襟を立てた少年

まだ間に合う 世界は素晴らしい

人は一生、勘違いして生きてゆく

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人は一生、誤解して生きていく

 

delete-all.hatenablog.com

 

「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」

という本が話題になりそう。

 

 

勘違いさせる、といえば

僕たちは毎日勘違いして生きてるって思う。

人間同士、完全にわかり合うことなんてできない。

それどころか、誤解している。誤解したまま一緒に生きている。

 

 

親兄弟でも勘違いや誤解、間違ったイメージを持って接していたりするのだから、

それ以外の人間関係でも勘違いなんてものはいくらでも頻出すると思う。

しっかり者だと思ったらズボラだったとか、

退屈なやつだと思ったら誠実な人間だったとか。

だいたい何十年と生きて歴史を持った人間一人を、完全に認識できるだなんて少しでも思うことがそもそもおこがましいんだよな。

 

 

だから僕たちは誤解し合って生きてるんじゃないかな。

もちろん、概ね合ってることも多いだろうが、親友でも80%くらいで、

残りの20%はやはり「わからない」

 

それに人間は日々細胞レベルで変化しているので、先週の自分と今週の自分は全く同じではない。そこには微細なレベルの変動要素があり、そしてその微細さは年月を重ねるごとに無視できないものになってゆく。

 

 

こういう話の時に

「結局人間なんて分かり合えないんだよ」と僕が切り出すと

多くの人間が「え...なんでそんな救いのないこと言うの?」

と反論するのだけれど、

 

むしろ人間が分かり合えてしまったら救いがない

のではないか?

 

 

すごく空虚だ。

相手のことなんかお見通しで、全部わかっていて、

相手が何を考えているのか悩むこともなければ、

相手のことをもっと理解したいと言う欲もない。

シナリオがわかりきっているRPGを初めからやらされるような気分だ。

 

そんなのは人間関係じゃないって思うんだよね。

 

少女漫画なんて誤解の連続だ。

少女漫画から「誤解」を取ったら、

きっとジェンガのようにストーリーが崩壊してしまうだろう。

 

誤解があるから面白い。

わからないから面白い。

 

その未知の部分。

余白とか。

 

そう言うのに人は無意識にワクワクして

「期待」するのだろうと思う。

 

 

 

だから、相手がわからないこととか、

誤解してるんじゃないかとか、

相手に誤解されてて不安とか、そう言うのもまずは

人間は誤解する生き物なんだって言うことを認識した上で

 

その誤解をなんとか解いて少なくとも「わかり合おうとする」ことで

歩み寄る。その人と人との直径を、例えば僕は人間関係と呼んでみたいのだ。

 

 

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