襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

東日本大震災の思い出 前編 (傍観者編)

 

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東日本大震災

 

3月11日。7年前に東日本大震災が起きた。

 

 

東京に住んでいる僕は、東日本大震災の当事者ではない。

当事者ではないけれど、当時あの地震が東京にいる僕にとってどういうものだったかについて語ることは出来る。そしてそれに少しでも価値があるはずだと信じながら、「あの日」について少し書いてみようと思う。

 

 

3月11日金曜日の14時すぎ。

僕はいつもの美容院の帰りで、電車に乗っていた。

 

電車が減速して次の駅に止まろうとしたときに地震が起きた。

 

揺れが強すぎて最初は地震だと思わなかった。

車掌の運転が酷すぎるのか、あるいは電車の不具合で何かとんでもないことが起きていると思った。その揺れがあまりに続くので、ようやくこれは地震なのだと感じた。

 

電車は緊急停止して、しばらくしてからのろのろと動いてすぐそこだった駅のホームで僕たちを吐き出した。「大規模な地震があったので連絡がくるまでこの電車はしばらく動かない」といったアナウンスがあった。

 

仕方がないからその駅で降りた。

とにかく強い地震だったので震源地とか、周りの被害が気になった。

 

駅の近くのタリーズで試飲販売をしているお姉さんに「何が起きたんですか」と聞くと、私にもまだわからないと首を捻った。

 

 

その駅から家までが10kmくらい離れていて、そこまで走って帰った。

途中のコンビニを覗くと商品棚の商品が床に撒き散らされていて、今まで体験したことのない規模の地震が起きたのだと気づいた。おそらく電車の中の揺れは、振動を吸収してあまり大きく感じなかったのかもしれない。

 

 

家から人が出てきて口々に噂話をしていた。「どうやら東北で地震があったらしい」「相当な規模だったらしい」どこも電車がストップしているらしい」

みんな混乱していて、どうしたらいいのかわからずにいるみたいだった。

 

 

家に帰ると家族はみんな出払っていた。

家の中は何も起きていなかった。食器棚は朝のまま整然としていたし、照明が割れたり家具が倒れているようなこともなかった。卓上カレンダーが倒れていることだけが地震があったことをかろうじて伝えていてそれが逆に不気味だった。

 

 

ほどなくして家族と連絡を取り合って全員が無事だということがわかった。

家でテレビをつけると、あらゆるテレビ番組がストップしていて、どのチャンネルも東北の災害情報や都内でのトラブルについて報道を流していた。

 

 

 


石巻市・旧北上川を遡上する津波 【東北地方整備局提供映像】

 

 

 

不謹慎な話だけれど、津波の映像や現地で倒壊した街の映像を見ても僕はどうしてもピンと来なかった。あまりにも災害の規模が大きすぎて、映画のワンシーンでも見ているような気分だった。

 

 

ただ、テレビをぼうっと見ていた。

それだけだった。美容院の帰りに電車が止まって、走って帰った。

帰ってからはテレビを見ていた。

 

 

 

それが僕にとっての3月11日だった。

 

 

 

傍観者

 

それからの日々はどこにいっても東日本大震災の話題で持ちきりだった。

特に津波がこちらに迫ってくる映像が繰り返しテレビで流されていることもあって、津波でどれだけの人がなくなったとか、仮設住宅が間に合わないとか、そういう話をよくしていた。

 

テレビCMが流れなくなって延々とACジャパンのCMが流れていた。

「ぽぽぽぽ〜ん」と「こだまでしょうか」だ。

 

 

 

僕は今でもこのCMを動画で見るとすごく辛い気持ちになる。

 

当時の、無力感というか、日本全体を覆っていた喪失感のようなものが蘇ってきて陰鬱とした気持ちになる。まるでパブロフの犬みたいに。

 


AC ジャパン CM あいさつの魔法 1分フルバージョン2010年度全国キャンペーン

 

 


ACジャパン CM こだまでしょうか (英語字幕付) AC JAPAN COMMERCIAL ENGLISH SUBTITLED

 

 

 

東京でも電力不足や計画停電を発端として自粛ムードが始まった。

日本人はやりすぎる。と僕は思う。

それは電車で高笑いしただけで白い目で見られるような過剰さだ。

 

各所でお笑いの公演が延期になり、テレビドラマは放送延期になった。

僕は地震の翌週に友人のライブに行こうとしただけで後ろ指をさされ、激しく非難された。

 

 

僕にはその意味がわからなかった。

東京で娯楽が今まで通りにあることと、東北で震災があったことは別問題だ。

もちろん電力や、募金のための全体としての意識は大切だけれど、当時の自粛ムードは明らかに「やりすぎ」だったと僕は今でも思っているし、信仰宗教じみた過剰さを感じた。

 

ライブに行こうとする僕を非難する人たちは、今すぐ被災地に行ってボランティアでもなんでもすれば良かったのだ。それをしない限り、その非難には、意味がなかった。

僕はそれが許せなかった。

そしてそれ以上に、被災地に対してあまりにも無力で、普通にご飯を食べて普通に友達と笑っている自分が気持ち悪かった。

 

お前がいけよ という声が聞こえた気がした。

 

それで、僕は荷物をまとめて、被災地に行くことにした。

地震が起きてから1ヶ月後のことだった。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

ドキュメント自衛隊と東日本大震災

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