襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

如水(本当の自分なんて存在しない)

 

年末年始に長期休暇を上司から賜り、長い休みを経て今日仕事に復帰した。

ところで長期休暇って何日くらいからを言うんだろう?「長期」かどうかって主観なわけだから、長期休暇を何日からだと捉えるかによってその会社の休みの取りやすさってわかるかもね。

ちなみに僕は5日以上だと「長期休暇!」っていうイメージだ。

 

 

 

久しぶりに会社に出勤して一番戸惑ったことがある。

「おれって会社でどういう立ち位置でどういうキャラクターだったんだっけ。」

 

それは、例えば全然ゲームの状況がわかってないのに緊急でサッカーの試合にピンチヒッターとして出場させられたときのようだ。振舞い方がわからない。

 

 

会社の人たちも僕との接し方に若干のぎこちなさがあったような気がする。

「つー」ときて「かん」と返ってこない。自転車の油が足りないような、しっくりこない感じがぎこちなかった。

 

 

 

しかし夕方くらいになるといつもの感じが返ってきた。

そうそう、おれってこんな感じだった!という安心感。振る舞いの回帰。

それは振袖で歩き回ったあとで家に帰り、いつもの着なれた私服に袖を通した安堵感と似ているかもしれない。

 

 

 

黒田如水」という戦国武将がいる。

もともとは「黒田官兵衛」という名前の軍師だったが、年を取ってから「おれ今日から如水だからね。」と名乗ったのだ。

 

如水。水の如し。

でもそれって誰でもそうやろ!と今日思った。

 

水って面白い。丸い器に入れれば丸くなるし、細長いコップに注げば同じように細長い。反抗することなく、その環境にぴったりの姿になってしまう。そんな風に環境に逆らわずにっていう意味が如水という言葉には含まれているだろうが、そんなの誰だってそうやないか。

 

会社のカッチリした感じで帰ってこられたら家族は困ってしまうし、飲み会のテンションで葬式に来られたら非常に迷惑だ。TPOに応じて人はその姿を変えることが出来るし、そうした能力が備わっているのだろう。

 

 

僕には僕が会社でうまくやっていくための器があって、そこに無形の自分の精神を注ぐことで「会社での自分」に「なる」のだなと考えた。

 

水に本来の形、などというものが存在しないように、「本当の自分」なんてものは存在しない。自分探しをするために海外に旅行に行った自分も、「海外にいる自分」という器に自らの精神を注いでいるだけにすぎないのだろう。

 

 

 

 

おしまい。明日もお仕事がんばる。