襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

自分を突き動かす"何か"をはっきりさせなければ迷い続ける

 

自分は何者なのか

 

 

 

 

僕の言うアイデンティティー。

それは、自分の中に絶えず流れず一筋のメロディだ。

 

自分を突き動かすもの。人生の命題。テーマ。

衝動。

それをやっていないと落ち着かない。

制限されると気が狂いそうになる。

無意識にそういうことをしたくなる。

 

自らの半生を振り返ったときに思えばあの時も、それからあの時も、

何か自分の背景的な、もっと奥底の何かに命じられるままにそれを決めた気がする。そういうもの。

 

人と違うところ。それは見た目とか性格ではない。

つまり、プラモデルが好きとか、怒りっぽいとか、というのは僕の言うところのアイデンティティーとは異なる。

もっと奥底にある自分のコードだ。プログラムだ。

 

川の水が迷うことなく上流から下流に流れるように、傾いた床に置いたビー玉がまっすぐ転がっていくように、無意識のときに引きつけられるもののことだ。

 

 

 

それを見つけましょうよ、

 

 

と僕は今年やたらと口にしている。

 

 

 

アイデンティティは人生の羅針盤だ。

大体の、いくべき方向がわかれば生活するのも働くのももっと面白くなるのに、と思う。

 

 

僕の身の回りでやたらと耳にする「自分って本当にこういうことがしたかったんだっけ」とか、「このままじゃダメな気がするけどどうしたら良いのかわからない」と言うような閉塞感のあるため息は、アイデンティティを見つけられてないからこそ起きているんじゃないかと考えている。

 

 

アイデンティティの発見

 

 

アイデンティティは構築するものではなく、発見するものだと思っている。

あるいは定義するものなのかもしれない。

 

誰しも今まで生きてきた人生の道のりがある。その途中であったはずの無数の選択肢を振り返る。人生のターニングポイントや、あるいはもっと些細な日常の選択肢に置いて、僕たちは何回も何百回も選択をしてきたはずだ。

 

 

その選択にはアイデンティティーが関わっている。

だから過去を振り返って、自己との対話を深めれば人はアイデンティティーを定義することができる。

 

 

僕はこれまで様々な手法を使って自分と対話してきた。

それは日記をつけることだったり、自分のこれまでの年表を作ったり、あるいは性格診断のようなものを受けて傾向を探ったり、その手のものだ。

 

andy0330.hatenablog.com

 

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僕のアイデンティティ

 

これはここで書いても仕方がないことなのかもしれないけれど、

僕のアイデンティティー、自分にとって大切なこと、自分を突き動かすものは

「移動」だ。

 

様々な選択に「移動」が関わっている。

僕は移動せずにはいられない。そして、移動することを考えるだけで体がムズムズしていてもたってもいられなくなる。

 

 

僕は、全ての人がそうなのだと思っていた。

つまり「移動」は僕固有の個性ではなく、誰しも移動したくてたまらないのではないかと。だってみんな旅行の話になるとワクワクしてあれこれ話し合ったりする。

僕も旅行は好きだ。どこにいくのか?どうやっていくのか?

考えると胸がドキドキしてくる。

 

でも旅行に対するモチベーションが人と違うと決定的に気づいた時があった。

僕は正直、目的地に着いたら一気に醒めてしまうのだ。

観光名所を見たり、その目的地でどんなご飯を食べるのかと言うことにほとんど関心がないのだ。

 

 

僕の友人がこの話を聞いたときに言ったのは

「君は向こうに着いたときには目的を達成してるんだね」と言う一言で、その通りだなと思った。僕は移動が好きなのであって、目的地に着いた後は生活が待っている。

 

 

移動は何も地理的な事象だけに留まらない。

人との会話で、あえて思いもよらないことを言って(ユーモア的な)話を脱線させたり、会話のテキストが転覆するくらい当たり前のことを言って(ナンセンス的な)笑いを誘ったりするのが好きだ。

どのくらい好きなのかと言うと、普段から会話でどんなことを言おうか考えているくらい、そう言う行為が好きで、しかも習慣化している。

 

 

あるいは生活様式を変えるのも好きだ。

部屋を模様替えしたり、新しい言葉を会話に取り入れたり、新しい人に出会って交友関係を築いたり、新発売のものを買うのが好きだ。そう言うものに目がない。

これも一種の移動だと思う。

 

新しいゲームを買って、操作方法もわからない。

一つボタンを押すとちょっと動きがわかる。じゃあこうして見たら?いや、それともこうだろうか?そんな風に、説明書も読まずにあれこれ試していくことを考えると胸がいっぱいになる。

 

そう言う意味ではケータイを買い換えるのも最高の体験の一つだ。

多くの人にとってケータイを買い換えてデータを写したり新しい操作方法を獲得するのは苦痛以外の何者でもないと思うのだけど、僕は嬉々としてそれにトライだろう。

 

 

 

 

逆に我慢できないことは減点方式の作業や、ルーティンワークだ。

用意されたマニュアルに沿って完璧に作業をこなすことを指示されると具合が悪くなる。

 

そもそも指示を受けてそれ通りにこなすのが不得意....とまで言ってしまうと社会不適合者になってしまうだろうか。でも僕が不得意な作業の一つに「それ取って」と言われて言われたものを取るのがめちゃくちゃ苦手だ。

 

それは子供の頃からずっとそうで、親の日曜大工の手伝いとなると全く役に立たなかった。先日も会社内でレイアウト変更があって、上司が「あっちの棚をそっちに移動するからあっちの棚は取り壊すからね。わかった?」と言われて「わかりました」と言ったもののやってみると全く違っていて上司がびっくりしていた。

 

 

 

 

と、自分の話をしすぎて脱線しすぎたけれど、

とにかく僕のアイデンティティーは「移動」で、本当はもっと色々出会ったワードはあるのだけれど、そのワードは僕以外にはあまり役に立たないのでひけらかさないようにする。

 

僕は一生「移動」すると思う。それは様々な方法をとると思う。

例え年老いて車椅子になったとしても本を読むことであらゆる世界に移動するだろうし、あるいは自分で執筆して自分の好きなところに移動するかもしれない。

いずれにせよそれは抗いがたい衝動なのだ。

 

僕はそれを意識しながらこれから無数の選択を繰り返して、

自分の人生を振る舞うと思う。

 

また、今年はこう言うことをもっと咀嚼して、こう言う場で人に伝えられるように

たくさん書いていきたい。いつか本にできたらなーとか思っている。

 

 

 

 

おしまい