襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

上司であり、先生であり、父親である「手帳」ー僕の手帳術

今週のお題「2018年の抱負」


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手帳という上司

 

「やばい今日〇〇やってない....でも帰って報告しなきゃ....。」

 

こんなことを考えながら暗い気持ちになる帰り道を誰しも経験したことがあるのではないか。これは別に上司でなくても、先生でもいいし、父親でも良い。

絶対的に権力があって、おっかなくって、報告しないといけない相手。そういったものを想像してほしい。

 

 

 

僕にとって手帳はパートナーであると同時に「上司」である。

 

あるいは「監視員」であり、「門番」であり、「先生」であり「父親」である。

 

 

 

 

今日やらなければならないことー。

僕は会社員なので、会社の仕事をやるのは当然だとして、「やらなくても特に誰にも怒られないこと」―部屋の掃除や、健康管理や、勉強や読書のことーについて、僕は誰かに尻を叩いてほしいのである。

 

 

誰にも管理されずにやらなければならないことを淡々と日々こなすことが出来るほど人間って出来てないと思う。

 

「まずいなぁやってないなぁ....やらないと怒られる...。」

そんな緊張感がだらしない僕には必要だった。

 

 

僕の手帳にはまず、元旦に考えた目標が書いてある。

いつでもそれを見返せるようになっていて、おまけにやっぱり、元旦に書いた文章なもんだから、「今年はこんな年にするぞ!」という情熱がすごい。平時の自分からすると「おいおい、俺たちの身にもなってくれよ」と言いたくなるような熱意で、自分を律し、ひたむきに努力する旨がつらつらと書いてあるので参ってしまうのである。

 

 

つまりは、元旦に考えた「理想の自分」に失望されたくないのである。

 

 

手帳=上司=自分

 

種明かしーというほどのものではないが、僕の上司は"理想の自分"である。

「こうなりたい完成された、マジすげえ自分」が手帳の中に確かに生きていて、僕が手帳を開くたびに「よう、調子どう?」と話しかけてくるのだ。

 

 

「今日は...洋書を5ページ進めるつもりだったんだけど...まだやってなくて...。」

なんてことは言えない。それは理想の自分を失望させることになり、それは自分自身に失望することになる。

人間、自分に失望するほど辛いことはあるまい。

 

 

前述したとおり、僕の手帳の冒頭には元旦に書いた抱負が書かれている(一部を掲載するなら「今中」「利他」「克己」という超ヘビーなノルマであった)わけだけど、当然日々生きているとそれだけだと上手くいかないのだ。

疲れている日はあるし、忙しいときだってある。いつでも元旦に思い描いたような生活ができるわけがないし、できるわけがない、という当たり前のことが元旦には想像できない。

 

 

だから分割するのだ。1年を12分割して、毎月の目標を立てる。

あるいは、僕の場合は毎日「まあ明日のスケジュールならこのくらいできるやろ」と踏んでノルマを与える。それは抽象的であったり具体的であったりする。

「ランニング10km」とか「感謝を言葉で伝える」とか「瞬間瞬間に集中する」とかね。

 

 

そんなことをして何がしたいのか

 

僕の今年のテーマは「365歩」である。

 

一日たりとも無駄にせず、一歩一歩前に進むみたいに日々を生きたい。

 

「なんとなく過ぎた今日」なんてものは今年は許さない。

 

 

もちろん、ゆっくり過ごしたり、遊んだりもする。それも、能動的に「よーしゆっくりするぞー!」「だらけるぞー!」と納得して生きたい。

 

 

間違っても「うとうとしてたら夕方になってた」みたいなことはやりたくないのだ。

 

 

 

僕は今年で26になる。

さすがに大人だし、若すぎるとは誰も言ってくれない年になった。

謎の焦りもある。友人が結婚したり、何か賞を取って新聞に載ったりすることも増えたが、そんなことよりも、昔自分が思い描いた自分が離れていかないか心配なのだ。

 

だから着実に一歩ずつ。

手帳を携えて理想に向けて歩いていきたい。

 

 

 

 

 

今年も襟を立てた少年をよろしくお願いします。

 

 


パリは燃えているか(オープニング・テーマ)

今日の記事のBGMはきっと「パリは燃えてるか」って感じ笑

 

おしまい