襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

手紙を書くのが楽しくてたまらない

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手紙が好きで。

 

アッ 正確には文通が好きなのか。

日々、文通相手を探して生きているけれど、このご時世そんなものが見つかるはずもなく、とにかく住所を知っている友人に手紙を出している。一方的に!

 

 

 

 

手紙を送ると数日後に「手紙届いたよ!ありがとう!」というラインが返ってきてたいていそれでやり取りは終わる。手紙でのお返事はない。一方通行なのだ。メルマガかよ!

 

 

ただそういうのにも慣れたので、本当に一方的に5,6人くらいに手紙を書く日々だ。そういう中で手紙を返して「文通」を成立させてくれる友人は非常に貴重で、貴重ゆえ大切にしなければならないと感じる。

 

 

 

文通の何が好きかというと、非常に漠然とした感情なのでうまく言えないのだけれど、それは点数を計算しないテニスのラリーに似ている。

 

点数を計算しないから気楽で、しかし相手がボールを取って返してくれなければ続けることが出来ないので、きちんと相手の返しやすいようにボールを打たなければならない。

 

 

 

そして同時に、僕はラリーにおいて色々な打ち方を試すことが出来る。回転をかけてみたらどうだろう、ここでもっと腰をひねったら綺麗に打てるだろうか?そんなことを試行錯誤できるのは相手がいるからに他ならず、これは意外と文通中にしかできない仕業だ。

 

例えば、日記では相手がいないのでモチベーションが保てないし、仕事中にお客さんにメールを打つのに表現方法を試行錯誤するような機会はない。

 

 

 

 

使ってみたい言葉。

 

「凄惨な」「講釈を垂れる」「筋合いがない」「お鉢が回ってくる」「おしなべて」そういうのを僕は文脈に取り入れようと汗をかく。手紙を書いているときに僕はそういうことを考えている。

 

 

 

考えていながら、それは読みやすく、受け止めやすく、返す気になる内容でなければならない。ただでさえ僕にとって文通をしてくれる人は絶滅危惧種なのだから。

 

 

 

 

 

そっけなくて、さらっとしていて、それでいて気持ちがきちんと乗っているような、たとえるならコーンポタージュのような文章を書きたい。

このブログにしたってそういう気持ちで書いていたりする。

 

 

 

おしまい