襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

語彙の脂肪が取れない

 

日課で日記を書いていた。

最近はつまらない。何がつまらないって自分がつまらない。

前はもっとキレキレだった気がする。自己肯定と自己否定を1日おきにと言わず、5分おきに繰り返しては、まるでリニアモーターカーみたいに高速回転して言論をバクハツさせていた。多分。

 

それで、日記を書いている最中に「こないだ若い子が」と書いて、はたと筆が止まった。若い子だって?僕はペンを壁に叩きつけそうになった。しなかったのはそのペンが万年筆で、壁が自宅のものだったからだ。自分でもびっくりした。

何にびっくりしたって、「若い子」などという安易な言葉選びにビビったのだ。

 

口語的にこの時の気持ちを表現するなら「おわぁ、ほら俺つまんなくなってんじゃん、こういうところから分かるように!!」である。

 

 

関係ないんだ。

 

 

若いこだからなんだっていうんだろう。

若さは肉体であり、精神である。歳を聞いて「若い子だ」などというカテゴライズはナンセンスだ。随分つまらないことをした。反省しても、まだ僕の反省は不足する。

 

朝鮮人だからうるさいだとか、田舎の人は優しいとか、

金持ちが小狡いとか、フリーランスが無責任だとか、そういう無神経なカテゴライズをするようなものの価値観がすでにカビ臭く、古いと感じる。

 

今や男も女もない。男が好きな男もいれば女の心を持った男で男が好きなケースもある。女の体で心は男で、ゲイかもしれない。その場合見た目は女が男を好んでいるが、の場合ゲイである。

 

だからもうその人間の肩書きのようなものに価値がないのだ。

価値がないというか、そういうものに価値を見出そうとする姿勢が古くてダサいのだ。チョーかっこ悪い。

 

その「チョーかっこ悪い」を自分の中に見出して僕は無性に腹が立った。

イマドキ「男のくせに泣くな」なんていう言葉はあまり聞かなくなったが、僕が咄嗟にとはいえ発想した「若い子」という言葉、そしてその語彙を普段から発信してしまい金ない自分の退屈な感性が許せなくなった。

 

 

デブも人殺しも幼女も人であるという以上人は人で、まずはそこから始めなければならない。最近はテクノロジーの発達によって情報の移動速度が昔の500倍くらいになっているから、人を見るにもまずはカテゴライズしたくなる。デブは怠惰で人殺しは頭がおかしい。そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。

 

もちろんデブは食べすぎだし、人殺しは人を殺しているし、幼女は幼い。

それは当然だとして、「だからこうだろう」みたいな物の言い方には問題がある。

 

僕の心の脂肪かもしれない。

冒頭に書いた通り、僕が会社に入る前はもっと発想がバキバキしていて良い言葉を使っていたのだとしたら、僕は会社のデスクに座りっぱなしで語彙に脂肪をたらふく蓄えて、ろくに動けなくなっているのかもしれない。

 

 

そういうのは、困るぞぉと思って、

ダイエットするつもりで普段より多く文章をかく。そんな夜を過ごした。