襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

ポジティブなのに自己評価が低い人の原理

 

 普段から周りからポジティブと評価されることが多い。ポジティブというより、楽観主義なのだと思う。大抵のことは何とかなると思っているし、実際になんとかなってきた。

 

ワクワクするのが好きで、全く異なる分野の物事を縦断して取り組んだり、調べたりするのが苦じゃない。

 

 

 

多動的という言い方が最近だとある。

あちこち興味があって手がいくつあっても足りない。多動的だと服が着れないというジョークがある。テスラのCEO、イーロンマスクは服が着れないらしい。シャツのボタンを留めている間に別のやりたいことを始めてしまっていつまでも着替えられないのだ。

 

 

ところでおかしく聞こえるかもしれないけれど、ポジティブだと評される僕の身の回りの友人は総じて自己評価が低い。ひくほど低い。僕も含めて。

先日自分の能力を自分で評価する機会があったのだけれど、物事を正確に伝える能力やものを記憶する能力、与えられたことに熱心に取り組む能力、どれをとっても10点中3点くらいだった。傍から見ればなんて自己評価が低くてネガティブなやつ…と思われただろう。

 

 

しかし、自己評価が低い人とネガティブな人というのは意味が異なる。前者は自分に対する評価で、ネガティブは物事の捉え方の問題だ。

 

これはまだぼんやりとした発想なのだけれど、そもそも自己評価が低い人は向上心が高いのではないかと思う。自分は出来ないからもっと頑張らなきゃと思うわけだ。

 

あるいは、自己評価が低いことで満足(幸福と言い換えてもいい)に対する閾値が低いんじゃないかなとも思う。小さなことにも丁寧に喜んでいく。綺麗な花が咲いていたとか、気持ちいい風が吹いたとか、前髪がいい感じで決まったとか、電車で席を気持ちよく譲れたとか。

 

 

 

ポジティブで自己評価が低い人。もともと自分が不足だと信じてるから毎日向上しようと大忙しだ。あれもこれも気になる。多趣味でそれを楽しんでいる。一緒にいると風が気持ちいいね!とか、些細なことではしゃいでいる。

 

たしかにそういう人が自分に対して「何やっても人並み以下なんだよねー」(結構さらっと言う)と周りはびっくりする。病んでるんじゃないかと疑うかもしれない。ただ本人の頭では前述のようなことが繰り広げられている。自己評価が低くてもそれを自覚してもがいていて、おまけにそれを楽しんでいるから、基本的には平気なのだ。

 

 

これをエニアグラム的には第七の性質、楽観主義というらしい。つまりは僕のような人間のことだ。

 

 

 

おしまい。