襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

シェアハウスで一人、誰とも話さない

 

僕が一人暮らしを始める決心をした時、

まずは賃貸を考えた。それから初期費用を算出しようとしたのだけれど、

洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなど買わなければならない家電の多さに愕然として速攻で挫折したのは良い思い出。

 

そもそも僕は白物家電と呼ばれる生活必需品が好きではない。

冷蔵庫も洗濯機もちっともワクワクしない。それは、心を高ぶらせるために買うのでなく、「仕方がない」から買うものだ。

白物家電なんていうものにお金を払いたくないという話をすると誰でも「だって仕方がないだろ」と言う。僕は「仕方がない」と言う言葉が嫌いなんだと思う。

 

 

結局、シェアハウスという選択肢を選んだ。

シェアハウスはすごい。まず家電が一式揃っているので新しく何かを買う必要がない。

それから、どんなシェアハウスでも大抵は清掃が決まっていて、月に2回とかで掃除のおばちゃんがきて共有スペースを綺麗にしてくれる。

 

おかげで僕はこれまで一人暮らしを始めてからトイレットペーパーを買ったことがないし、風呂掃除もしたことがない。料理も一切しないから台所にも立たない−ことはむしろ恥ずかしいことだけれど。

 

 

快適なシェアハウスでの暮らしが始まった。

僕のシェアハウスでは20人の男女が住んでいる。こう言う話をすると周りの人は「テレビドラマのようなロマンスはないのか」といったことを訊いてくるけれど今の所そう言う気配はない。予感すらない。

そもそも僕はそういうシェアハウスに男女を住まわせて恋愛模様を観察するような番組を見ない。唯一シェアハウスが舞台になった「パレード」というミステリー系の映画だけは印象に残っている。香里奈とか藤原竜也とかが一緒に住んでいるシェアハウスの中に一人殺人者がいる...というお話だった。

 

だから僕にとってシェアハウスは恋が始まる場所というよりはこの中に一人人殺しがいるくらいの感覚なのだ。

 

 

そもそも。僕はシェアハウスで誰とも口をきかない。

こういうとちょっと誇張しすぎかもしれないけれど挨拶以上の会話はほとんどしない。

話すのが面倒臭い。僕は僕が存在しないように振る舞い、周りは僕が存在しないように扱った。

 

僕は友人間でも会社でも明るくて社交的に振舞っている。それは演じているのでなくて間違いなく僕を形成する一つの人格なのだと思う。でもその一方で、誰とも話さず、笑わず、気をきかせる事も無く、一人ぼっちでいたい自分もいる。

 

落差がすごい。いや、僕はバランスをとっているのだ。

 

金曜日に仕事が終わってみんなで飲んでカラオケに行って朝まで楽しむ人たちの気持ちがわからない。そういう人たちがいて、楽しんでいるのはわかるのだけれど、入りたいとは思わない。

日中、冗談を撒き散らして、たくさんの人に話しかけて笑って、たくさんおしゃべりをする、そして日が落ちて一日の仕事が終われば家に帰り、ひたすら静かに無音の自室で本を読んだり勉強をしたりして過ごす。

ひどく正常な感覚だと僕は思っている。

 

 

 

 

僕の隣の部屋に住んでる人は、確か男だ。でもそれ以上のことは知らない。

ひょっとしたら人殺しなのかもしれない。あるいは弁護士かもしれない。深刻な感染病を抱えているのかもしれないし、あるいは彼女が10人くらいいる女たらしかもしれない。わからない。隣人がわからない。

 

隣人どころでない。誰もわからない。

ある朝、歯を磨いていると見知らぬ人が台所で目玉焼きを作っている。

こんな人いたっけ、と不思議に思う。でも向こうも間違いなくそう思っているだろう。でも思うだけだ。しばらくするとその人はもうシェアハウスにいなかったりする。

 

年間契約で住んでいるわけではないので基本的に1ヶ月前に申告すればいつ出て行っても良い決まりになっている。だから住人がどんどん入れ替わるのだ。

 

 

今日もこの記事を書き上げて、明日また日が昇れば社交的な僕に戻る。

そして帰ってきて孤独になる。そのハーフアンドハーフのサイクルが僕にとって最適で、つまりは生活が精神に対して最適化している状態なのだと思う。

 

 

 

おしまい