襟を立てた少年

生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない人へ

自分の身体を知ること

 

12月30日。

やけに鼻が出るなと思っていたらそのままずるずると体調を崩し、

風邪をひいてしまった。今は自室でアクエリアスを飲みながら養生している。

年末年始に風邪とか...。「しんどい...。」と一人でつぶやく深夜1時だ。

 

 

BUMP OF CHICKENの「supernova」という優しい曲の中にこんな歌詞がある。

「熱が出たりすると気づくんだ 僕には体があるってこと

鼻がつまったりすると解るんだ 今まで呼吸をしていたこと」

 

そう こういう経験は誰しもある。

髪を切ればそれまでの髪の重さに気づくし、虫歯ができると

いかに普通に噛めることがありがたいことかに気づかされる。

まあ、大抵は「今当たり前に持っているもの」に改めて感謝することは難しい。

 

 

 

今年はボルダリングを始めた年ってことになる。

会社の近くにボルダリングジムがあって、今までやったことなかったから会社の同僚と行ってみたら楽しくて!以来会社の人を誘っては仕事終わりにボルダリングジムに足を運んで、腕の筋肉痛をこさえて帰るようなことを月一くらいで続けていた。

 

 

 

 

 

 

ボルダリングで大切なこと。

 

それは意外にも握力や体力ではない。

筋肉でもない。筋肉は重たいので、むしろ筋肉質な人ってジムには少ないんだ。

 

ボルダリングで大切なのは「身のこなし」だ。

例えば片手を伸ばしてぎりぎり届かないホールド(登るときにつかむカラフルな石)があったとして、片足を離して、残った足を爪先立ちさせれば届くとする。

大抵の人はそれができない。怖いし、勇気をだしてやったとしてもバランスを崩して落ちてしまったりする。うまい人はためらいもなく片足を離し、うまいことバランスをとってホールドをつかむ。

 

運動神経とひとくくりにしてしまえばそれまでだが、

それ以上に、「身のこなし」が上手いのだと僕は思った。

 

「身のこなし」っていうのは、要は「自分の身体のことを判っている。」

ということだと思う。つまり、どのくらい片足に体重を乗せるとバランスを崩すとか、自分の重心はこのあたりだからこの体勢なら安定するとか、そういうのが感覚でわかっているということだ。

 

 

これは車の駐車をするときと似ている。

運転が上手い人は車に乗ったときに、車体の角がどのあたりにあるのか見当がついている。だからバックで駐車するときも切り替えなくすっと一発で車を入れることができる。

 

 

普段運動していないとそのあたりが全然わからない。

気づかないうちに体重が増えていたり、足の筋肉が衰えていたりするからすぐに転んだり、立ち上がった時に血の巡りが変わって立ち眩みを起こしたりする。あるいは靴のかかとがすり減ったりとか。車でいえば、思ったよりも車が大きくて車のおしりを擦ってしまったりする。

 

 

 

僕は競技用自転車に乗るのが趣味なのだけれど、

きつい傾斜の坂を登るときはあまり立ちこぎはせずに、軽めのギアで踏み込んで進むのが一番効率的だと気づいた。でもそれは僕が体重が軽いから出来るのであって、例えば体重があって筋肉量がある人は積極的に立ちこぎをして登るのが早かったりする。

スポーツは特に、自分の身体の特性を知ったうえで自分に一番あったやり方で臨むのがベストだと思った。当たり前のことかもしれないけど今年はボルダリングで一層思った。

 

 

 

 

 

 

*これは何も運動に限った話ではなく、自分が何かをする限り必ず自分の身体の問題はついてまわるので、例えば仕事で「これ以上頑張ったら身体を壊すだろうな」とか、「ちょっと精神的にきついからちゃんと休養を取ったりしたほうがいいな。」わかってくると後からしんどい目に合わずに済む。

 

 

おしまい。良いお年を。