向こうにはライオンの群れがいるぞ」といった情報交換から、あるいは猿の群れの中で「あいつは強欲だ」とか「あいつは裏切る」といった話をする中で、そのコミュニケーションの力によって猿は繁栄して、ほかの種類の猿を滅ぼしていった、とかなんとか。

 

 

 

 

うわさ話は魚のよう。

もうちょっといえば、魚の影のようだ。いるんだろうけど、うまくは見えない。

自分の噂話って当然なかなか自分には入ってこないから、普段僕たちは噂話なんてされてないような顔をして生活しているけれど、実際には世の中は噂話が満ちていると思う。それはもう、水のように。

 

 

うわさが魚なら、人間関係は水だと思う。

学校とか会社のようなコミュニティーは利害関係があまりにも密なので、当然人間関係の線もあちこちに張り巡らされていていかにも魚が泳ぎやすそうじゃないですか。

 

 

僕が「仕事きついなぁ」とつぶやいたことで、翌週には尾びれ背びれがついて「あいつ会社やめるらしいよ」という話に発展してたりする。

 

 

それはそれで恐ろしいことなのだけれど、結局噂は噂で、それ以上でも以下でもない。つまりは警戒するに越したことはないが、気にするには馬鹿馬鹿しいのである。

 

 

 

うわさ話を交換してやり取りする場は飲み会だったり喫煙所だったりするが、これはさしずめ釣り堀だろうか。良い魚を釣ったと自慢したくて、ありもしない大きな魚を粘土でつくって自分で釣ったふりをしてみたり。

あるいは、人が釣ってきた魚を自分のバケツにいれて、自分がとったかのように宣伝することもできるかしら。

 

 

 

この話に結論はないけれど、噂話をたくさんされてしまう人はいつだってミステリアスで、物語の主人公だ。そして噂話ばかりしている人は、主人公にはなれないのかもしれない。

 

 

 

 

おしまい