襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

ツイートに何の意味があるのか?

 

「ツイートって何の意味があるの?」

 

僕はそのとき、友人さなっぺと一緒にアイドルのライブに参加すべく山手線に乗っていた。僕はスマートフォンを取り出してTwitterに「ライブ楽しみー!」という投稿をした。友人さなっぺはそれを覗き込んで文字通り呟いた。「ツイートって何の意味があるの?」

 

さなっぺの言い分はこんな感じだ。

彼はTwitterを使っている。使っているっていうのは、要はツールとして活用している。それはキュレーションニュースサイトのような使い方だ。自分の好きな女優やアイドルやスポーツチーム、あるいは映画まとめ情報サイトや面白画像まとめアカウントをフォローしておけば、それらの最新情報がタイムラインに流れてくるわけだ。

 

この使い方には僕も大いに賛同する。というか僕自身同じ使い方をしている。

前述のように自分の興味のあるものをまとめてフォローしておけば、Twitterを開くときにグーグル検索のような即効性はないが、ある種ランダム性を持って情報を与えてくれるのである。

 

Twitterを開くとき、大抵は何か知りたい特定の情報があるわけではない。

もっと散漫的に「なんか情報でも得るか」くらいの気分でTwitterを開く。

すると、声優が新しいイベントの告知をしている。友人が電車で乗り過ごしたと愚痴をこぼしている。面白い犬の動画が見れる。気圧配置がわかる。是枝監督の新しい映画情報が出てくる。

 

それは雑多な情報だ。無目的的にテレビ番組を見ているのと似ている。

違いがあるとすれば、情報の発信源を予め自分用にカスタマイズしているところ、くらいだろうか。

 

そういう使い方でさなっぺも僕もTwitterにはずいぶんお世話になっているけれど。

 

 

さなっぺは見る専門なのだ。

これまでのTwitterの説明だとたしかにTwitterを見るメリットは説明できてもツイートするメリットは表象しない。だからさなっぺはツイートというものをしない。物言わぬアカウントというわけだ。

 

彼に言わせれば「何を呟けばいいのかわからない」のだそうだ。

その感覚はなんとなくわかる。僕だって何を呟けばいいのかわからないのに呟いているのだ。「今日天気よくて気持ちいいな~、とか呟けばいいやんけ」と言ってみると「え、、、何のために?」と言われてしまった。まぁ確かにね。

 

 

 

 

新しいコミュニケーション、情報のるつぼ

 

 

今までの時代のコミュニケーションは、

例えば私がいて、あなたがいて、私が言葉を発してあなたが受け取る。という言葉のコミュニケーションがあった。このとき言葉の内容を知っているのは二人だけだ。隣町のオッサンには聞こえていないし、地球の裏側のブラジル人にも届かない。

 

これがTwitterになって、たった一人自分の部屋に閉じこもっている状態でも「あの映画面白かったな」と呟くだけで「面白かったですよね!」という言葉が見ず知らずの人から返ってきたりする。このあたりにまずツイートの面白さがある。それは観光に似ていて、偶然のアクシデントに心のどこかで期待しているような態度だ。

あるいは、Twitterというのは無数の個人の言葉が捉えられないスピードで飛び回っているような場だ。それを外側から監視するだけでなく、自分も言葉を発することでその「祭り」に参画する。これもTwitterの醍醐味だと僕は思う。

 

この「祭り」に参画するには「ハッシュタグ」とかいうツールを使うらしいが、それはまだきちんと使いこなせていないのでもうちょっと詳しくなってから紹介したい。

 

 

おしまい